今日もご無事で。

今日も無事なら明日も無事でいて。そんなくだらない話。

常夜燈と羅針鳥 / PEOPLE1とKitriと[永遠はきらい]

 

 「あとで読み返してから公開するか〜」と思って一晩寝かせるといつの間にか数週間経ってしまっていることがある。2~3週間ぐらい前に書いたものです。相変わらず東京は暑いけれど。

 

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 東京では35℃以上の気温が続く影響で、毎日昼頃になると「猛暑に注意してください」とスマートフォンに警告がでる。お昼を過ぎてしばらくしたあたりで防災行政無線から「光化学スモッグ注意報が発令されました」と街中にアラートが鳴る。「不用意な外出はしないようにしましょう」という警告で、家に閉じこもる理由だけが増えていき、半ば強制的に隔離されたこの空間が自分の意思と相反しているような気さえして、窓辺から射し込む太陽の光とは裏腹に陰鬱な空気が思考を纏った。

 春先に雪が降った記憶も、全国的な緊急事態宣言下にあったゴールデンウィークも、雨が思ったよりも降らなかった6月も、1ヶ月以上前の話で、じとじとと終わりのない雨の季節から抜け出した東京は、降り続けた雨を蝉の鳴き声に変えて“予定されていなかった夏”を幕開けた。

 2020年夏、本来ならオリンピックが東京では開幕され街中には様々な人種が行き交っていたはずだった。それが開催が延期になっただけではなく、日常の様相も昨年までとは違った形で我々は“予定されていなかった夏”を迎えた。さて、我々は来年どのような夏を迎えるのか。予想することが楽しくなるような未来が来ることを、願うばかりだ。

 

 そんなこんなで、最近すごく素敵な音楽を見つけたので紹介したい、です。2020年に出会った音楽、としていいはずだけどいつどんな形でこの音楽たちに出会ったのかは覚えているものもあれば覚えていないものもある。が、備忘録として記憶の限り書いていきたい。 Twitterで呟けば、瞬間的に消費できるけど、好きなものはできるだけ言葉にする訓練を行いたいものですね。

常夜燈/PEOPLE 1

 未だにその全容が明らかになっていない音楽家PEOPLE1によって発表された『常夜灯』は “天国に学校はあるかしら(常夜灯/PEOPLE1)”という一文から始まる。絶妙なリズムとスタッカートにのせて歌われるAメロは、どこか物悲しい気にもさせながらも男性の優しい歌声をMVの女性のリズムにあわせて踊るアニメーション、そしてささやかでやわらかなフィンガークラップが物語の魅力を引き立てる。


PEOPLE 1 "常夜燈" (Official Video)

 スマートフォン推奨の縦画面MVでは、女性が画面いっぱいに かろやかにステップを踏む。その軽やかな踊りにあわせてPEOPLE1は歌う。

“皆は君の/君は神様のせいにする/その神様の歌声は/今じゃよくあるコンビニの放送(常夜灯/PEOPLE1)”

  なんて素晴らしい歌詞なんだろう、なんて素敵な表現なんだろう、とこのフレーズを見て思った。恥ずかしいぐらいにちゃんと考えたこともなかった、“神様”という存在。でもその存在は、今じゃ物事の評価の際の形容詞として使われるようになった。ヒット曲は漏れなく神曲として崇められて、色とりどりの神様の歌声のラインナップが有線で流れるだろう。

 神様は誰のそばにもいる身近な存在でもあり、祈りや願いの類、その心の拠り所としても存在する。皮肉のようにも聴こえるこのフレーズは、その後に続く“みんな優しさを受容して/そっと心に釘を打つの(常夜灯/PEOPLE1)”という歌詞を考えると、もしかしたら「自分でばかり抱え込まずに、なにかに逃げたって、なにかのせいにしたって構わない」ということを歌ってくれているのかもしれないとも思える。

 

 楽曲を纏う音色はどんどん温度を増していき、ドラムやピアノがくっきりとしたリズムを刻みだす。その輪郭を顕にしたまま、物語はサビへと向かっていく。アニメーションの女性が“よーいどん”と言わんばかりの動きで駆け出した先で歌われるフレーズは、私がもっともこの楽曲で好きなフレーズでもある。

“この世界には/未来がキラキラと/みえる人もいるというの(常夜灯/PEOPLE1)”

  「ああ、こんな風な世界の捉え方があったか」とすごく感動してしまった。いまの自分自身の状況を表現するときに自分自身の“暗さ”を表現することや、周りの“明るさ”を表現することで相対的にどちらかの光陰を想像させることはあると思うのだけれど、この楽曲は“みえる人もいるというの”という、まるで噂話のような、仮定を歌っているのだ。

