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半径数メートルの描写を歌にする、手に届く物語 / Album:miss you(Mr.Children)全曲レビュー・感想

6畳間で鳴らすMr.Children

 2007年に発売された『HOME』を特集した別冊カドカワSpecial Issue Mr.Childrenの中でスガシカオはこんなコメントを寄せていた。

彼への要望ですか? やっぱり無茶なことはしないようにってことかな。うちに来て、シャンパン1本空けて、へべれけになったりしないとか、急にダッシュしないとか。ともかく体に気をつけてほしいですね。ミュージシャンとしてはアコースティック・ユニットみたいなのをやってほしいですね。期間限定でもいいんで、狭い場所で桜井くんの歌を聴いてみたい。(スガシカオ)  

 アコースティック・ユニットと称して良いかはありつつ、この4年後である2011年に発売された『Sugarless Ⅱ』でMr.Childrenの楽曲「ファスナー」をスガシカオ桜井和寿とともにアコースティックギター2本編成の弾き語りでカバーした。(演奏は、それ以前に『Split the Difference』で共演時に行っている)

 

 ひょんな入り口から話を進めてしまったが、Mr.Childrenの最新作『miss you』はここでスガシカオが要望をだしていた「狭い場所で聴く桜井くんの歌」を実現したようなアルバムだ。これまで我々を魅せてきたMr.Childrenの姿とはまたひとつ違う側面を表現する、“仄暗い”楽曲たちが全編を通し収録されている。あえて“仄暗い”としたのは、決して“ダーク”や“闇深い”といったマイナスなイメージを閉じ込めたアルバムではなく、そのほの暗さから、夜の訪れを感じる人もいれば、夜明けを感じる人も、黄昏を感じる人もいるであろうからだ。

 このアルバムが、夜更けなのか、夜明けなのか。黄昏であるのか。聴く者によって、聴く場所によって、聴く時間によってその仄暗さの印象と風景が変わる。そんなアルバムだと感じる。

 

 何が悲しくって/こんなん繰り返してる?/誰に聴いて欲しくて/こんな歌 歌ってる?/それが僕らしくて/殺したいくらい嫌いです(I MISS YOU/Mr.Children)

 

 

アルバム『miss you』が示すもの

 21枚目のMr.Childrenのオリジナルアルバムとなる『miss you』は2023年10月4日にリリースされた。前作から3年弱の期間を空け、Mr.Childrenの活動こそあったものの、新曲のリリースはその間で「永遠」「生きろ」の2曲。そして本作はタイアップが1曲もなければ、インタビューもない。2023年に届いた2冊目までの会報誌ではわずかに触れているものの、あくまで“手触り感”にしか触れておらず(会報誌の為引用は避ける)、具体的な言及は行われていなかった。

 発売前に公式サイトで表現されていたのは“Mr.Children史上、最も「優しい驚き」に満ちている。”ということだった。

 

 発売から2ヶ月経った今、このアルバムに対する印象はがらっと変わった。アルバムを聴く前に「I MISS YOU」「Are you sleeping well without me?」「LOST」「Party is over」「We have no time」といった楽曲のタイトル群から感じていたことは“喪失”を表現するアルバムになるのか?ということだった。その“喪失”とはもっと言えば、前作『SOUNDTRACKS』で直接的にインタビューなどで言及していた“生と死”にさらに踏み込んだものではないか?というものだった。

 そしてアルバムを実際に聴くと、そこから感じ取られるのは“桜井和寿のパーソナリティ”だった。1曲目の「I MISS YOU」で歌われている“誰に聴いて欲しくて/こんな歌/歌っている?(I MISS YOU)”という表現や、2曲目の“求められるクオリティ/今日も必死で応えるだけ(Fifty's map〜大人の地図)”といった、まるで胸の内を打ち明けているような楽曲。かつてここまで、桜井和寿を身近に想像させるようなアルバムがあっただろうか、というのが聴き始めて1ヶ月ぐらいの間の感想だった。

