今日もご無事で。

今日も無事なら明日も無事でいて。そんなくだらない話。

視野と視界

 歳を取ると、自分の癖が増えていくような気がする。経験が無意識のうちに仕草に落とされていくのだから、そりゃそうなのだろうけれど、ほとんどの癖があまりよくないものだなあと感じるので、なんとかして直せないものか、と思ったりする。

 これは癖なのか、環境が要因となっているのかは未だ判りかねるのだが最近めっきり反射が遅くなった。「猫、好き?」と聞かれたとして、「好き」と即座に答えられずに、「質問の意図はなんだろうか……」と面倒臭く考えてしまう。それが今までは、その場しのぎの無難な回答をいつも出せていたはずなのだが、なんとも厄介なものである。「面倒くさいやつにどんどんなっていく」とか「コミュニケーションが下手」とか、そんなことよりなにより、これらがおそらく“年老いていること”の表れであり、いままでのものが“悪化”しているだけなのだろうなあ、と思うとちと哀しい。

 

 その反射の遅さが要因してか、買い逃したものがある。「広告」という雑誌である。

広告 Vol.413 特集:価値(お一人様一点限り)

広告 Vol.413 特集:価値(お一人様一点限り)

 

  と、言ってもこの雑誌を実は数年買っていなかったので、ファンかといえばなかなか難しく、その理由として、この博報堂がだしている「広告」という雑誌は不定期に編集長が変わるのだ。そして、編集長が変わるごとに、雑誌の装丁からなにからコンセプトまるごと編集長の支持のもと、変わっていく。

 今回の「広告」を数年ぶりに、「ああ、買っておけばよかったなあ」と後悔したのは、“1円で販売していた”というコンセプトが好き/嫌いというよりかは、その内容とボリュームである。

 今後、以下のnoteで内容が順次公開されていくようなので、とても楽しみだ。

note.kohkoku.jp

 私が、この「広告」にハマったのは、クリエイティブ・ディレクターの市耒健太郎さんが編集長をされていたときの「広告」である。取材量(力?)が物凄くて、紙面いっぱいに文字が印刷されているページも山程あるのだけれど、どのページも、どのコンセプトも、とんでもなく面白い。読んでいて、楽しく、興味が深まり、ワクワクが止まらなく、「こんなことを学び続けながら死ぬまで生きていたい!」と思う一方で、「ところで、これってほんとうに人間がやったことなの……?(本当にこの雑誌の中にある主内容は人間がまとめたものなのだろうか?)」と思うほどに、びっくりするほど綿密で濃厚だった。

 ちなみに最終号?がアーカイブとしていまも公開されています。

kohkoku.jp

 ちなみに、この最新の「広告」も取材の幅が物凄そうだなあ、と思ったのが“欲しい!”と思ったきっかけ。

 今回の「広告」が出版されるにあたって、歴代の「広告」編集長にインタビューがされているのだけれど、そこに市耒健太郎さんもいた。

 その中でこんなことを語っていた。

市耒:だから、いくつか会社にお願いしたんだよね。ひとつは「雑誌の名前を変えさせてほしい」ということ。『広告』と名前が付いた雑誌に違和感があったというのが理由。でもやっぱり『広告』は外せなかったから、結局『広告|恋する芸術と科学』ってタイトルにさせてもらった。

 この発想のおかげで、私はこの雑誌を手にとったんだよなあ、と今でも思い出す。“恋する芸術と科学”という言葉の魅力にひかれて、この雑誌を手にとった人は少ないないんじゃないかな、と思う。

 

 観測範囲が幅広くなっているようで、どうしても見ているものはいつも同じ範囲だったりする。もっと、視野を広げるための行動を、視界を変える思考を、と思ったりもする。

 「広告」という雑誌は、フィルターバブルと言われる昨今において、その外側に連れて行ってくれる“ひとつのツール”だったと私は思っている。