今日もご無事で。

今日も無事なら明日も無事でいて。そんなくだらない話。

愛すべきこの世界で

ゴールデンウィークにはいった。粛々と日々を過ごすけれど、世の中は相も変わらず不調のようだ。そんなことはないか。捉え方次第。
久しぶりに文章を書くから、どうにもうまく書ける気がしない。相変わらず散文だし、それでも書きたい気持ちが半年ぶりに湧き上がったので、こうしてパソコンのキーボードを叩いている。昨年買ったMacBook Proの平たいキーボードからぱちぱちと無機質な音が立てられて、その横ではスピーカーからケンドリック・ラマーのアルバムが流れている。クラシックとかジャズとかでしか受賞してこなかったピューリッツァー賞音楽部門で初の受賞だそうだ。快挙だそう。なので、あんまり聞き慣れないラップが流れている。

都心から少し外れたショッピングモールに出かけると、駅前ではカラオケを歌う男性が2人いた。駅前で歌うミュージシャンみたいな人たち、男だと全く観客がつかないのに、女性だとぽろぽろつくんですよね。あの観客、下心があるのかな。どんなもん抱えてんだろう。
ショッピングモールは人だらけ、恋人同士が多くて、それはきっと勘違いなのだろうけれど、人は一人か二人で行動するのが多いのかな。このペアになって生きていく仕組みは、人間の限界なのだろうか、と思った。うん、全然考え方がまとまってないんだけれど。とにかく人混みは人々の感情が様々で、カオスだった。

ある漫画が非常に好きである。いまテレビではバレエダンサーの特集が組まれている。身体でなにかを表現しようとしている。音楽もそうだ。絵もそう。なんとなく僕はそれが好きで触れてきたけれど、今日ふと思った。人は言葉に頼り過ぎじゃないか、と。
こんな風に言葉でなにかを書いたり、伝えたりしているから、僕らは言葉を通してやり取りをするけれど、言葉は手段であって、すべてではない。本当に僕らはそれをすべて自覚しながら生きているか?「言葉にしなきゃわからないよ」と誰かが言ってそれを非常に不思議に思いながら、納得がいかなかったことを、いまここで自分が抱いたその感情に理由ができた。
人は怒れば誰かを殴るかもしれないし、辛い時はその身を震わせているかもしれない。それぜんぶ含めて人間で、表現だ。

すれ違う人たちが、後ろからイタリア語だかなんだか、その横では中国語だか、前の方ではスペイン語だか、そんな風にバラバラの言語が話される真ん中で思った。僕はその中心にいた。

その人は、心でできているのだ。
言葉は一部であり、もしかしたら一部ですらないかもしれない。言葉だって疑ってかかるべきである。
僕の好きな歌で、「見たものすべて、聞こえるものすべては真実ではない」と歌われているものがある。もっと好きな歌で「言葉とは裏腹に、違う思いを抱いているかも?」と歌う歌がある。
どうしてもみんな、言葉が簡易的に通じ合うツールだから、それを信じがちだし、頼りがちになってしまうけれど、人の心はもっと複雑で、深いところにあるのだ。

こんなタイミングで、時事に影響されやすいから、僕は「西鉄バスジャック事件」について調べてた。
被害者の人たちの状況も酷く胸が痛むものだったけれど、加害者と、加害者の家族の気持ちも、辛いものがあった。
世界は、必死に分かり合おうとしていたのに、うまく調和できなかった。

言葉から得られる想像は、人それぞれなのだ。
「人を殺したい」という言葉が、どのような想像を得てそこに書かれているのか。それとそこからどのように想像を得るのか。それは全く別のことなのだ。
きっと僕が書くこの文章にも、込められた思いなんて意味がなくて、それは、書き手と、受け手が、違う世界を想像しているから。

でも例えば、人間が思いをなんの隔てもなく共有できるようになったその先にあるものはなんなんだろう?と考えた時に、これまた不思議な気持ちになる。その先の残るのは?愛?
でもただひとつ、2018年の現在、現代で思うのは、人の心を、少しでも適切にIN/OUTする為に、言葉以外の手段も模索しながら、知りながら人は生きていかなきゃいけないし、その手段が、人を救ったりするのだろうと思う。
そうして人類は進歩していくし、それなくして人類は進歩しないのかも?とすら思ったりする。

科学と芸術はお互いに恋をして、今日まできた。きっとこれからもそうで、大事なのは想像力だ。お互いが、お互いを、言葉ではないどこかで表現していることを忘れてはいけない。ある人は身体で、ある人は形で、ある人は言葉で、物事を伝える。
科学と芸術が、お互いに重なり合って、相乗効果で、もっと最果てまで行くんだろうなって思う。

いまはずっと読んでみたかった『火花』を読み始めている。音楽はFLYNING KIDSの『境界線』を流し始めた。いや、よかったよ、ピューリッツァー賞

僕はそんなストーリーを/うまくかみしめてみたり
時にどうしようもなく/くだらなく思ってみたり
ぶらさがり風に揺れる/今日この頃(境界線/FLYING KIDS)

こんな恥ずかしいこと、ブログでしか書けないけど、僕がこの世界で生まれて来て尚、確かめたいことってなんなんでしょうね。
そんなことをこの年齢で考える自分が好きだし、あと10年、20年、死ぬまで考えられるような、迷うような人生でありたいなと思う。それだけ最近思った。

やるべきことがなにかなんて、滅多には見えてこないけど、できるだけ時代と寄り添って生きていきたい。
優しさが人を救うことだってあるし、悲しみはあっていいことではない。
世界をどれだけ愛することができるか、ゆっくり考える時間があってもいい。

人生は一度しかない。それも最近すごくよく思う。
二度はないんだ。