 実際にネット上でも「これは桜井和寿のソロアルバム」というコメントも散見されたし、そういう印象を与えていたこともわからなくはない。

あらゆる“喪失”を歌ったアルバム

 しかし、いま感じるのはこのアルバムはやはり“Mr.Childrenのアルバムである”ということだ。Mr.Childrenを冠しているのだから当たり前じゃないかということではあるのだが、それぐらいにこのアルバムは作家の身近なことを歌っているように錯覚させるアルバムだった。Mr.Childrenは大衆性を重視するバンドであるにも関わらず、I MISS YOUであるような“誰に聴いて欲しくて/こんな歌/歌っている?(I MISS YOU/Mr.Children)”という表現は、共感性という観点ではとても限定的で大衆性を排除しているように感じるからだ。

 だが、聴けば聴くほどこのアルバムが実はパーソナリティに寄り過ぎず、大衆性とのバランスを保ちながら綿密に作られた楽曲群であるかを感じる。会報誌で触れていた“手触り感に対する表現”はまさにこのことで、このアルバムは決して内省的なアルバムではなく、世に放たれるべくして制作されたスタジオ・アルバムなのだ。それは、この『miss you』に収められた楽曲たちが、画一的な喪失を歌った楽曲群ではなく、あらゆる方面からの喪失を歌った、コンセプチュアルでそれぞれに物語性のある楽曲が並んでいることに気づくことで明らかになっていく。

 半径数メートルの“喪失”を歌ったパーソナリティにフォーカスした歌は、Mr.Childrenというフィルターを通して我々に届く。この“喪失”が全方位的に当てはまる人間は、おそらくソングライティングをした桜井和寿に他ならないが、私たちはどこか近いようで遠い、シンプルなのに味わい深い、そんな測りにくい距離感の楽曲を通してそのピースを丁寧に噛みしめる。

 これまで大きなフレームで私たち(大衆)を共感という渦に巻き込んできたMr.Childrenは、本作では半径数メートルの情景を描写することで、誤解を恐れずに言えばメッセージ性のない、そこにあるのはただひたすらに丁寧に描写された生活のみ。私たちはその情景描写を通じて、真の意味での“素材そのもの”を味わうことになる。

 

 

『miss you』全曲レビュー

M-1:I MISS YOU

 アコースティックギターアルペジオとピアノのコード。シンプルでありながらマイナー調のイントロが、タイトルと相まってどこか暗さを感じさせる。“寝苦しい夜”というフレーズからはじまり、その暗さは一層聴き手を深い場所まで連れていき、徐々に楽曲は独白めいた方向へと進んでいく。まるで桜井和寿が自分自身のことを歌っていると錯覚させるような詞の内容には、聴き手の共感性を持たせるスペースがほとんど残されていない。考えるのではなく感じ取る、そんな装いを凝らした楽曲。

淀んだ川があったって/飛び越えた/その度ごとに/でも/その意味さえ/わからなくなるね(I MISS YOU/Mr.Children)

M-2:Fifty's map~大人の地図

 アルバム発売前に解禁された楽曲の1つ。尾崎豊のオマージュであることはタイトルからも明らかだが、“バイクで闇蹴散らし/窓ガラス叩き割って/つまらぬルールを破壊しながら(Fifty's map~大人の地図/Mr.Children)”といった詞の内容からもそれは感じ取ることができる。

 「I MISS YOU」とは一転、エレキギターストロークとうねるベース、6/8で攻め込むドラムというバンドサウンドからはじまる。おそらく本作の中でも極めてバンドサウンドが立った楽曲ではないだろうか。“似てる仲間が/ここにもいるよ(Fifty's map~大人の地図/Mr.Children)”というフレーズに勇気づけられた聴き手もいるのではないだろうか。この楽曲も“I MISS YOU”同様に、個人的な、いや、広く捉えるならバンドとしての歩みを歌っているようにも聞こえ、そこに私たちは“共感”ではなく“肯定”を感じる楽曲になっている。

