今日もご無事で。

今日も無事なら明日も無事でいて。そんなくだらない話。

はてなブログに移行しなきゃ、、、と思ってちょっとずつ整理しているのだけれど、全然整理されない。

個人的に、2018年は変化の年だった。飛躍ではなく、ぐるぐると螺旋階段をのぼったりくだったりするイメージ。
いったいここはどこなのかもわからず、でも留まってもいられないからひたすらに逃げ場所を探した。

結果的に今年の変化が、功を奏すかどうかは、2019年にかかっていると言っても過言ではない。
歳を重ねるにつれ、「自分が何者か?」ということをしっかりと意志をもって生きていかなくちゃ、潰されてしまうことを実感している。
誰もがその問いに対して答えを持っていなくちゃいけないわけではないけれど、持っていたほうが人生は濃厚なものになることも感じている。

例えばそのひとつは自信から来るものだろうな、ということも気づき始めた。
「誰かと同じ」であることに自信を持つ人もいるし、「誰かと違う」ことに自信を持つ人もいる。
すごく投げやりに言えば、そのどちらか(同じか、違うか)において自信を得ることができたら、人生どん詰まることってそんなにないと思う。(思考において)

しかし、その「誰かと同じ」や「誰かと違う」ということを突き詰めていくと「自身がない」ことに気づいてしまう。
“誰か”って相対的な指標であって、本来“誰か”とかいらないはずなんだ。
つまりどういうことかというと、世界中君一人しか存在していないとして、なにが君を君たらしめるのか、ということである。

そうなったときに未だ私は他者を通してでしか「何者か」を語れなくて、でも、年を重ねるとその「他者」はどんどん“同じ化”されていってしまうのです。(この辺はまたあらためてちゃんと言葉にしよう)
とにかく、「私は私である」という歓びを、そして「私は私であれてよかった」という自信を、他者を介さずに、あるがままの自分という単位で持てたら、それはきっとものすごく素晴らしいことなんだろうなあ、と思っている。
こういうことってもっと早い段階で確立させるものなんですかね……死ぬ寸前まで唸っている気がする……死にたくないけど……

2018年、年の瀬になにか書かなくてはと、2割ぐらいの使命感にかられて書いた雑記でした。