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今日も無事なら明日も無事でいて。そんなくだらない話。

あたらしい仕事と、僕らの未来。②

去年の7月ごろ、BRUTUSでは「あたらしい仕事と、僕らの未来。」というコピーのもと、僕らのこれからの働き方について特集があった。
その時に書いた記事が以下。

あたらしい仕事と、僕らの未来。 (BRUTUS) - 今日もご無事で。

そして、今回。
新たな春を機に「あたらしい仕事と、僕らの未来。②」と題し、“未来の社会を作る28人の仕事と哲学”を紹介する特集がされた。
前回が“企業”に重きを置いたのに対し、今回は“人(個人)”に重きを置いたな、というのが個人的な印象。

▼そもそも僕らの仕事がどこから来ているかのはなし。
前回記事を書いた時に「そもそも僕らの人生がどういう風に流れていくかのはなし。」と題して仕事観についての話を書いたので、今回は、「仕事がどこから来ているか」という個人的な考えを書いてみる(あたりまえのことをただあたりまえに書くだけだけど)。

例えば、僕らは当たり前の様に企業という組織の中で仕事をしている。
その企業がどこから仕事をとってきているか?といえば、もちろんクライアントがどこの企業にもいて、それを販売するなりなんなりしてマネタイズしている。
「食料を生産し、顧客に販売し、お金を産む」というシンプルな構造から、その食料を生産するためのノウハウを売る人、技術を売る人、道具を売る人、販売を手伝う人、流通を手伝う人、加工を行う人、などなど。
それがどんどんどんどん膨らんでいくことで、企業という形に変化していく。

雇用形態も様々で、正社員、契約社員、アルバイト、派遣、などなど。
夫々によって将来の方向性は変わる(とされていた)。

それだけ僕らの仕事、というのは世の中に様々な形で溢れていて、時代と共に急速に変貌しながら存在している。
どこから仕事が来ているのか、なんてことは分からないぐらいに高速で芽生えては、枯渇していく。

▼あたらしい仕事と、僕らの未来。②
今号のBRUTUS「あたらしい仕事と、僕らの未来。②」は、そんな僕らの「どこから仕事が来ているか」というテーマに対し「どこにだって仕事はある」という28の答えを呈示している。

前回は、Google資生堂といった大手企業の組織の在り方、これからの未来の在り方についてスポットを当てたが、今回はクラウドファンディングサイト「CAMPFIRE」で支援を募ったco-baを運営している株式会社ツクルバから、クマムシの研究者である堀川大樹さんなど、多様な“個人”にスポットを当てて特集されている。
今号で書かれているのは、「これからの企業の在り方」ではなく、「これからの個人の在り方」、また、個人が見据えている「これからの社会(仕事)の未来図」ではないかと。

ここにある個人(新しい企業)の挑戦が、日本という変化を好まない風土の中でどのように社会を変えていくか、その篇首である。

とかいいながら、楽天やグリーなど、大きい会社のリクルートも前回と同様に以下のサイトで行っている。
http://sekaikeiyu.jp

また田端信太郎氏、嶋浩一郎氏、中川淳一郎氏の三名による「デジタルメディア入門講座」といったページも作られており、今回は「多様な世の中の見方」を教えてくれる特集になっていると感じた。

BRUTUS (ブルータス) 2013年 4/15号 [雑誌]

BRUTUS (ブルータス) 2013年 4/15号 [雑誌]

▼社会はもうどこへも向かわないから、個人が向かう時代
今号のBRUTUSを読むと、社会という仕組みの中で、その船を動かすためにひたすら働き続ける社会はもう完成形に近くなっていて、これからは個人が、個人として色を出していく時代なんじゃないかな、と僕は思っている(とか言いながら、たった今の思いつき)。
と、言うのもついさっき以下のブログを読んで、体育会家を否定するだけの材料と代替案が揃ってないよなあ、とかいちゃもんつけつつも(すいません)「今の日本には昔のような経済成長の余地は残っていない。」という点には共感して。
「体育会の部活型組織」に未来はない - 脱社畜ブログ
まず、その部分を抜粋させてもらうと。

今の日本には昔のような経済成長の余地は残っていない。今はもう人をたくさん集めて軍隊のように命令に従わせて働かせたとしても、昔のように会社を大きくすることができるとは限らない。ここからさらに会社を成長させるには、いわゆる「イノベーション」が必要だが、イノベーションは「新人は黙って先輩の言うことを聞け」型の軍隊式の発想とは遠いところに存在している。(引用:「体育会の部活型組織」に未来はない - 脱社畜ブログ)