求められるクオリティ/今日も必死で応えるだけ/「偶然」に助けられ/なんとかやって来ただけのこと(Fifty's map~大人の地図/Mr.Children)

M-3:青いリンゴ

 スローテンポなドラムと、2本編成のアコースティックギターオブリガートからはじまるイントロ、そこからテンポが倍になり2つ目のイントロがはじまる。“2つ目のイントロ”と書いたのは、この楽曲の編成が少々特徴的だからだ。

 表現するなら、イントロ1→イントロ2→Aメロ→Bメロ1→サビ→イントロ1→Aメロ→Bメロ2→間奏→Cメロ→サビ→大サビ→イントロ2、といった具合。

 つまり楽曲のオープニングで使われていたイントロ1と2が、楽曲の中で分解されて、言葉を変えればイントロ1はブリッジに、イントロ2はアウトロに転用される編成になっている。これはHANABIであったようなイントロがCメロで流用される形式のような、ちょっとした遊び心を感じるアレンジだ。

 ちなみに本作『miss you』で好きな楽曲上位にこの「青いリンゴ」がある。それは次のフレーズから表現のしようのない刹那を感じるからだ。このテキストだけを切り取れば挑発的な一文にも思えるが、楽曲を通して聴けばそんな意味はなく、このフレーズが自身の命と向き合う刹那的なフレーズであることを感じ取れる。

ナイフを持った奴が暴れ出したら/僕ならどんな行動をとるか/なんて考えてみるんだ(青いリンゴ/Mr.Children)

M-4:Are you sleeping well without me?

 「青いリンゴ」で構成について触れたので、「Are you sleeping well without me?」では楽曲の編成についても触れたい。本作『miss you』は、前作「SOUNDTRACKS」「生きろ」でタッグを組んだ海外チームも参加している。「Are you sleeping well without me?」では「SOUNDTRACKS」の「memories」で名演したSimon Haleがピアノを演奏している。「LOST」ではパーカッション、「ケモノミチ」ではストリングスで海外組が演奏からレコーディングまで関わっている。無論、その場合の監修はSteve Fitzmauriceなのでどこまでコミュニケーションがあったかであるが実質的なプロデュースも兼ねているだろう。

 詞の面においても「I MISS YOU」同様に“汚して/拭き取って”などフレーズを繰り返す点が聴いて取れる。これが過去と現在を行ったり来たりする反芻の象徴であるのか、この主人公の自問自答は答えに辿り着かないまま暗い余韻を残したままピアノの反復は終わる。

教えてほしい/Are you sleeping well?(Are you sleeping well without me?/Mr.Children)

M-5:LOST

 ポジティブ、ネガティブ両面の要素が楽曲の中でぐちゃぐちゃになっていて、一言で感想を述べられないのがこの『miss you』というアルバムの魅力だと思っているが、例えば「Fifty's map~大人の地図」が“似てる仲間が/ここにもいるよ”、「青いリンゴ」が「季節は巡る」といったフレーズで終わるのに対し、「LOST」は“立ち尽くしている”、「Party is over」では“さぁ前を向いて歩こう/でも何処へ向かえばいい?”といった決してポジティブなフレーズで終わらない終わり方の楽曲もある。特に「LOST」では、やりたいことがあるという希望を求める感情に対し、“立ち尽くしている”というフレーズが4度も出てくる。

 躍動感のあるパーカッションと重なるコーラスの華やかさとは裏腹に歌詞は望みと喪失について書かれている。この相反する状態が、まさに「LOST」の世界観を表現しているようにも感じる。

 そして地味に気になっているのがピアノもいい感じにこの楽曲に彩りを添えているわけですが、弾いているの誰?(クレジットに明記がないので…Mr.Childrenのメンバーになるのだろうか?)

