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新しい青の時代/山田稔明[感想・レビュー]

「新しい青の時代」そう名付けられたアルバムのジャケットには、イラストレータ福田利之氏による山田稔明氏と愛猫ポチをイメージした青を基調とした絵が描かれている。
そのジャケットから僕が感じた第一印象は、強い意志だった。
なにか強い意志を持って、山田稔明氏と愛猫ポチはそこにいて、その風景を守っている、その場所を守っているように感じた。

アルバムのジャケットを開くと、そこにはまた“新しい絵”が描かれており、その対照的なアートワークは音楽とはまた少し分離した“新しい芸術”である。
いや、これは多分、アルバムそのものにも言えることだけれど、ここにある絵や、音楽や、言葉たちは、古くから続くものを守る為に、ここにまた新たに存在して、そういう意味では決して新しいものじゃないのかもしれない。
海や、川や、森や、空と同じように、当たり前のようにそこにあって、けど、それらと調和するのではなく、それらと同じように、自然としてそこに在る。

どうこのアルバムについて伝えて行けばいいのか。

アルバムそのものを一言で言うなら、「スタンダード」だと感じた。
ただしそれは、保守的という意味ではなく、中立という意味でもなく、良いでも、悪いでもない。
それは、個人的には「評価されるべきではない」という意味だ。

「スタンダード」は、もうはじめからそこに存在して、いろいろなものの中核に、あるべくして基準として、ベストとして存在していて、そこに甲乙つけてしまうなんてナンセンスだからだ。
変な話、まるで「無印」で、“ただそこに強く在る”と表現すればいいだろうか。
深く強く沁み込んだその“青の時代”は、もう既に歴史に刻まれていて、まるで僕らの介入を許さない、人の生涯みたいなもの、だと思う。

じゃあ「新しい」ってなんなのか、って言ったら、それは聴き手の僕ら自身がつくっていく、という意味での「新しい」ではないのだろうか。
“青の時代”を塗り替える“新しい青”は、それぞれの色で、それぞれにあって、それぞれが新しく塗り替えてゆける。

その魔法のキー作となる「新しい青の時代」だ。

と、いうのが個人的に思ったところ。

アルバムの実際の由来は以下の記事に記されているので気になった人は、是非。

山田稔明は、当初は新作のタイトルを「blue」にしようと考えていたという。ジョニ・ミッチェルの名盤のようだ。最終的に「新しい青の時代」と題されることになるのだが、それはピカソの「青の時代」を踏まえたものだという。「青の時代」とは、親友の死を境にピカソが青を基調とした絵を描いていた時代のことだ。(引用元:「新しい青の時代」を生きよう 山田稔明ワンマンライヴレポート(宗像明将) - 個人 - Yahoo!ニュース)

新しい青の時代 [GTHC-0004]

新しい青の時代 [GTHC-0004]

M-1. どこへ向かうかを知らないならどの道を行っても同じこと
アメリカ合衆国北部中西部に先住するインディアン部族のスー族のことわざに、同じ言葉がある。山田氏自身、Twitterの名言botで見つけて、そこからインスパイアされて作られた楽曲だそうな。
そういえば、僕は山田氏をフォローしたくてTwitterをはじめて、そのついでに名言botもフォローして、ハマっていたのを思い出した。
アコースティックギターとハープによる軽快な弾き語りで綴られる、偉人達の言葉で、まさに“言葉にすると薄っぺらいから/音符を並べて歌を歌うんだろう?”というフレーズを思い知る。

正直な所、もうこの楽曲そのものが、GOMES THE HITMANというバンドとは別の場所にあるような、山田稔明という一人のソロアーティストが確立されたような、それだけ毛色の違う楽曲であるように感じた。
ずいぶん前から、この山田稔明というアーティストは存在していて、何年経っても色褪せない、当たり前の歌が、当たり前に綴られて、でも、それは決して当たり前ではない問いかけを常に僕らに投げかける。

