今日もご無事で。

今日も無事なら明日も無事でいて。そんなくだらない話。

mina-mo-no-gram/今日マチ子

今日マチ子さんは、よくあるような青春を描きたかったのだろうか。
それとも、いつかの、あの日の、読んだ人の胸をすくような風景を描きたかったのだろうか。
この繊細なタッチと物語が魅せる“mina-mo-no-gram”は、平日の、静かな午後に読み切ってしまうのが、きっととても似合う漫画だ(僕は休日の窮屈な列車の中で読み終えた)。

mina-mo-no-gram (書籍扱いコミックス)

mina-mo-no-gram (書籍扱いコミックス)

本作は、漫画家・今日マチ子と演出家・藤田貴大による漫画作品だ。

登場人物・青柳が、学生の頃から大人に成長していくまでの記憶を辿るストーリーは、本当の僕らの記憶みたいに、ところどころが抜け落ちて、言葉がリフレインして、曖昧なシーンと強烈なシーンが交錯する。
でも、それは、青春という言葉から想起するような甘酸っぱいものじゃなく、このmina-mo-no-gramが映し出すのは、青柳の哀しみとモヤモヤだ。
自分自身の中に見いだせない、決定的な答え、結果、方向。それらに苛々し、葛藤し、そして理由の分からない喪失。

虚無とか、空虚とか、なにもない日々をゆっくりと過ごす中の小さな痛みとか、そういう類を胸に抱いてしまう人に勧めたい。

水彩画みたいな漫画の一コマ一コマは、僕らの想像力に半分くらい委ねられている様で、たまに言葉が足りなかったりする。
それを補完するように、僕らは僕らの記憶を上書きしていく。
川崎という青柳のとってのある意味でのパートナーの存在が、徐々に、ある意味では強烈にフラッシュバックしながら薄れていく流れに読者は飲み込まれてゆく。

失ってゆく瞬間のひとつひとつに、思いを馳せてしまう人は、いつだって息苦しい。
その亡くなってしまう空気に、耐えきれなくなって、拠り所を探す。
きっとある意味では、青柳にとって一歩先にいた親友や、恋人が、大事な指針だったのだ。

そんな中、彼女には、彼女と似た境遇の実子があらわれる。
心に余裕が出来たのか、彼女が成長したのか、ゆっくりと記憶の海へと潜り込んでゆく。
息苦しさに悶えながらも、その深い海の底で、彼女は彼女自身の“けじめ”をやっと見つける。

本当は、喪失の時間にこんなゆっくり時間は流れない。
僕らは日々の忙しさに、押し殺されて、心を失って、青い空の下で、つまんなく空虚に生きている。
だから、この物語は、ある意味で羨ましくて、幸福な物語だ。

でも、本来は、そんな忙しなさなんか無縁の中で、そうやって自分の中の空虚と向き合うことで、一歩が踏み出せる。
記憶の海をぐるぐるとスプーンで掻き混ぜながら、なにかが浮かんでくるのをじっくり待っている。
そういう日々が、生きるということだと思う。

喪失の時間、僕らはゆっくりと記憶と向き合える。