なんで、笑っていいとも!終わっちゃうんだろうな、っていうわけじゃないけど、とんでもなく雑な散文
センター試験廃止が濃厚になったり、笑っていいとも!は半年後に終了が決定したり、季節はもう冬になったり。
ああ、あれやこれや、時代はどんどんと進んでいくな、って。
まるで僕は追いつけそうにない。特に心が。
十代の頃は「せめて二十歳までは、この答えを保留しておこう」と思っていたことがいくつもあった。
それは、もちろん自分自身が死んでしまうことであったり、将来の事であったり、家族のことであったりする。
でも、結局、その時に解決できなかったことは、いまでも解決できない。
二十歳じゃなくなってしまった今も、保留した答えはまだ保留したままで、どんどんと年を取っていく。
ああ、もう今日は散文だ。
レミオロメンの歌で「ビールとプリン」って歌があって、すげーいいなあ、って思ってたんだ。
っていうのもさ、恋人同士の歌なんだけれど、「せめてこの時間よ/止まれとは言わないよ/ゆっくり進め」ってフレーズがあるのさ。
ああね、ソラニンなんかもそうだよね。
あの漫画、たった二巻しかないけれど、結局、人生ってああいうものなのさ。
ああいう怠惰な時間は、たった二巻ぐらいしかきっとない。
あの漫画、二巻で終わってしまっているけれど、あの後もまるでああいう時間が続くように思えるけれど、それは無理なんだ。
年老いていくから、答えは保留されていくから、やがて僕らが時代に取り残されていくから。
若い人たちがどんどんどんどんどんと取り込んでいく。
東京がどんどん進化して、それに順応できない人たちは、思い出に縋りながら、ありものの幸せに頬を緩める。
ああ、今年も冬がやってきたねって。マッキーの歌に酔い痴れたらいい。
笑っていいとも、終わって欲しくなかったんだよな。
っていうか、終わると思ってなかったよ。
なんで終わっちゃうんだろうなー。
学生の時、観ていて、笑っていいともに元気もらっていた。
ああ、タモリさん、頑張ってる、って。
生放送のこの時間、毎日、毎日、休まずにテレビの前に出て、がんばってる。
タモリさんの日常にある、あれもこれも、ほったらかしにして、ふざけているよ。
昨日はなにがあったのかも、明日はなにがあるのかも、知らずに、タモリさんは何年も、毎日もがんばってるよ。
僕らはなにも知れない。
ただ分かるのは、与えられるのは、この時間の流れに対する、生きようとする勇気だった。
タモリさん、すごいなーって。
なんでこんなにがんばってるんだろうなーって。
僕もがんばらなきゃなーって。
それだけでフジテレビものすごい好きだったしね。
笑っていいとも!がなくなっちゃたらフジテレビじゃないよ、フジテレビは。
人は必ず老いていく。
そういう流れに逆らう気力もやがて失って。
消えゆく自我に、無理やりに死を肯定させられるんだろうな、っていつも思う。
だったらせめて好きなことやろうよ。
そう思いながら、無駄に働いている。
なんのために働いているのかって?
いくら好きなことのためと言えど、好きなことと言えど、これは働いているに他ならない。
少なくとも、人生を無駄に消化しちゃってる感じするよ。
するでしょ?
しない?
あと一年がんばろ、とか言うけどさ。
一年ってあっという間に過ぎるじゃん?
たぶん、がんばらなくても過ぎるよ、一年。
母親がよく言うんだよな、一週間なんてあっという間だよ、って。
僕はいつも返すんだけど。
「その一週間が長いんだよ」って。
でも君はもういくつよ?
あっという間に、もうその年齢さ。
大丈夫、一年なんてあっと言う間に過ぎちゃうから。
でも僕はそれが怖いのよね。
一年経ったとき、君はいくつよ?
あと何回、それがんばるの?
せめて三年は働かなくちゃ、とか言うわけ?
なんのために?
ああ、転職するには三年ぐらいね、ああ、そうね。
生きるために働かなくちゃいけないからね。
別に君はやりたいことがあるわけじゃないのか。
恋人ととね、一緒にね、暮らしていけたらいいのね。
それもまたひとつの幸せよね。
ああ、なんの為に生きてんだろうな。
これ、何回目の台風なんだろう。
10年に一度の台風って言うけど。
とにかく何回目の台風なんだろう。
俺、いままで何通分の迷惑メール処分したんだろうなー。
20歳からいままでなにやってたんだろう。
どれくらいのウェブページ見てきたんだろう。
まともに生きてるのかな。
まともに生きられてるのかな。
まさか生きていくことがこんなに歯痒いものだとは思ってもみなかったですよ。
思い通りに生きているんだけどね。
どうしてもお金が必要になって来るんだね。っていうのは、いままで生きてきたような水準を崩せずに生きてしまうんだね。
そうすると働かなくちゃいけない。
瀬戸内の海をみたとき、まるで幸せだったなー。
ああ、本当に幸せだなーって。
ずっとこの海眺めながら生きていきたいなーって。
もうボケて死ぬのもいいや、って。
でも、まだ瀬戸内にいけない。いままでの水準崩して、常識を捨てて、生き抜いていく自信がないから。
本当は生きていけるはずなのにね。
そういう人たちがたくさんいるのにね。
僕らは子供じゃないんだね。最低だねえ。
涙がぽろぽろと出ながら、最近は自殺してしまう人の気持ちもわかるようになった気がする。
もちろん、自殺なんかしたくないんだけど。
社会人になって思うのは、誰も責任の取り方教えてくれねーんだな、ってこと。
なにが責任かって誰もわかってなくて。僕も例外ではなくて。
だから、責任の取り方が、こうやって生きてきた自分自身への申し訳なさ、責任の取り方が分からずに死んでしまうんだろうな、って。
まるで散文だなー。
生きていこうよ。
でもゆっくりと生きていくんじゃ、明日にでも老人だ。
深呼吸はゆっくりだっていいけど、僕は明日にでも瀬戸内に行きたい。
こんなにも生きることが辛いのなら、
本当は伝えながら生きていきたい。
そうじゃないとか、こうじゃないとか、そういう軌道修正はいらないんだ。
だって例外ばかりなのだから。
君にとっての例外を、認めて生きていくべきなのだ。
ただ、社会という中に放り込まれたら、きっとそれは無理なんだろう。
だったら、伝えながら生きていきたい。
きっと答えはいつだって曖昧なようで、面影は見えているものなのだ。
いつでも神様は曖昧に、答えをはぐらかすけど。
それでも、偶然ばかりの世界は、あまりにも美しいなーって思うことたまにあるし。
生きていることに意味なんてないのなら、辛い思いをしていくだけ損じゃん。
それが生きる糧になりますなんて、後付だよ、納得させるための麻薬だよ。
目の前の景色に酔い痴れながら、生きていくことの辛さを味わったほうがいいよ。
狭いルールの中でなにが産まれるっていうのさーーーーーーーーーーーー(社会風刺ソング風)
ただ、自由に生きていけない中で、生きていく人間こそ、強い信念が必要って青島刑事が言ってたけどね!
生きているだけでいいのさ!
愛し合ってるかい!(雑)
つづく。