放った光さえ/歪んで闇に消えてった(LOST/Mr.Children)

M-6:アート=神の見えざる手

 これはもう、この楽曲そのものについては語りようのない実験的な楽曲であるが、「LOVEはじめました」や「過去と未来と交信する男」のような実験レベルではなく完全にポエトリーラップの域に突入したMr.Childrenの姿。ただ“Mr.Childrenの姿”とするには、楽曲の編成もシンプルであり、クレジットにはこの楽曲に参加したミュージシャンの名前がない。つまり、Mr.Childrenのみの参加になるのだが、ほとんどがループされるパーカッションとエレピ、ベースの構成である。ベースもシンプルなフレーズの繰り返しなのでナカケーが弾いていない可能性すらある。このアルバムにおける実質的な桜井和寿ソロか?と言いたくなる。

 中華人民共和国や、北朝鮮といった具体的な国の名前がでてきながら社会風刺として巻き込んでいる点は、これまでのMr.Childrenになかった、だけではなく邦楽においてもほとんどないのではないだろうか。国名をあげることがその国を批判することになっているわけではないものの、比喩表現として社会風刺に巻き込んでいるあたり、だいぶ攻めている。直近のインタビューMOROHAへのリスペクトを語っていたのでその影響だろうか。

中華人民共和国北朝鮮のアンビリーバブルな行動/非常識だと報道するけれど/じゃあどこの国が常識的だと/あの金髪女は言うのでしょう?(アート=神の見えざる手/Mr.Children)

M-7:雨の日のパレード

 この楽曲もクレジットにミュージシャンの明記がないため、実質Mr.Childrenメンバーのみで編成された楽曲だと推測される。“子供の飛び蹴り”など親としての日常生活が場面として描かれており、『miss you』全般に言えることであるが生活感を想起させるフレーズが随所に散りばめられている。また楽器の数が少ないことで、コーラスが非常に際立ち、「雨の日のパレード」は特にそのコーラスの際立ちを感じる。特にサビの部分は声の重なりが非常に美しく、意図的かどうか『HOME』収録の「通り雨」もサビでのコーラスが立つ楽曲だったな、と振り返る。なんなら、「雨のち晴れ」もそうだ。これはわざとか。

雨の日のパレード/ずぶ濡れで/でも心は踊る(雨の日のパレード/Mr.Children)

M-8:Party is over

 野暮なことを言っていることは重々承知な上で、言わせてほしい。このアルバムの中で唯一、「バンド編成でいてほしかった!」と思ってしまったのがこの「Party is over」だ。メロディーも詞も、そして曲の構成も素晴らしく、それを際立たせたい為かギター2本という非常にシンプルな構成で仕上げられている。たったギター2本での編成にも関わらずストリングスやピアノのアレンジが聞こえてくるほどに、これまでのMr.Childrenらしさと、『miss you』のエッセンスが上手に調和している印象を受ける。

 このあとに続く「We have no time」にも通づるが、“胸に手を当てれば/暖かな炎を/感じるのに”といったような、「Party is over(楽しい時間は終わり)」や「We have no time(私たちに時間はもうない)」といったような期限を感じさせるタイトルがありつつも、消化しきれない、まだ情熱を絶やすことのできない、ある種のもどかしさを抱かせる温度を感じる楽曲だ。

多分そうだ初めから/君が書いたシナリオの通り/キャリーオーバーできず/未来へ何も残せやしない/心の中まで空っぽさ(Party is over/Mr.Children)

M-9:We have no time

 当たり前のことのようですっかり言及することを忘れてしまっていたが、Sax奏者の山本拓夫がこのアルバムでは度々登場している。Mr.Children + 山本拓夫といっても過言ではない(過言)。「We have no time」は桜井和寿節全開の韻をふんだんに盛り込んだ詞と、「未来」のような跳ねる音のフレーズで高揚感を抱かせるアグレッシブな楽曲となっている。

