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あたらしい仕事と、僕らの未来。 (BRUTUS)

BRUTUS (ブルータス) 2012年 7/1号 [雑誌]

BRUTUS (ブルータス) 2012年 7/1号 [雑誌]

▼そもそも僕らの人生がどういう風に流れていくかのはなし。
例えば僕らが小学校から大学(4年生)まで教育を受けるとして、その年数は16年。そこに幼稚園や、大学院が含まれれば約20年前後、教育機関のもと社会を学ぶことになる。

日本人の定年退職の年齢は基本的に60歳。大学生が新卒として23歳に入職し、そこからひとつの会社で仮に勤め続けるとするなら退職するまでの年数は60-23で37年間。

一方、日本人の平均寿命は82.9歳(2009年)。小数点以下第一位を四捨五入して83歳を寿命とする。すると、ほとんどの人が退職してから死ぬまでの年数は83-60で23年。

▼仕事観について
当たり前だけれど、僕らは仕事をしながら生きていく。仕事をしないと精神的に不安定になってしまうし、社会が「仕事」という概念によって回る機関である以上、僕らはそこにハマっていないことに恐怖を覚える。動物としてではなく、人間として。それが至極当然のように人生の中で「仕事」に費やす時間を増幅させ「仕事人間」なんて言葉がまかり通ってしまうような社会が出来上がる。いわば、「仕事」とは「社会とのつながり」であり「生き甲斐」とまで言わしめる構図が現代にはある。

それだけに「仕事の在り方」とは“現代人”にとってのテーマなのだ。

▼あたらしい仕事と、僕らの未来
本号のBRUTUSでは「あたらしい仕事と、僕らの未来」と題し、あたらしい仕事についての特集が組まれている。Google資生堂Sonyといった大手企業の新しい社会の切り取り方、実践の仕方、ビジネスについてや、若手IT起業家の家入一真、田中泰生、武石幸之助、國光宏尚、井口尊仁、など注目の「新しい働き方」についても幾ページかが割かれている。

本誌は「求人誌」の役割としても「新しい取り組み」を行っていて、BRUTUSが取材した企業はそれぞれが“人材募集”をしている。その様子については、本誌とhttp://hellonewwork.jpを通してみることができる。

▼世の中の体温をあげる、ワクワク、発想、着想、とか
「こんな面白い仕事があるのか」という驚きも勿論あるけれど、大手企業が行っている新しい取り組みや、クリエーターのひとたちのソーシャルメディアを利用した斬新な作品、プロダクトはどれも素晴らしい。

とくに本誌を通じて感じたものが「仕事に境界はない」ということである。これからはD&DEPARTMENTやJAMSSといったような「専門性」がとても求められる時代である、と言われる一方で本誌にはtakram design engineeringやSmiles:、TRANSIT GENERAL OFFICEのような「複数の専門性」を担うことでマルチに動けるプレイヤーとして動いていく企業、団体、個人もいる。また、資生堂のネットを通した化粧品の販売、アドバイス、ケアを行う「制度品と通信販売とのボーダレス化」や「イベントを定期的に開く建築家」と紹介されたsuppose design officeのような、既存の仕組みからの新しい着想を行う企業もある。

しかし、そのどれもが「定義」に縛られたりはしない。月並みではあるが、レールの上を歩き続けるだけではなく、時に臨機応変に大胆に、手段を取捨選択し「ビジネスとしてやれること」を追求している企業が掲載されている。

個人的にはGoogleの勤務時間の20パーセントを業務以外の自主プロジェクトに費やすという制度が素敵だった。

要所に寄稿されているコラムも面白い。ちきりん、西田亮介、中村健太、坂口恭平、各々によって「働く者へのメッセージ」と題されたコラムが掲載されている。

▼「仕事と私、どっちが大事なの」と「社畜
「仕事」にどれだけ重きを置くかは、ざっくりいえば人生観だ。「仕事と私どっちが大事なの」というようあるドラマ仕込みの台詞にはよくそれが表れていると思うし、甲乙のつけがたいテーマであると思う。

社畜」という言葉が表すのは、そういう日本人がようやく気付き始めた「もしかして、仕事とは生き甲斐ではなく、生きるための手段にすぎないのではないか?」という気持ちの代弁でもあると思う。ただ、「仕事」が「生き甲斐」であることを否定しているわけでもない。「社畜」という言葉は「とくにやりたいことがなかった」人間たちへの社会からの気遣いとしての因果応報でもあると思うから。「生き甲斐」を見出していないのに「働いていた」なんて言い訳にしか聞こえなくて、ちょっとだけナンセンスな気がする。

▼働き方を考える、生き方を考える、明日への意志を確かめる
でも、とにかく僕らが「仕事のありかた」「働き方」について考えるべきなのは確かなのだ。

「どうやって生きていく?」とはすなわち「どうやって働いていく?」であり「どうやって暮らしていく?」である。それを判断するための基準が、BRUTUS本誌で分類されている「距離」なのか「時間軸」なのか「業態」なのか「文化」なのか。どのように働いていくかは、本誌にあるような距離、時間軸、業態、文化をどのように越え、どのようにステップアップしていくかが問題である。

「なにをして幸せ」だとか「だれのためなのか」だとか、そういうのはよそう。

僕らは僕らの価値観で、あたらしい未来を作れる。それが僕らの未来であり、僕らの仕事である。自分の働き方について考え、無理やりにでもキャンバスに強く色を塗り加え、豊かなその自画像をいかに見せていくか、認めてもらえるように努力するか、そのような仕組みをつくるか、を考えることができた人が、また新しい場所に飛び込んでいける、いつでも新鮮な世界に触れて生きていけるのではないかと思う。

ただ、まあ、新しいことをやればいい、って話ではないと思うけども。

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