今日もご無事で。

今日も無事なら明日も無事でいて。そんなくだらない話。

超雑記その2@071712

なんかまあ、いろいろと思うことはあるけれど。
“これからの音楽について”とかアルバムの再レビューとか書きたいなあって思っていたのだけれど。
基本的にこのブログは何かを紹介することで綴れたらと思っているので、この「超雑記」というのは本当は不本意なんです(つまり気力がない時=準備ができていなかった時に書いてます!)!

繰り返す毎日を最後まで/歩いてゆけたなら(home sweet home/山田稔明)

さてさて。
上記の歌のフレーズは金言となって僕の心にずっと残っていくし、これからも残っていくであろう言葉なのだけれど。

人は最後まで生きてこそ、人なのだな、と。

たまに「もし永遠の命が手に入るとしたら欲しいか?」って考えるんだけど。
例えば、いま苦しくたってさ、もしも永遠の命が手に入るならいくらでも手立てがあるわけじゃない。
別に逃げてその先に暮らす場所がなくたって死ぬわけじゃないんだし、地道になんかやっていけばいいわけよ。

永遠に生きることができるわけだから。

で、「いいえ、私は周りの人が死ぬのを見たくないです」って意見も聞くけど。
まあ、永遠の命が手に入っちゃうわけだから、新しい友達でも作ればいいじゃない。
人は忘却する生き物なんだし、そんな問題じゃないよそれ、って思うんですよね。

でも、100年、1000年、10000年って単位で考えた時、ゾッとする。

終わりがないってなんて怖いんだろう、と。
ゴールも目標もない、死という終着点すらない(まあ、死は終わりではなく区切りかもしれないけれど)。
それは怖いな、と。

そういう時、僕らに残された“生きる意味”というのは“とりあえず”ではあるけれど「この毎日を最後まで生き抜いていくこと」じゃないかと僕は思うんです。

それでも辛いことはあるし、苦しいことはあるし、避けられないこともある。

「あなたは一人ではありません。あなたを守ろうという人は必ずいます。」

と言われても正直、その言葉すら信じられない。
だって君はなにを犠牲にしてるのさ?
本当に守ってくれるっていうなら、いますぐここにきて世界ぶっ壊して欲しいわけです。

そういう「致し方ない理不尽さ」を抱え込んでしまうのが思春期なのだ。

逃れようのない苦しみの中に溺れた時、多分、僕らはなにも見いだせないと思う。
そうなったときに助けるなにかがあるとすれば、もうそばにいる人しかきっとできなくて。
いますぐにでも手を引いてどっか遠くに行かなくちゃ。

そうじゃないなら、本人が自ら逃げなきゃいけないんだけど。
もうその時はそんな気力すらなかったりする。
方法が分からないので。

僕らは経験から、未来を予測するのだと思う。

たくさん音楽を聴けば、躓いた時、それが光になる。
けれど、音楽を疑って生きていけば、躓いても、その時はただの雑音にしか聞こえなかったりするのではないかと。

だから、僕らができるのは、できるだけたくさんの種を社会に撒いておくことだ。

それは言葉だっていいし、音楽だっていいし、芸術だっていいし。
「あなたを守ろうとする人は必ずいます」という言葉は即効性はないかもしれないけれど、いつかきっと芽が出たりするかもしれない。
もっともっと、多くのものに触れる機会をたくさん作る環境が必要だと思っている。

だから現代は、twitterFacebookがあっていいなあ、と思っているけれど。
実際、文字で名言とかタイムラインに流れてきても、あまり響かなかったりするんだよな。
これはなんでだろう。肉声じゃないからか。

まあ、とにかく、被害者や加害者、それらに僕らが直接投げかけることのできる言葉は無くても、そういう社会を少しずつ改善していくなにかは誰もにできると思っていて。
その為に、種ばら撒いちゃえばいいのにな、と。

Mr.Children タガタメと遠藤賢司 歓喜の歌

Mr.Childrenのタガタメという曲は、とても強烈で。
もっともっと、世の中に知れ渡ればいいのにな、と思っている。
僕らは生きていく上で、怒りや悲しみに何度も何度も出会って。

その度に底知れない怒りや憎しみを抱くのだと思う。
その時、やっぱり自分の中の闇から引っ張り出してきた斧を振り上げて、そのすべての因子を裁こうとするのだろう。
しかし、その怒りや悲しみに満ちた瞳には、また後ろから別の誰かが斧を振り下ろそうとする。

僕らは連鎖する生き物だ。

片一方を裁くことでは終わったりしない。
加害者を裁いても、それは連鎖し続ける。
大切なのは、僕らが被害者になったとき、いや、加害者になったとき、どうするか、なのだ。

大切なのは、その時に、僕らが残しておきたいものなんだ。

事件とか哀しいニュースとかありますけど、そこの…その責任追及をするんじゃなくて、自分の内面に責任や原因の一端があるんじゃないかということを常に感じていたいな、と思います(NEWS23出演時より/桜井和寿)

そして、遠藤賢司歓喜の歌。
これはまたいつか改めて書けたら。
じゃあ、裏切られて怒りや憎しみを抱いたときどうすればいいわけ?まさか、鳥や猫のように昨日までの事は忘れて笑って生きていけたら素晴らしいとか綺麗事言うの?と反論されると正直返せないけど。

見よ一筋の光さえ閉ざしてしまう/裏切られて悲しみにくれた眼を/見よ信じまいと笑う僕等の上に/怒りの刃が打ちおろされんとす(歓喜の歌/遠藤賢司