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瀬戸内国際芸術祭2013×レポート,感想,まとめ〜その3(まちづくりについて)

過疎化していく島が生まれ変わる、そのきっかけとして誕生した瀬戸内国際芸術祭。
でも、「過疎化」とはいうけど、本当に過疎なのか。いままで書いていた瀬戸内芸術祭のコンセプトの根本をひっくり返すようですが、限界集落、過疎化について、書いてみたいと思います。
そして、私たちが過疎化していく村やまちにできることがあるとすれば、どんなことがあるのか、と。

▼過疎、また限界集落とは?
Wikipediaを参照すると過疎については、以下のような定義が一般的に成されている様です。

人口減少地域における問題を『過密問題』に対する意味で『過疎問題』と呼び、過疎を人口減少のために一定の生活水準を維持することが困難になった状態、たとえば防災、教育、保健などの地域社会の基礎的条件の維持が困難になり、それとともに資源の合理的利用が困難となって地域の生産機能が著しく低下することと理解すれば、人口減少の結果、人口密度が低下し、年齢構成の老齢化が進み、従来の生活パターンの維持が困難となりつつある地域では、過疎問題が生じ、また生じつつあると思われる。

また、限界集落の定義は以下。

過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になって冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になっている集落を指す、日本における概念。

限界集落には、区分がいくつかあり、存続集落、準限界集落限界集落、消滅集落、と段階を踏んでいきます。
限界集落とは2007年ごろから話題(限界集落の提起そのものは1990年ごろ)になり、高齢化が進む日本において行政が国民に危機感を煽る為に使った言葉でした。限界集落と呼ばれる村や町がまるでもう終わりに向かっているかのようなニュアンスを含んでいることから、一部の住民からは批判の声も上がっているそうです。
限界集落という言葉が示すような高齢化が進む村や町が存在するのは事実ですが、その言葉が産まれた背景を辿ると、それは村や町の人たちの気持ちから産まれたものではなく、政治的な思惑、政策アピールとして半ば無理やり誕生してしまった言葉であるという部分も否めません。

実際に「限界集落」と呼ばれている地域の人たちが、本当に暮らしていくことができていないかと言えばそうではないようです。
たしかに高齢者が町には溢れ高齢化が進んでいるけれど、しっかりとおじいちゃんもおばあちゃんも元気に暮らしているのがほとんどの実状なのだそうです。人が住んでいる以上、そこに暮らす人たちの知恵や技術でうまく生活していけているのです。
本当に暮らせなかったら、もうそこには高齢者、若者に関わらず住んでいるはずがないですからね。

限界集落の真実―過疎の村は消えるか? (ちくま新書)

限界集落の真実―過疎の村は消えるか? (ちくま新書)

山下祐介氏の著した「限界集落の真実: 過疎の村は消えるか? (ちくま新書)」では、このような問題(限界集落と世間は呼んでいるが、実際に足を踏み入れているとそこには問題がない)を踏まえ、地域の人たちが、その地域の未来を自分たちで決めるべきである、ということです。
もっと言えば、その地、その地域に適した政策が必要になってくるのではないか?ということです。
僕らの人々が暮らしていくための常識を、北海道から沖縄まで古今東西、持ち込んで整理することは間違いなのではないかということです。
北海道学園大学の佐藤信氏は「『限界集落』論と北海道の農村社会」といった論文で以下の様に述べています。

本来,異なった性格を有する北海道集落に対して「限界集落」の用語を使うことは,何らかの対策を講じる際に現実との乖離をもたらす危険性を否定できない。むしろ,北海道と府県の集落が異なった性格であるとするならば,その差異性を明らかにする作業こそがまず求められる。(佐藤信,2012)*1

▼と、いうわけで。瀬戸内国際芸術祭から僕が感じた地域の新しい可能性
前置きが長くなりましたが、人や動物と同じように地域の個性を探りつつも、多様性のある社会を作って行けること、個性を尊重した多様性のある地域へ再生させていくことが高齢化社会の進んでいる地域の新たな持続を考える上で大切なことではないかな、と思いました。
暮らしやすければいいってことで、僕らの常識を押し付けて若者が地域に戻ってきても、高齢者の行き場がなくなってしまっては、同じことが繰り返されるだけですからね、きっと。

だからこそ、今回の瀬戸内国際芸術祭はアートというジャンルを地域に持ち込みつつも、決して風景を損なわない、島に住む人々が暮らしていく上で違和感のない、島の人たちも笑顔で生活を送れるものを目指しているのだと思います。
公式ガイドブックなどを読む限りは、やはり住民の方々の反対が起きる場面もいくつかあったようですが、瀬戸内国際芸術祭実行委員会会長の浜田さんは公式ガイドブックの中でも、以下の様に述べています。

芸術祭の役割は、アートの力によって、島が本来持っていた活力や固有の価値を取り戻すことだと思っています。島に暮らす人たち、この芸術祭に関わるすべての人たちの、一人でも多くの笑顔が見れるよう、芸術祭に取り組んでいきたいと思います。

