今日もご無事で。

今日も無事なら明日も無事でいて。そんなくだらない話。

さよなら2023年

 なんとなく年納め的に書いておくべきかな、だって毎年書いていたしと思った振り返ったら「さよなら2022年」はあったけれども「さよなら2021年」はなかった。

 コロナ禍に突入した2021年や2022年はインプットがとても少なく、ブログに書きたいと思えることもほとんどなかった。一方で2023年はそれなりに書きたいこともあるはずなのに、パソコンの前に向かってなにかを書く、という習慣が消えてしまったことによりなかなかアウトプットができない日々が続いた。結果的にここ数年でもっともブログを書かなかった年になってしまった。

 無論、自分の文章が上手だとは思っていないけれどスポーツやそういった類と同様に書いていかないと文章力は落ちると思っているし、まとめる能力も落ちてしまうと感じている。毎度同じように言っている気がするが、この文章もリハビリである。

 

 2023年も引き続き、様々な社会問題が顕在化した1年だったように思う。もう僕らの目の前には崩れ始めた様々な現実が待ち構えていて、他人事で片付けられないひとつやふたつが誰の生活の中にも潜み始めているはず。これって年を取ったからそう感じるのかな?

 「どう解く?」という本がある。今年はこの本を2冊(シリーズ)で購入した。基本的には考える子供向けの本なのだろう、と思いつつも、大人が読んでもとても面白かった。「食べていい動物と、食べちゃいけない動物の違いってなんだろう?」というルールという回答で答えてしまいそうな問いから(ただルールを回答することがこの絵本の解ではない)、「人が嫌がることをしちゃダメとお母さんは言うけれど、ボクの嫌いな勉強をなぜ押し付けるの?」といった決して世の中にあるルールや論理で回答できるものでもないものもある。

 

 今日、Xのタイムラインで流れてきたポストの中で漫画ドラゴン桜の切り抜きがあり「考えることを止めてはいけない」「なぜ、駅の看板は多言語で表記があるのか、考えよう」みたいな描写があった。ドラゴン桜でいう「考える」は、「知識としての蓄積を貯めよう」ということだと思うのだが、つまりは知識が豊富であれば問いに対する答えをいくつも用意できるし、最適解を編み出せるよね、っていう。

 ただこの「どう解く?」における「考える」は、知識を増やしていくことを目的とするのではなく、きっと解はひとつでもよくて、問題に立ち向かう、問に立ち向かう姿勢を教えてくれる絵本だなと思った。無論、ドラゴン桜のくだりのように考え、知識をたくさん身につければ武器があることで問に立ち向かう恐れも減っていくのだけれど、知識がなくちゃ立ち向かっちゃいけない、ということもないよね、と。答えのない問いを、一緒に考えていける、そういう気持ちがきっとなによりも大事なのだと思う。

 考えるという行為は年をとるにつれしんどさを伴う割合が多くなってくる。なぜなら、「考え尽くした」ことが知識によって増えてしまうからだ。その間隙を縫いながら、答えを見つけ出さなくてはいけないけれど、それが答えかどうかも勿論誰かが教えてくれるわけではない。本を読もうとも、音楽を聴こうとも、そこにあるのはヒントにすぎず、「答え」と言えるかどうかは、自分自身にかかっているのだ。

 子供の頃であれば、誰かが答えをまず教えてくれた。それが本当の答えかどうかはわからない、けれどヒントが数多くあった。大人になって試されるのは、ヒントを探す、というところからだ。ヒントを探すことすら諦めてしまえば、考えることもせずに生きていくことはできる。その往来のしんどさを年々、感じていくことになるのだ。

 

 ひさしぶりに「アイアムアヒーロー」を読み返した。ちなみにここから先は最終巻ネタバレになります(酷すぎる)。

 あらすじとしては、街中に突如ゾンビがあらわれてゾンビと戦う、という話なのだけれど、「ゾンビはなぜ存在するのか?」という問いがある。主人公は生き延びることに必死で基本的にはゾンビとのサバイバルが物語の主軸になっているわけだけれど、クライマックスに近づくに連れ「ゾンビってもしかして意思を持って動いている?」という仮説がでてくる。結果、ざっくり言うとゾンビは「(ゾンビになった人間の)意識の集合体」ということがわかるのだけれど、「意識の集合体だから、孤独がない」という意見もでてくる。

 人間の孤独は、コミュニケーションの阻害から生まれるのだろうか? コミュニケーションを日々とっていても、孤独を感じることはある。孤独とは「思考の独立性」であるとするなら、このゾンビが孤独ではない、ということも一理ある。この漫画においては、ゾンビのこの考え方そのものはゾンビにしかわからない(ゾンビにならないとわからない)ので、主人公はひたすら闘い続けるのだけれど……。

 

 IT技術の発展によってもし私たちの思考が共有でき、共通項で結ばれ、限りなく独立性の少ない世界になったとしたら、そこに孤独は存在しないのか。しかし、考え続ける限り、問いを立て続ける限り、それは孤独と対峙し続けることになるのではないだろうか。情報が溢れ続ける中で、傷を舐め合いながら、孤独を癒やしながら、でも孤独を大事な感情のひとつとして、手放さずに生きていけたらと思う。

 

 さて、話があっちに行ったりこっちに行ったりしましたが。本当はアーティスト目を目的に見に行った「さいたま国際芸術祭2023」についてとか書きたかったんですけどね。年明け頑張って書きましょう。。。

 

 それでは、私が今年好きになったアーティスト、湯木慧の『スモーク』でしめたいと思います。 みなさまにとって、来年が今年よりも良い一年になりますように。世界にたくさんのいいことがありますように。

 みなさま、今年もありがとうございました。

 


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信じるものは心に在るだなんて/わかってる/わかってる/わかってるけど(スモーク/湯木慧)