M-2.一角獣と新しいホライズン

味のなくなったガムみたいな 色褪せてしまった日々を 僕は夜明けの海にひたして インディゴに染めなおした(一角獣と新しいホライズン)

何度でも口ずさみたくなってしまうフレーズ。それは言葉も、メロディーも、すべてが魅力的だからだ。
このアルバムのリード曲なんて存在しないのだろうけれど、他の楽曲と比べて特別キャッチーな楽曲なんじゃないかな、と思っている。
そして、なによりポップだ。
この楽曲に染みついた刹那を、振り払うように、日々の希望を掻き集めて、メロディーに乗せてスピーカーから溢れてくる煌めき。
印象的なギターのフレーズがいくつも鏤められたイントロや間奏は、そういった日々の希望を表現しているような音色にも感じる。
打ち込みなのかもしれないけれど、個人的には、Aメロからサビへ飛び込んでいくまでのドラムのフレーズもとても好きで、これはきっと、シンガーソングライターだからこそできたフレーズであって、ドラマーの人だったらこうはしないのかな?と思う。
とにかく聴いていると、その煌めきに、前向きになって、僕はまたもう一度、色褪せてしまった日々を染めなおしてみよう、と背中を押してくれる楽曲だ。

M-3.光と水の新しい関係
はじめてライブで聴いた時、「名曲だ!」と感じた。
シングルでもいいからはやく聴きたい、聴きたい、と心待ちにした。
「情熱スタンダード」という楽曲もそうなのだけれど、サビの一発目のメロディーで伸ばす曲っていいよね。

M-4.予感
これは女性のコーラスが入っていて、そういう意味ではGOMES THE HITMAN期をちょっと思い出してしまうような、そんな楽曲。
ただ、あの頃にはきっとなかったようなストレートな言葉で、でも、無理やりなメッセージソングではなくて、悲しみの海をすこしだけ穏やかにするような歌。

救われない哀しみがこの世界には溢れてる/それでも僕たちは言葉探しの旅に出る(予感/山田稔明)

M-5.平凡な毎日の暮らし

このアルバムが強い意志を持ってそこに在るように、この楽曲もまた、強い意志を持ってここにある。
三拍子で胸の奥に迫ってくる、この楽曲は、「平凡な毎日の暮らし」という幸せと刹那を歌う。
「当たり前」ということは、いつ終わるかわからないという刹那であり、僕らの暮らしにどんな意味があるのかという無慈悲な問いかけでもある。
天国だってあるかもわからない、死という刹那に対する答えも出せない、けれど、目の前にある景色は、紛れもない幸福として僕らの胸に喜びを残す。
「そばにあるすべて」という楽曲でも歌われた様な、僕らには到底手におえない「意味」を目の前に、成す術のない現実を前に、ただただ抱きしめるしかない痛み。
生きていくということは、夢を見るということなのかもしれない。
そんな風に、この楽曲を聴いていて感じる。

曖昧な天国の話 始まりと終わり もう手に負えないや(平凡な毎日の暮らし/山田稔明)

M-6.月あかりのナイトスイミング
僕がこのアルバムでもっとも好きな楽曲。
ピアノのイントロすげーな、って心の底から思った
そして言葉の綴りも素敵だ。

この楽曲が産まれたきっかけは鳴門海峡大橋を渡る時に見た、瀬戸内の風景と山田氏は語るのだけれど、僕自身、瀬戸内が好きで何度か足を運んでいて、この楽曲を聴く旅に、その景色を思い出す。
夕焼けをもっとも美しく描写している楽曲って、これなんじゃないか?って思うぐらいに、僕はこの楽曲が好きだし、素晴らしいと思うし、涙出ちゃう。