 Mr.Childrenで2度目の登場ブルース・リー。2度も登場する著名人は初ではないか、という所だが、1度目の登場はアルバム『Q』の「Every thing is made from a dream」だ。夢を見ていた楽曲に対し、「We have no time」では尽きた夢に対し歌う。しかしその姿勢は諦めや停止ではなく、“まだ挑戦”という挑戦と意気込みを感じさせる楽曲となっている。

やり直すには/We have no time/守る気持ちも/沸き起こっちゃう/だけどスキルは/尚も健在/まだまだいけんじゃない?/とか思っちゃう(We have no time/Mr.Children)

M-10:ケモノミチ

 先行配信された楽曲。この楽曲を聴いて本作『miss you』へ期待に胸を膨らませたリスナーも多くいると思う。3拍子で連なりながら、がむしゃらに掻き鳴らされるギター、『miss you』の中でも特別世界観を広げる何重ものストリングス。リズムに乗っているようで複雑に絡み合い、まるで自然の中で勢いで演奏されているかのようなスピード感。歌詞カードにはギターを一人抱える桜井和寿がデザインされており、その様子はアルバムのジャケットにもなっている。

 なによりこの楽曲において気になるのは“誰にSOSを送ろう”というフレーズではないだろうか。オープニングの「I MISS YOU」で“誰に聴いて欲しくて/こんな歌/歌っている?”と叫んでいた主人公の問いかけが、ここにも表現されている。「I MISS YOU」では歌を歌う者にフォーカスされていたが、「ケモノミチ」もまた“君にLove Songを送ろう”というシンガーとしての背景が見えてくる。多重の弦楽合奏と歌で気迫迫る「ケモノミチ」はここ数年のMr.Childrenの中でも異色を放つ存在ではないだろうか。

風上に立つなよ/獣達にバレるだろ(ケモノミチ/Mr.Children)

M-11:黄昏と積み木

 とにかく優しい。“一つずつ”、“丁寧に”といったフレーズが何度かでてくるがそのフレーズ通り、一つずつ丁寧に歌い上げられるメロディーが印象的な楽曲だ。「ケモノミチ」以降の楽曲、「黄昏と積み木」「deja-vu」「おはよう」は相手を思いやる詞の世界観になっているように感じられる。2人で乗り越えていこう、という気持ちと、だけど欲張りすぎない生活でいようという価値観も感じられ、いつか桜井和寿がHAPPY NEWSという本の帯(森本千絵氏のデザインだった気がする)に寄せた言葉を想起させるような思想だ。

ゆがんで見えている世界は実は錯覚で、僕らはHAPPYが敷き詰められたふかふかのカーペットの上を今日も歩いているのかもしれない。(櫻井和寿

どこか『シフクノオト』にもありそうな、でもそれ以上に優しい、もうこれ以上望まずに豊かに生きていける、心持ちで世界は変えられるということを、最小の、ミニマムの生活圏の言葉で、等身大の言葉で伝える真髄のMr.Childrenがここにいる。

欲張らないでいれば/人生は意外と楽しい(黄昏と積み木/Mr.Children)

M-12:deja-vu

 “あぁ僕なんかを見つけてくれてありがとう”というフレーズが象徴的な楽曲。このアルバムにおいて参加ミュージシャンの中で忘れてはならないのが、「deja-vu」「おはよう」でピアノを演奏している小谷美紗子だ。交流があるか定かではないが、くるりHeatwaveとも対バンをし2015年の2マンライブツアーで小谷美紗子も対バンをしている。deja-vuとはフランス語で既視感の意。この『miss you』では主人公は自分自身を肯定しきれずに悩んでいる楽曲が多いように感じているが、この「deja-vu」は“見つけてくれてありがとう”というフレーズからかろうじて自分自身を肯定しているようにも思える。わずか3分ほどの楽曲にも関わらず濃厚なストーリー性を感じさせ、聴けば聴くほど味がでるような味わい深い一曲。

誰の中にもブレーキと/そしてアクセルがあるけど/僕らうまく操っていけるかな?(deja-vu/Mr.Children)