つまりそれは、不況であるから、とか、どの業界もいつ破綻してしまうか分からないから、という意味ではなくて。
大手企業なんかは、すでに理想形を作ってしまっていて、あとは時代に合わせて変容していくだけであるから、そこに個人が介入しても大きな伸びしろは想像しにくい、という意味。
社会というシステムに新たな色を足す生き方をするのであれば、企業が社会に介入していくのではなく、個人が社会に直接介入してく時代なんじゃないかな、と。

▼より大衆化した情報(共有の時代)
例えば、ブログやUstream、もっと言えばtwitterなどを通してリアルタイムに、タイムラグなしで世界中に情報発信ができる時代になったのは言わずもがなであり、その大衆化した情報に誰もが敏感になっている時代であることもたしか。
だからこそ個人のアイディアが勝負できるし、良くも悪くも誰かが「それ、面白いね」と声をかけ肥大させていくことができる。

まとめブログをはじめ、「面白いもの」を収集して発信することそのものがビジネスになっているのだから、収集する側からすれば、面白い物がビジネスとして成り立つかどうかは問題ではなく、面白ければ、それはもう彼らにとってビジネスになるのだから。
ただ、そのアイディアで勝負している側からすれば、収集してもらうことの反響によって今後に大きく関わってくるのだけれど。
しかし、メディアにより大きく晒されることで、企業としてではなく、一個人としてのアイディアが社会に介入していくことになる。そういう機会が増えている。

昔、「脱出ゲーム」というのがインターネット上で流行ったことがある。
FLASHを用いたコンテンツが盛んだった時期で、部屋に閉じ込められたプレイヤーはそこからいかに脱出するかを探るゲーム。
それを実際にやってみようと試みたのが「リアル脱出ゲーム(SCARP)」。

この企画自体は2008年頃には既にあったようなので思ってたよりも古いんだなーと思いつつも、いまでは、アイディアひとつで、とても大きなものになっている。
海外展開だって考えられる・・・のかな?
とにかく言いたいのは、アイディアひとつでも、まだまだ注目する人がこれからも限りなく出てくるコンテンツだろうな、ということ。

他にもライゾマティクス真鍋大度さんの実験映像から派生したプロジェクトパフォーマンスについてや、新しい仕事のスタイルを確立する基盤になるであろうco-ba(ツクルバ)の話、日本という場を飛び出して雇用を生み出すプロジェクトを手掛けるコフレ・プロジェクト、僕らが抱いている会社という概念を飛び越えたコンセプトを持つゼント、企業という形を保ちつつも現代アーティストなどを交え、まさに「仕事の哲学」を体現した産業技術総合研究所の話など、様々に掲載されています。

▼仕事がどこから来るか分からない、アイディアの扱い方が分からない、より答えのない時代に必要なもの
余談。
先日、海外でこんな記事がアップされた。
Japanese teenagers upload pictures of 'Dragon Ball attacks' in bizarre new craze sweeping the web | Daily Mail Online

日本の女子高生がtwitterにアップしたユニークな写真が瞬く間に世界中に広がった、という話。
ざっくりいうと、もうどこでなにがどう受けるかなんて、誰にも予想がつかないな、と。
それと同じように、なにが仕事になるかもわからないし、その渦中にいる人間でさえも自分自身の立ち位置を常に把握するのは困難になってきている。

だからこそ重要になってくるのは、それを総括して、俯瞰的に見ることのできるシステム的なもの、じゃないかな、と。
そういう意味では以下のような記事も僕はとても面白いな、と思いました。
ゲームを研究に応用? タンパク質の構造計算ゲーム「Foldit」 | Chem-Station (ケムステ)

タンパク質の構造計算ゲーム「Foldit」に当時は研究者たちが誰も解くことのできなかったHIVに関するタンパク質の構造を問題として呈示したところ、わずか3週間で解いてしまった、というもの。
面白いと思った人間が、面白いと思ったものに手を付ける、できる人間がパズルを解いていく。
受動的に選ばれるのではなく、能動的に選ばれていく(≒選んでいく)。

便利を追求し続けた僕らの未来に今、待っているのは、そのアイテムやアイディアをみんなで共有し、いかに持続可能なものにしていくかとみんなで考える未来じゃないかな、と。
でも、NAVERまとめとかそういうことではない気がするの(震える)。