 これにはいろんな解釈ができると思っていて、「人間は自分自身のことしか認知できない」以上、他人がこの世界をどう捉えているか、も含めて「自分自身」である。そう考えたときに、そりゃそうなのだが「誰かがこの世界をキラキラと見ている」ことも断定はできないわけであって、「あの人にはキラキラみえている“らしい”」というのがどちらかというと“自分視点”に置き換えたときの真実なのである。だから、このフレーズからは「自分にはこの世界はキラキラ見えない」という心境と「でもキラキラみえるという見方もどうやらあるのか」という希望も垣間みえる。そのいつも心に灯り続けている希望や不安が、常夜燈なのではないだろうか。

 

 PEOPLE1の常夜燈は、そんな誰もの心のなかにある不安や希望に寄り添い続け、何度も何度も聴きたくなってしまう楽曲だ。特に楽曲だけではなくMVも非常に素晴らしくてアニメーターや振り付けなどもクレジットにいれているところから、この世界観を表現するために色んな思いが込められていることを感じる。特に2度めのサビからのMVの展開、感想での女性の動きは本当に映像作品としてもとんでもなく素晴らしいものだと思う。どちらが前にでても、どちらを表現の主語にしても、遜色ないほどにお互いがお互いの作品・クリエイターを支えていると感じる。そしてこの楽曲を何度も聴いているうちに、楽曲そのものが聴き手にとっての常夜燈になっていることに気付かされるのだ。こうやって音楽に感動できる時間があとどれだけ続くかな、できる限り心の機微を感じ取れるよう、暗すぎて見失わないよう、心のなかに灯す常夜燈は、たくさん見つけていきたいな、と思った。

 

常夜燈

常夜燈

  • 発売日: 2020/07/28
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 

羅針鳥/Kitri

  楽曲そのものは2019年に発表されたもので、Kitriというユニットは度々聴いていたけれどどこかのタイミングでこの『羅針鳥』を何度も聴くようになった。仕事終わりの帰り道で聴いていた思い出があるから、自粛前だったようには感じるが発表されてから時間が経ってから聴き始めたような気がする。


Kitri - キトリ-「羅針鳥」 Rashin dori Music Video [official]

 Kitriは姉妹ピアノ連弾ボーカル・ユニットで、楽曲のほとんどのプロデュースを大橋トリオが手掛ける。だからか、全体的に感じる雰囲気に大橋トリオっぽさはあるものの、驚くほどにKitriの楽曲はその世界観と調和している。

 『羅針鳥』は、姉のモナが作詞作曲を手掛けた楽曲でマイナー調の構成が物憂げな雰囲気を醸し出している。どこか懐古的な、ノスタルジーを感じさせながらも、かすかに鳴るドラムのキックの音が物語の前進を感じさせる。Kitriのふたりは、“「ここから始めます」と言えるような曲を作りたかった”と述べていて、まさにその言葉に象徴されるとおり、いままで霧がかかっていた森の中が一気に開けるようにサビが展開されていく。

ここからはじめまして/あなたは羅針の鳥/ひたすら胸の中の/音を頼りに飛んでいけ(羅針鳥/Kitri)

  Kitriはピアノを基調としたユニットではあるものの、この『羅針鳥』では、シンセや管楽器など様々な楽器が取り入れられ、それぞれの音色が啀み合うことなく織りなすことで生み出される幻想的で美しい世界観に、道案内をしてくれるようなピアノの音色が仕掛けになっている。

 幻想的で森の中に迷い込んでしまったような音像に重ねられるふたりの透き通るようなコーラスは、本当に靄の中に光を差すようで、この楽曲を聴いていると未来に少しだけ自信を持てるような気がしてくる。

 決して力強いボーカルではないのだけれど、楽曲の世界観に寄り添うように敷かれた歌声はそっと背中を押してくれるような安心感を与える。クラシックとポップが入り混じったこの世界観の中で、ふたりの歌声はしっかりとそのふたつを繋ぎ合わせることに成功している。

 いまあるこの世界が、少しでも新しく切り開かれていくものであるように、新世界より鳴る音に耳を傾けながら、その方向に飛んでいきたい。

 

 ちなみにこちらも『羅針鳥』と同アルバムに収録されている『細胞のダンス』という楽曲ですが、より彼女たちのピアノの連弾がシンプルに際立った楽曲です。コーラスとピアノ、そのシンプルな構成がKitriの魅力を最大限に引き出しながら、決して明るくない世界感と変則的な旋律が脳に違和感となって残りKitriから戻れなくなってしまう。


Kitri - キトリ-「細胞のダンス」 "Saibo no Dance" Music Video Full Version [official]

 

Kitrist

Kitrist

  • アーティスト:Kitri
  • 発売日: 2020/01/29
  • メディア: CD
 
 あとがき

 とか、なんとかいろいろ書いているけど、とりあえずこの2曲はとても好きなので、ただそれが言いたいだけだった。あとで書き足すかも。(といって書き足さないパターン)

