今日もご無事で。

今日も無事なら明日も無事でいて。そんなくだらない話。

零落/浅野いにお[感想その2・ネタバレ]

 人生は誰にとっても意味のないものであると考えることができた瞬間、それまで抱いていた欲望は泡と消え、誰かの為に生きたいと強く思う。
 その誰かがもし身近な誰かであるのであれば、その人の願う自分を演じるし、そうではなくもっと大きな何かであるのなら、人生はより一層加速する。
 意味のないものならばいっそ、この身や思考は誰かの幸せのために捧げるべきだと強く思う。そうすることが誰かの幸せや、結果、自分の幸せにつながる。自分の幸せのためだけに拘り続けるのは、あまりに虚しい。

 浅野いにおの零落は、漫画に生涯を捧げる男の話だ。
 主人公の深澤薫は30代半ばの漫画家、ヒット作を生み出したはいいが、完結後、次回作が思うように産まれずにもがき苦しむ。妻・町田のぞみとの関係もうまくゆかず、風俗にかよっていると風俗嬢ちふゆと出会う。深澤薫にとって、ちふゆは、自由を求めながら生き、その姿は20代を謳歌しているようにも見えた。そしてなにかを求めるように小さな逃避行をともにする。愛情を求めていたのか、刺激を求めていたのか、それはわからない。
 けれど、その後のシーンで深澤薫は語る。漫画にありとあらゆる情熱や思いを注いできてしまった。だから、もう自身の中にはなにも残っていなくて、ひたすらに欠落しているのだ。

 久々に向き合った
 原稿用紙は
 どこまでも広大で、

 僕はひどく
 息が詰まった。(零落/第6話)

 “喜びも悲しみも、人としての営みも、全て漫画の中に置いてきた”と深澤薫は語る。
 人は感情を持って産まれる。そのほとんどが、泣きながらであると言う。年を重ねるにつれ、誰かに伝えたいと思う。ある時、その思いは伝えたい形では伝わらないことを知る。受け取った側にも感情があって、解釈が歪んで、他者の視点で自らの思いが再構築されることを痛感する。ある人はそれでも相変わらず伝え続けるだろうし、ある人は工夫を凝らし、ある人は閉じこもりがちになったりする。だけど、共通してあるのは、おそらく自己の存在の本質を問いたい、ということだと思う。
 深澤薫は、自身のなかの感情の欠如に気付いた後、自由を求めて生きていたちふゆを思い出す。

 あの時、
 ちふゆに言って
 やればよかった。

 自由は手段であって
 目的であっては
 ならないのだ、と。(零落/第6話)

 自由を求めて生きていたちふゆは、その自由を手にした時、なにを思うのだろう。遮るものがなにひとつとない広大な草原を目の前に、生きる希望はどこへ行くのか。ただ一心不乱に、その先にある“なにか”を求めて我武者羅に駆け抜けてきた深澤薫は、いま、為す術もなく立ち尽くしていた。漫画という手段が、その感情のすべてを受け止めてくれてしまったが故に、自由と同時に、ある種の満足を得てしまったのだ。

 その後、深澤薫は「自分の信じる漫画」を書くことを諦め、「売れるための漫画」を書くことを決める。それが正解かもわからずに、だけど、「自分の信じるもの」とはなにかもわからない状況で、立ち止まることは迷いを増大させるだけだった。
 深澤薫は、所謂“売れ線”というものを毛嫌いしていた。読者に媚び、お涙頂戴のベタな路線で売れることは、「読者を馬鹿にしている」と考えていた。だからこそ、深澤薫の書くと決めた「売れるための漫画」は、つまりは「読者を馬鹿にした漫画」を書くことの決意でもあったのだ。
 でもそれはすなわち、深澤薫にとって「漫画のために生きる」ことに他ならなかった。常に彼の人生には「漫画」という世界が絡みつき、逃れることのできないものであったのだ。その取り憑かれた、漫画に対していつも真剣で、ひたむきで、漫画を描き続ける純粋な姿を、大学時代の彼女は「あなた…化け物です。」と言った。
 結果、彼の考える「売れるための漫画」は見事にヒットし、サイン会が開かれた。“今の漫画読者にとっては、この程度の媚びた漫画が丁度いいんでしょうね。”と握手会で書店員に語る彼は、明らかにこれから交流を重ねる読者たちを見下していた。
 しかし、握手会で出会ったある読者との交流で、彼の心は揺れ動く。そして、気づかぬうちに涙を流していた。
 この描写、おそらく彼にとって、ひたすらに漫画を描き続けることがなんの報いにもなっていなかったと感じていた思いが、成仏した瞬間だったのだと思う。ずっと孤独と向き合い続けながら、漫画と向き合い続けてきた彼に見えた新たな気付きだったのだと思う。

 なにか意味を求めようとすると息詰まる。意味を求めようとすることも、人生にとって大事な行為だと思う。少なくともまだ僕は、そうでありたい。
 でもそうじゃなくて、例えば、ただの広い草原に立たされた時、純粋に向き合いたいものはなんなのか、世の中にあふれるもののほとんどが、その必要性のないものであることに気付いた時、僕らはなにを答えとするのだろう。
 「なんの意味もない」という気配がかすかしているこのときに、その準備をはじめなきゃいけないのかも、と、この漫画を読んで思った。