家プロジェクトのひとつに三分一博志さんの「三分一博志建築構想展」は直島に直島の地域の特性を活かした新しいコミュニティーセンターを作ろうというものがあります。
海や風、地形、太陽などの自然に溢れる形を動くもの、動かないものに分類し、それらをもとに設計したもので季節ごとに温度調整ができるようにする「エナジースケープ」という概念。
これもまさに地域の特性を活かした新しいまちづくりであると思います。

JA NO.81 三分一博志

JA NO.81 三分一博志

▼新しくまちへ行く人が、まちのためにできること
まちを再生するのに有益な地域連携の仕組みと情報配信を行っている一般社団法人AIA(Area Innovation Alliance)では、「やっぱり!ウェブは若者がまちづくりに関わるためのキーワード」といったタイトルのコラムの中で以下のように書かれています。

若者がまちづくりに関わるために大切なことは、今までの関係者ができなくて(でも必要だと頭の片隅で思っていて)、若者ができることです。そして、贅沢をいえば日常的な技能です(ホール音響ができます!って言われても、その技能を活かす場なんてなかなかないのです)。
そう考えると、一番「わかりやすく」「関係者に苦手意識があり」「そして、若者が大体できる」のは、パソコンができます!です。

チラシが作れます、ブログやtwitterで情報発信できますなどは、「じゃあ、一緒にやりましょう」とまちづくりの仲間に入れてもらいやすいキーワードです。

地方でまちづくりを中心として担っている方には壮年の方が多く、パソコンが苦手な人が多いのです。
(参考:» やっぱり!ウェブは若者がまちづくりに関わるためのキーワードエリア・イノベーション・アライアンス [ AIA ] 自立するまちづくり支援サイト)

ここまでを踏まえて考えると、私なりの考えは以下のような感じです。

・まちの人たちは元気に暮らせている場合もある
・つまり、新しいまちづくりは、そこに住む地域の人たちと共存するまちづくり
・あるものをより便利に、あるものを活用してまちを変えていく(≠僕らが思う“便利”をまちに持ち込んで古い物を新しい物に入れ替えていけばいい、ということではない)
・地域によって特性がある。その特性を活かしたまちづくりが必要
・そして、そのまちになにができるか?と言えば、そのまちにない技術を持ち込んでまちを活性化させていく

「新しい技術を持ち込んでまちを活性化させる」と言っておきながら「その地域の特性は壊さない。古いものを新しいものと入れ換えない」というのは一見矛盾しているようですが、前述した三分一博志さんのエナジースケープなんかは、まさにそうですよね。

▼新しい技術を用いて、古いものを生かし続けていくまちづくり
そして、もうひとつ、まさにそのような考え方を形にした“まちづくり”があります。

1年ぐらい前にテレビなどで特集されていて知ったのですが、「ヤドノマド」というプロジェクトです。
過疎化していく地域に住む方々に、FacebooktwitterなどのSNSの活用法を伝えて、よそ者の誰かがその地域の情報を発信するのではなく、その地域に住む人々がSNSを通じて全世界に発信していくのです。
それによって、知られていなかった地域の情報を多くの人たちに伝えることができます。

広げ方は違えど、瀬戸内国際芸術祭もまさにそうです。
あまり注目を浴びなくなってしまった瀬戸内の島にもう一度アートというジャンルを通して発信し、多くの人たちに知ってもらう。

それをヤドノマドというプロジェクトは、地域の人々にSNSを学んでもらい、自分たちで発信してもらう、まさに「その地域の特性を活かしたまちづくり」です。
その地域にしかないものを知っているのは、地域の人たちであるし、SNSを通じて情報を発信していくのは、新しいことではありますが、古いものを壊したり、入れ替えたりするものではありません。

もちろん、規模が大きくなれば課題も多くなるのでしょうが、素敵なまちづくりの方法のひとつであると私は思いました。
以下に、詳しく述べられているリンクを掲載しておきます。

ヤドノマド 長山悦子さん | もんじゅ
民宿のIT化で村を訪れるファンを増やせ!Facebookで地域をサポートする「ヤドノマド」 | greenz.jp

余談ですが、僕は以前から過疎化していくまちづくりについて学べたらな、と考えていましたが、それを自身の体験を通してより感じたのが今回の瀬戸内国際芸術祭でした。
誰もいない体育館でアートが行われる。
それはそれは、とても楽しいことなのですが、やはりイベントなどでしか使われなくなってしまった体育館、校舎、校庭、そしてそこに残された子供たちの十数年も前の作品を見ると、「未来につなぐことができない」という切なさを感じました。
東京にはこれだけ人が多く溢れて、吐き気がするほどなのに、どうして、この広い日本をまんべんなく、と言えどうまく活用していけないのだろうか、と思いました。
もっと、まるで蜘蛛の巣の様に、いろんな地域からいろんな地域へ未来をつなぐことはできないのだろうか、と思い、個人的に今回のことをまとめてみました。

ひとつひとつをあまり深く掘り下げられていない感じになってしまいましたが以上が、この瀬戸内国際芸術祭を通して考えた「まちの過疎化」と「これからのまちづくり」でした。

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瀬戸内国際芸術祭2013公式サイト
瀬戸内国際芸術祭2019

*1:佐藤信限界集落』論と北海道の農村社会 開発論集 第89号 65-76(2012年3月)