無題2
世の中には新しいことがたくさんあって、生まれては死んで、明日新しいことに見えていたできごとも、やがては古いできごととなる。
そんな当たり前のことを日々忘れながら、新しい刺激への感動を日々絶やすずに生きている。
appleの新製品が発売されることを世の中が期待して待つのは、いつまでなんだろう。
ポストappleがでてきたことに世の中が気づくのは、いつなんだろう。
やがてそれに変わる企業が世の中を風靡するとき、そこに立っているのは誰なんだろう。
東京は、常に工事中の街だ。
渋谷、新宿、池袋。
10年、20年後、50年後までの構想が、目に見えない形ですでにそこにある。
できあがった頃に、その風景にあるのは、誰で、どんなことをしているんだろう。
きっとまだ笑ったり、悩んだり、話し合ったりしているんだろうか。
また新しいストアがオープンする。
誰かの希望がそこに集約されている。
いつまで、ではない。いつまでも、と誰もが思っている。
でもそれはいったいどこに向かっているんだろう。
希望にばかりとらわれて、未来を失ってはいないだろうか。
じゃあ、未来っていったいなんだろう。
それはどこまで続いているんだろう。
個にしか未来はないのか、それとも街にも未来はあるんだろうか。あるんだろうな。
私は私であることを間違っちゃいけない。
私は私以外にいなくて、他の何者でもない。
世の中が変わっていく中で、置き去りにされる個である。
世界と自己はグラーデーションのようで、はっきりと境界がひかれていて、
自己は世界と脆い紐で結びついているだけのような関係だ。
すべてから遮断されたとき、孤独はいかようにもなるけれど、
世界と結ばれている中で、私は私であるためのアイデンティティが求められる。
諸行無常の中で、私は私であれるための愛を持って生きていかないと、
時代の流れに憂いを感じては感性を切り売りするような、虚無になってしまう。
私は私であれるために、なにをするべきなのか、なにをしていたいのか。
そこに過去も未来も関係ない。
ただただ“いまにある”ということを突き詰めて、今日を生きていくことを信じるだけなのだ。
そんな当たり前の地続きの向こう側で、死が待っている。
それを凌駕するようないまと私を探し続けている。