けっして急いでいない、というのがこの楽曲の魅力だと思う(それは山田稔明氏の楽曲全般にも言えるのだけれど)。
苦しみとか、悲しみとか、そんなものがいつだって僕らを悩ませて、どうにかしたいと思うのだけれど、でも、そんなことはとりあえずいいのだ、いまはこの景色に、思いを馳せていたいから。

夕焼けが追いかけてきて 振り返りもしないうちに 真っ赤に燃えるバックミラーが なにもかもを 飲み込んでゆく(月あかりのナイトスイミング/山田稔明)

M-7.やまびこの詩
中学一年の時の合宿で山登りをしたことがある。
山を登っている途中、地上を見下ろしたら、一面の緑で、「あ、このまま死んでもいいや」と思ったことを覚えている。
中学一年だからはっきり言って、悩みなんてないし、くだらないことしか考えてないし、僕はアホだったから死ぬことがなにかなんて考えたこともなかったし、そんななにも考えてないような僕が、そんなことを思ったのが今になってとても不思議に思う。

と、個人的な話をしてしまったけれど。

歌のそのものは、山田氏がライブをすると「“もう少しだけ”のコーラス、みんなでやりましょう」と、客そのものがコーラス隊になる楽曲。
アコースティックギターが爪弾かれながらやさしく始まり、ベース、ドラム、バイオリンも、そこに調和するように流れ込んでゆく。
女性コーラスと、山田稔明氏のコーラスがLRから染み込んで、世界観に浸透してゆく。
「もう少しだけ」というコーラスが徐々に増えていくと、僕らの前に、それはまるで「hanalee」で感じたあの時の風景の様に広がってゆく。
やがて、物語は展開して、東京へ戻った主人公は、その雑踏に紛れ込んでも尚、潰れそうな心を、あの時の景色と重ねながらなんとか生きて行こうとする。
ちなみに「今日は死ぬのにもってこいの日」という本が合って、それもちょっと関係してるんじゃないか?とか思う。

M-8.光の葡萄
この楽曲は良い意味で、「山田稔明らしくない」と個人的には思った。
言葉の綴り方は、紛れもなく山田稔明なのだけれど、メロディーやアレンジが、どことなく「貫録のあるメジャーアーティストの渾身のシングル!」みたいな(なにを言っているか分からない)。
妙に格好いいのだ、とにかくこの楽曲。特にCメロの部分とか、メロディーとアレンジ。

この街はまるで 光の葡萄みたい それぞれの房で 甘い実を 結んでひらいて夜が明ける(光の葡萄/山田稔明)

M-9.日向の猫
あるべき幸せを歌った、あるべき歌。
三拍子のワルツは優しく、リビングに響き渡って、この風景ずっと続けばいいのになあ、ときっとこの主人公は思っているのだろうな、と。「千年の響き」という楽曲の現代版、にも感じるな。
「ラララ」というコーラスは山田稔明氏が、全国のライブ会場のお客さんのコーラスを掻き集めて作ったもの。

いつか、この楽曲を聴きながら、おだやかに日々を過ごせる時がくればいいな、とか思ってしまう。
いまはまだ、きっと誰もが、忙しい日々だから。

M-10.ハミングバード
このアルバムを象徴する、と言っていいのか分からないけれど、これこそまさに、「評価」なんて言葉の介入を許すべきものじゃないな、と感じる。

シンガーソングライターとして、アーティストとして、山田稔明氏の決意が綴られた歌であり、そして、ある意味では僕らの決意でもある。
“平凡な毎日の暮らし”の果てに、なにが待っているのか、僕らにはなにもわからないけれど、その未来は、きっと僕らの為だけにあるのではなくて、せめてものその暮らしの祈りが、また誰かの暮らしに届いたなら。
ライブで聴く、声を枯らしながら山田氏が歌うハミングバードは、とても素晴らしい。

M-11.あさってくらいの未来(blue remix)
山田さん!誤植?を見つけてしまったよ!
手を“降る”になってるよ!
これはもう増産するしかない!


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