物語の役割/小川洋子
好きな作家のひとりに、小川洋子さんがいて。
学生の時に、教授にそのこと伝えたら「そういえば私も好きで、書評かなんか書いたことあるわ」なんて言われて。
その時に教授に勧められたのが「物語の役割」という本だった。
小説家として活動される一方で、エッセイなどもたくさん書いている小川洋子さん。
そんな小川洋子さんが、「心」と「言葉」に向き合った一冊が、「物語の役割」
- 作者: 小川洋子
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2007/02/01
- メディア: 新書
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ほんとうに悲しいときは言葉にできないぐらい悲しいといいます。ですから、小説の中で「悲しい」と書いてしまうと、ほんとうの悲しみは描ききれない。言葉が壁になって、その先に心をはばたかせることができなくなるのです。それはほんとうに悲しいことなのです。人間が悲しいと思った時に心の中がどうなているのかということは、ほんとうは言葉では表現できないものです。それを物語という器を使って言葉で表現しようとして挑戦し続けているのが小説なのです。(物語の役割/小川洋子)
小川洋子さんの本は、いつだって透明感がある。
物語の奥底に眠る刹那が、言葉のひとつひとつから滲み出ていて、僕らの記憶を擽る。
見たことのない風景が、鮮明に目の前に広がって、冷たい風が肌を伝う。
それは、いつだって「どうやって悲しみを表現するか」ということに限られていたのかもしれないな、と思う。
本当の悲しみは、嗚咽したって抱えきれない事が多い。
だって、どこまでその悲しみが続いているかさえもわからないし。
酷なことだけれど、“時間が解決してくれる”というのが、やっと出せる答えのひとつだと僕は思っている。
ところで。
この本は、そういった類の悲しみとか、人間の感情の起伏をどのように、自身で人は受け止めているのか?受け止めて行けばいいのか?という話。
小川さんは、“人は自分の中に物語を作ることで、感情を受け止めているのだ”という。
大雑把に言えば、「悲劇のヒロイン」なんて言葉があると思うけど、あれがまさにそのひとつだと思う。
悲しみに打ちひしがれた時、自分が物語の主役であると思うことで、“演者”であると錯覚することで、悲しみを受け入れる。
そっと、柔らかいクッションで、決して消すことはできないけれど、沁み渡らされていく。
さまざまな実例をもとに、小川さんは“物語”の大切さを説いていきます。
僕が、印象的だったエピソードのひとつが、
ノンフィクション作家である柳田邦男さんの息子さんの話である。
彼は自殺してしまった。
柳田さんの息子、洋二郎さんは、心が耐えきれなくなった時、
「樹木が僕に語りかけている、勇気づけてくれている」と思ったそうです。
これも、またひとつ、“感情を受け入れるための物語の形成”と小川さんは述べています。
柳田さんのエピソードそのものも、そうなのですが、
僕が印象的だったのは、その柳田さん、洋二郎さんのエピソードを包み込む
小川さんの言葉の綴り方です。
それは、まるで、カウンセラーのような、前述したような「悲しみを悲しみという言葉で表さない悲しみ」といえばいいのでしょうか。
とにかく、かなしみをやさしさでそっと包めたような温度で、小川さんは言葉を綴っています。
僕も勝手に物語を作っているのだとは思いますが、これを読んだ当時、僕は「ああ、小川さんはわかってくれている」と思ってしまいました。
こんな風に理解してくれる人がいるなら、生きていける、とすら思いました。
あの時、そんなになにか悩んでいたわけでもなんでもないので、大袈裟な意味ではないのですが、
つまり、小川洋子さんは「人の悲しみの受け入れ方」が、とても上手な、言い方が正しいかわかりませんが、優しい、素敵な方なんだと思います。
僕が学生の時に、とても尊敬していた教授の一人に臨床心理士(カウンセラー)の方がいたのですが、その人の書く文章が、とても小川洋子さんに似ているな、と常々思っていました。
だからこそ、わざわざ「小川洋子が好きです」なんて教授に打ち明けたわけですが。
なんか、非常に、それに似ていたのです。
カウンセラーという職業は、日々、様々な局面、患者さんの感情に出くわします。
つまり、柔軟な心の対応が必要になってきます。
ただ、冷静に受け止めればいいというわけでもなく、冷静に受け止めていたら、その人の心の温度は測れないわけですから。
つまり、その人の温度を確かめながら、自身も傷つかないようにコミュニケーションしなければならない。
そして、僕らにそういった事例を説明する時は、いつも、淡々とされていました。
それもまた、“冷たい”という淡々さではなく、“やさしさ”に包まれた言葉の連なりでした。
小川洋子さんは、河合隼雄さんとも対談されたりしており、とにかく、「言葉」だけではなく「心」に対しても深い思慮を持たれている方なんだなあ、と感じました。
カウンセラーなんて言ってしまうと、カウンセラーの方に失礼かもしれませんが、とにかく、優しい方なんだ、と。
この「物語の役割」は、そういった「説く」ばかりの話ではなく
あくまでエッセイなので、小川洋子さんの個人的な話も多くあります。
特に小川洋子さんの「死に対する気付き」というのは、とても素敵でした。
ああ、小川洋子さんの小説にいつも「刹那」があるのは、「死への気付き」が含まれているからなのだな、と。
この本の、最後のフレーズは、小川洋子さんが好きな人なら、生き甲斐を探している人なら、誰にでも読んでほしいです。
小川さんは、こんな風に死を受け止めているのだ、と。
こんな風に、生きていくのだ。だから、小説を書いているのだ、と。
とにかく、「生きていくということ」に対する小川さんの大事なエッセンスがたっぷり詰まった一冊ではないかな?と思います。
たとえば、非常に受け入れがたい困難な現実にぶつかったとき、人間はほとんど無意識のうちに自分の心の形に合うようにその現実をいろいろ変形させ、どうにかしてその現実を受け入れようとする。もうそこで一つの物語を作っているわけです。
あるいは現実を記憶していくときでも、ありのままに記憶するわけでは決してなく、やはり自分にとって嬉しいことはうんと膨らませて、哀しいことはうんと小さくしてというふうに、自分の記憶の形に似合うようなものに変えて、物語にして自分のなかに積み重ねていく。そういう意味でいえば、誰でも生きている限りは物語を必要としており、物語に助けられながら、どうにか現実との折り合いをつけているのです。(物語の役割/小川洋子)
もっと、柔軟な心で、ストレッチをして、ほぐしながら、現実に対応していきたいと。そう思います。