グラデーションと断絶
滅多に映画を観ない私は今、『スパイダーマン』を観ようかどうかを迷っている。しかし、スマートフォンのGoogleレコメンド機能ではスパイダーマン関連の記事をひとつも表示しないし、Twitterのタイムラインには誰一人としてスパイダーマンを語っている人がいない。仮に、私の思考の中をGoogleが覗いたとして、Googleは『スパイダーマン』を私に薦めてくるのだろうか。そして、『スパイダーマン』の話題が一切ない私の視界は、“世界から断絶されている”と言えるのだろうか。
世界はグラデーションになっている
FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣
- 作者: ハンス・ロスリング,オーラ・ロスリング,アンナ・ロスリング・ロンランド,上杉周作,関美和
- 出版社/メーカー: 日経BP
- 発売日: 2019/01/11
- メディア: 単行本
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ちょっと前に話題になった『ファクトフルネス』を読んだ。データから世界を見ていこうよ、という話である。物事を捉えるときに、事実から客観性を身につけることはものすごく重要だし、この本を読んでも尚、人間である以上、まとわりついてしまうであろう“思い込み”を自覚することもとても重要だ。データで見れば、世界は断絶なんかされていなくて、グラデーションになっている。そのグラデーションをいかに捕えて、しっかりと位置を把握できるかどうか、が“思い込み”から距離をおけるか否か、である。
『うしろめたさの人類学』という本では、世界の断絶は再構築によってつながりを取り戻せるとしている。断絶しているように見えるその世界は、確実に、自分の思考とのグラデーションの先(もしくは後ろ)にあるもので、決して他人事でもなければ、自分ごとの中心でもない、その距離感をいかに把握することができるかによって、自分の位置情報、もしくは自分自身の事実の位置情報を知ることができるのだ。
話はちょっとズレるかもしれないが、予防医学博士の石川善樹さんが「自然科学」と「社会科学」の違いについて、以下のように述べている。
生物学や物理学といった自然科学と社会科学の一番の違いは、「繰り返しができるかどうか」
で、この話がどうつながっていくかというと、そもそもは『創造性』の話であったのだけれど、その“『創造性』ってどういう風に作られるのか?”を石川善樹さんは検証しているのである。創造性という言葉の定義をどのようにするかではあるが、おそらく「創造性(クリエイティビティ)」と「断絶された思考」は、なかなか共存し得ないのではないかと思う。
石川善樹さんは、その創造性について必要なのは“大局観”であると述べている。物事を広くみる力だ。世界は断絶されているわけでもなければ、線のようにグラデーションになっているわけではない、そしてそれはまたX軸Y軸の2本の線でひかれる2Dの世界でもない、点と線が“空間”に混在している3Dの世界で、僕らの世界はグラデーションとなっているのだ。
そう考えると人間の『創造性』を“世界を捉える力”とした場合に求められるのは、点と点を線で結びつけ、その濃淡を直線で結びつけるだけではなく、その周りを取り巻く点を囲いながら曲線で結び、はたまたそれが点在している面を捉えるということなのだろうな、と感じた。途方も暮れる作業なので、まず“世界”なんて単位では無理だろうなと思いつつ、それが人間が創造した“神”なのだろうな、とも感じた。
なんか本当は、最近聴いたBUMP OF CHICKENの新譜とか、サカナクションの新譜とか、めちゃ書きたいことあったんだけど、だいぶ遠くなりそうなので、この辺にしとく。