M-13:おはよう

 何度かブログでも書いているかもしれないが、かつてプロモーションの為のメディア行脚でMr.Childrenがとあるラジオ局に訪ねた時、ラジオのパーソナリティが「私がMr.Childrenでいちばん好きな楽曲は“安らげる場所”です。では、お聴きください」といった感じで“安らげる場所”を流したことがある。

 いまでこのMr.Childrenメンバー全員が参加しない楽曲もそこそこあるが、“安らげる場所”は桜井和寿以外のメンバーが参加していない。『Q』というアルバムは、それほどまでに特殊性があり、ある意味では“バンドに拘らずバンドをやった”傑作であるのだが、この「おはよう」もそういった“拘り”を捨てた先にある純度の高い楽曲のようにも感じてしまう。(そう感じさせられている、という穿った見方もある)

 ↑書き終わり気づいたが、前作『SOUNDTRACKS』のラストを飾る「memories」に対しても全く同じ印象で書いていた。

 「memories」がMr.Children編成に拘らないという点における「安らげる場所」との共通項があるとして、「おはよう」は作家としての純度の高さという点での共通項があるように思える。

 

 『HOME』というアルバムに「あんまり覚えてないや」という楽曲がある。「おはよう」を聴いて、その類似性を頭に思い浮かべた人も少なくないはずだ。この「おはよう」は、「あんまり覚えてないや」よりもさらに音楽的な作為性を外しながら、音楽的なトライもしていると思う。

 矛盾しているようだが、私がこの楽曲でとにかく感動したのは“駅前には〜”のくだりだ。これがサビなのか、サビではないのか、もはやそれを定義付けようとすることが野暮ったい、ただこの歌を聴いてくれと言わんばかりの構成と歌詞になっている。この構成は、計算されたものか、そうではないものか。いずれにしても、Mr.Childrenとしての無作為な作為であることに違いない。

駅前には自転車を置ける場所が/あまりないから/歩いて駅まで向かおう/その方が長く話せる(おはよう/Mr.Children)

 本作『miss you』はパーソナリティな内容を歌っているようで、様々な挑戦が仕掛けられているアルバムだ。それは音楽的な構成から、詞の内容まで気づかれないように、けれど綿密に組み込まれている。

 思い返せば「青いリンゴ」では“生まれ変わったら見たい世界がある”と言い、「We have no time」では“やり直すには”というフレーズがでてくる。過去を振り返るようなフレーズも頻出する中で、やり直したい、再トライしたいという心情が楽曲には表現されているのだ。

 それが桜井和寿自身の心の内を表現しているのか、表現しているのであれば本作がその挑戦(やり直したいこと)であるのかは定かではない。

 

 「おはよう」は今日にフォーカスし、今日を終える。自分を肯定できているかはわからないが、他者は肯定している。“誰か”が見えていなかった「I MISS YOU」から「おはよう」では僅かながら“君”がいる。

 Mr.Childrenには新しい楽曲をまた聴かせてほしいと心から願いながら、この「miss you」は、楽曲の主人公は、この中でしっかりと完結していて、おそらくこれ以上も望んでいない。『重力と呼吸』でMr.Childrenはバンドとしてのサウンド面の強さを押し出し、『SOUNDTRACKS』ではアナログレコーディングといった形で丁寧な音像でそのスタイルを示した。様々な表情を見せるMr.Childrenという生き物はもはやひとつの大きななにかではなく、あらゆる形に変化する生き物であったが、本作においても“巨大化したMr.Childrenという偶像”を通して鳴らされる音楽ではなく、狭い場所で、ほんの10畳程度のスタジオで、4人だけで鳴らせる最小限の音で小さなMr.Childrenを動かし始めた(再起動させた)、そんなアルバムだと感じた。そしてこの物語は、きっとどこかでひっそりと続いていくのだろう。

さぁ前を向いて歩こう/でも何処へ向かえばいい?(Party is over/Mr.Children)