 

 おまけ - 永遠はきらい/上白石萌音

 と、書いたのが数週間前でございまして頭の中でこの記事のことがずっとぶら下がっている中で「どうせだったらあの曲も」というものがあったので紹介します。

 

note (初回限定盤)(DVD付)

note (初回限定盤)(DVD付)

  • アーティスト:上白石萌音
  • 発売日: 2020/08/26
  • メディア: CD
 

 

 上白石萌音の『永遠はきらい』という楽曲。どこで出会ったかさっぱり記憶にないが、おそらくサブスクリプションサービスが巡り合わせてくれたような気がしている。はじめて聞いた時、正直な感想としてプレイボタン一発目のブレスからの透明感のある、けれど質感もしっかりある歌声に引き込まれたし、“神様/お疲れ様”ってキーワード、反則的でしょ、と思いました。そしてキラキラと弾けるように鳴るギターが主役のイントロ。なによこの、高揚感とポップさと輝きが混じったリフは。

 私はこの楽曲、詞・曲ともにとても大好きなんですけれど、まさかの全く別々のクリエイターがつくっているんですよね。どちらが先でどのように組み立てられていったか、インタビューもなさそうなので想像もできないのだけれど、とにかく詞・曲がお互いに補い合っている最高の形だと思う。

 

 まず歌詞についてとても若々しく、瑞々しい。“ミレニアルに生まれた鼓動”といった直接的に若さを感じさせるAメロからはじまり、サビでは“頬につく/ご飯の粒/直接/今なら食べてもいいよ”という胸ときめきキュンキュンフレーズが仕掛けられている。「これは上白石萌歌が直接書いているのか?そうしたらとんでもない才能だな」と思い、作詞作曲を調べると、YUKIであった。年齢を引き合いにだすのもよくないのは承知の上でですが、40代後半でこのフレーズがでてくるって、とんでもない才能だな!!

 そしてこのフレーズをサビに持ってきたというクリエイターの能力もとんでもない(もともとここをサビに指定されていたのかはわからないが)。だって“ご飯の粒”がサビなんですよ?かつてそんな曲ありましたでしょうか?しかも、おふざけじゃなく、こんなに青さを感じさせる美しい旋律の楽曲で。

 かつでレミオロメンの代表曲『粉雪』のサビで歌われる“こなーゆきー”に対し、Mr.Childrenの桜井氏がレミオロメン藤巻氏との対談で「粉雪、という一見柔らかく感じるフレーズをサビに持ってきて、あんなに張り上げて歌う発想がすごい」といったような趣旨のことを語っていた。それと同じことを思い出した。“頬につく/ご飯の粒”が、こんなにも美しく情景豊かに青々しく、そして胸を時めかすフレーズとして表現することができるのか、と。

 詞曲どっちが先立ったのかわからないけれど、とにかくこの歌詞をサビに持ってこようとしたクリエイターがとんでもなくすごいよ……。

 

 この楽曲を作曲しているヨルシカのN-Bunaもとんでもない才能の持ち主ではありますが(とにかくアレンジが凄まじいし、詞の世界観や上白石萌歌の個性を最大限に引き出していると思う)、YUKIの歌詞の表現力が素晴らしい楽曲だと感じた。『永遠はきらい』というタイトルにも表れているとおり、彼女の哲学的な思考が瑞々しく弾けているように思った。上白石萌歌の楽曲をこれきっかけで様々聴くようになったが、いちばん彼女の個性が活かされている楽曲なんじゃないか、いまのところ。

 

 大抵楽曲提供って提供する側の世界観にひっぱられることが多いと思うのだけれど(例えば大橋トリオ上白石萌音に提供する『Little Birds』なんかはザ・大橋トリオを感じる)、『永遠はきらい』でヨルシカN-BunaとYUKIが提供する楽曲の世界観はプロデュース側に徹して、上白石萌音を目一杯に立たせているのがすごい。ヨルシカの楽曲もいくつか聴くけれど、仮にセルフカバーしたとして全く世界観の違うものになっているだろうな、と思う。

 

 いま、たまたまあるアルバム発売にあわせて公開されていたN-Buna側のインタビューを発見したのだけれど、どうやら曲先で、あとから歌詞をつけたらしい。ますますYUKIがすごいな……。ていうかYUKIがめちゃくちゃすごいんだな……。とんでもない才能だな!!

 

神様/お疲れ様/どうやら/まだ/私生きているみたい/頬につく/ごはんの粒/直接/今なら/食べてもいいよ(永遠はきらい/上白石萌音

 


上白石萌音 - 「永遠はきらい」Music Video

 

 ところで今はじめてMVを見たんですけど、これは正解なんですか?(世界観に混乱している)