今日もご無事で。

今日も無事なら明日も無事でいて。そんなくだらない話。

遺書みたいなもんが書きたくて〜その4/6月の悲しみは君が教えられたことじゃない

その1からお読みください
遺書みたいなもんが書きたくて〜その1/これがまた雑なんだな - 今日もご無事で。
その2
遺書みたいなもんが書きたくて〜その2/この感情の行方 - 今日もご無事で。
その3
遺書みたいなもんが書きたくて〜その3/わざわざ例えなくてもいいじゃない - 今日もご無事で。

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 理想郷は、脆い。煙草の先で揺蕩う煙を追いかけるだけの時間が過ぎる。どうしてだろう。もうなにも信じる事象がない君にとって、この世界に用はないはずだ。何日もこの場所で星屑の往来を眺めている。味のなくなった憂鬱を口の中で転がしてはガムの様に何度も噛んだ。地球を痛みつけるように無機質に聳え立ったビルの屋上から、狙撃手が僕の心臓を撃ち抜いてくれたらどんなにか楽だろう。本当は、あの頃の僕が僕を探しているんだ。横断歩道を遽しく行き来する人々。その中のどれかに僕が混じっていて、理想郷への入り口を探している。都会の真ん中で、潮の匂いがした。無心で走った僕は、身体中を擦り減らし、心までもが形を失っていた。他人はそれを空虚と呼ぶ。
 幼い頃、団地に住んでいた。記憶はそれまでで、放映されるいくつかのアニメを心待ちにしていた事だけを覚えている。引っ越しを繰り返し、一軒家へと移り住んだ。家の近くにある本屋は、よく遊ぶ際の集合場所になっていた。特になにを買うでもない。そもそも持ち合わせの金銭すらなかった。自転車を漕いで行く先と言えば、コンビニやスーパーで、最終的にはいつも公園へ辿り付いた。思いつく限りの遊びをし、気付かないうちに服に汚れがついていた。日が暮れる頃が、いつでも解散の合図だった。肌寒い冬の頃のことをよく覚えている。弱弱しい外灯を頼りにしながら、自転車を漕いだ。田舎では車のランプが思いの外、頼りでもあった。やがて通う事となる学習塾はいまでも残っている。寒さは、肌を通して景色を記憶を刻む。
 夢を持つ少年との対話。タイムマシンがもしもあるのなら、いますぐにでも叶えたい。それが夢であるのなら、過去と未来は交差して、その交点にはなにが示されるだろう。少年は、出口が見えずに迷っていた。青年は、答えが見えすぎて迷っている。お互いの苦悩を吐き出すまで飲み込んで、そのすべてが希望に繋がるのだと諭す日々がどこかで待っている。そう信じるだけの糧が、いまは足りていないのだ。過去の自分とも、未来の自分とも、言葉を交わすことができない僕らは、心の中にある不安や虚無と対峙する。闇の中で形を持たない心は、自由自在に形を変え隙を見せればすべてを飲み込む。目を瞑り、想像力だけを頼りに虚像の希望を燈す。その気力は残されているだろうか。
 街をゆく。完成間近だったジオラマを、破壊する。地下を掘り、地上を造る。助走をつけるだけの滑走路がないから、誰一人として羽ばたけない。いいや、そもそも羽ばたくことを教えられていない。数千円で買えるスニーカーで、舗装された道を歩くことだけが自然と覚えた道理だった。
 あの日、起き抜けにつけたTVの向こう側で無残な映像が映し出された。歴史に刻まれる終末。彼は、たくさんの人を無差別に傷付け、失い、なにか心の中の靄を晴らすことが出来たのだろうか。彼のことを好き勝手に考察する有識者たちにはなんのヒントも眠っていない。ルールに乗っ取った異常論で塗り固められた脳を頭蓋骨と一緒に真空状態にパッキングして彼の前に差し出せば、きっと鼻で笑う。これは僕が望んだ答えではない、と。なにを叫んでいたのだろう。なにを訴えたかったのだろう。彼にとっての人生とはなんだったのだろう。生涯を終える覚悟もないまま、きっと飛び込んだ交差点。そこに彼が望んだ理想郷は無かった。
 そこに、幼少の頃の彼がいたのなら何か変わっていただろうか。
 夢は時に残酷に、僕らの心を鋭利なナイフで容赦なく抉る。それはなんの変哲もない日常の中ですれ違い、ふいにぶつかる他人の様に。溢れ出る鮮血に戸惑う思考。それでも心は虚無(な)くならない。感情のない感情は、心があるからこそ成立するのだ。止血を待っている。その美しく飾られた白いワンピースが真っ赤な血に染まりながら、抱き止めてくれるのを待っているのだ。子供では耐えられない、大人としての成長痛が容易には乗り越えられない。その先には、慢心を心得た他人も数多くいる。彼はそれを知って躓いたのだろうか。
 畦道から蛙の鳴き声が聴こえる。自動車が高速でアスファルトを擦る音が夜空に響く。星がなだらかに時代を移ろう歌が零れる。そのひとつひとつを穏やかな心で描けてゆけたなら、彼は幸せに暮らしていけただろうか。丁寧に切り取った記憶を、褪せる前に彩色する日々を僕らは必要としている。理想郷は脆いが故に、その幻影はいつでも蜃気楼の様に現われる。浮かんでは消える微かな感覚に、戸惑いを隠せない感性を愛してくれる人を必要としている。ああ、光はいつだって記憶の中だ。いいや、彼の心はいつだって穏やかだったはずだ。答えが見つからない日々に、終止符の打ち方がわからなかっただけなのだ。
 だって、誰も教えてくれない。
 ああ、煙草の先で揺蕩う未来を追いかけるだけの時間が過ぎる、今日も。