今日もご無事で。

今日も無事なら明日も無事でいて。そんなくだらない話。

文化庁メディア芸術祭@国立新美術館

しばらく書けていないので、メモとしてもかるく書いておく。
散文的メモ。
あとでもっかい。

今年度(23年度)の文化庁メディア芸術祭
去年より映像作品が多かったかな、という印象。

いつも人が多いのでなかなか作品との自由なタイミングでの接触ができないのが、この芸術祭なのだけれど、案の定今年もそうだった。
それが毎年残念(時間帯も悪いんだろうけど)。
人があっちいったりこっちいったり話し込んだり、立ち止まったり、映像作品や体験するものは特に集中できないよね。

ところで。

やはり、思ったのが“言葉にしないこと”の強さ。
映像作品「rain town(レインタイウン)/石田 裕康」なんかは見入ってしまったのだけれど。

静かで淡い画面に終始映し出される雨。
でも、それは虚しさとか悲しさとか侘しさは醸し出していない。
ただ確実に、どこかで見たことのありそうな風景だ(ある、ではなく、ありそう)。

僕はアーティスト(芸術家)ではないので分からないが、やはり言葉にしないで自身の感性を表現する、言葉にできない部分を技術で表現する、というプライドはあったりするのかな、と思ったりする。

行間とか余白とか、そういう部分に“思い”とかそういう思念ではなく“揺るがない強さ”みたいなものが見え隠れしていて、興味が湧いた。

「やさしいマーチ/植草 航」なんかもそうで。
想像がすっと広がっていく。
時間を感じさせないインパクトなんだよね、アートって。

僕は芸大生の卒展も、このプロの集大成も好きだけれど。
その違いってやっぱり洗礼されているかいないかもあって。
ここに置かれた表現達は技術的に磨きに磨かれたものばかりだった。
悪く言えば綺麗過ぎて。
良く言えば人当たりが良い。

また新人賞をとった「ヒマツブシ/植木 秀治」は嬉しかった。
やっぱり、みんなこんな想像してたのか!と。
くだらなすぎて、人と話すときに思いだしもしなかったけれど、子供の時車に乗りながら必ずやっていた遊び。
そういうのをアウトプットしてしまう。
そしてそれが受け入れられてしまう異常さ、不思議さ、にちょっと妙。

あとは「アナグラのうた〜消えた博士と残された装置〜/犬飼 博士,柴崎 亮介,飯田 和敏,有山 一郎,笠島 健司,禿 真哉」はまさに人類の未来だ!と日本科学未来館で見た時から思っていた。
コンピューターに制御され、コンピューターに命を吹き込み、コンピューターと共存し・・・。
僕らの未来はやがて僕らじゃない、僕らのコントロール下におけないなにかの下で蠢いていくんじゃないかと。
けど、それは決して悲観的に捉えられることじゃなく、捉えようもなくて。
もうそもそも未来という概念自体がなくなってしまうんじゃないか、みたいな。

個人的にこのメディア芸術祭は世の中の流れの一端を把握するにとてもよい芸術祭だと感じています。
なので、パンフ買ってあとで情報整理している。

そんな散文的メモ。