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容疑者Xの献身&聖女の救済/東野圭吾[ネタバレなし]

人の生涯は、なんのためにあるのだろう。

東野圭吾の小説の面白さは、その人間模様にある。

様々な生涯の捧げ方がある。
それは愛であったり、憎しみであったり、執念であったり。

しかし、なにか一瞬の煌めきの為に生涯を捧ぐことは、一瞬であるが故に永遠ほどに儚い。
例えその煌めきの根源が、憎しみや怒りであっても。

でも、その一瞬の煌めきの為に、誰もが必死に生きているかもしれない、というのもまた事実で。
もしも生きる意味、というものが存在するとするならば、僕らはその信念を貫くことを神様から課せられているのかもな、と思ったりもする。

この「容疑者Xの献身」も「聖女の救済」も決して、憧れの生き方ではないけれど、憧れの人物像ではないけれど、それぞれの登場人物が抱く「強さ」と「脆さ」は誰もがきっと大なり小なり持ち得るもので、うまく付き合っていかなきゃいけないし、うまく伝えていけないものだと思う。

ひとつ、憧れに似た感情を抱く部分があるとすれば、数学者石神や聖女の救済の犯人、もちろんガリレオたちにある「揺るぎない信念」みたいなものは羨ましいかもしれない。

ミステリーであると同時に、人間模様の描かれ方が素晴らしい

数学に生涯のすべてを捧ぐはずだった男が、隣に住む親子(母、娘の母子家庭)の為に生涯を捧ぐ物語。
ミステリー小説として米エドガー賞の候補にもなった本作だが、著者である東野圭吾が書く小説には切なく狂おしい程の人間模様も如実に綴られている。
ミステリーとしてのスリリングな展開も十分に楽しめる本作ではあるが、その人間模様の描かれ方だけを切り取っても素晴らしい小説。

本作はガリレオシリーズ初となる長編である。
探偵ガリレオ、予知夢などの短編も含めガリレオシリーズの物語は、ガリレオこと物理学者湯川教授が刑事草薙の持ち込む不可解な事件の解決依頼によって始まる。

ガリレオシリーズの短編と、長編

ガリレオシリーズは短編でも綿密に描かれた人間模様が随所に鏤められているが、長編での読みどころと言えば「最大の敵」や「最悪の敵」と言ったキーワードで売り出されているところだ。
「容疑者Xの献身」「聖女の救済」共にガリレオからすると「勝ちたくない」「勝ちにくい」相手であるのだ。
その主人公ガリレオ「人間的葛藤」が何百ページと言ったページ数で語られていくのが読みどころ。

本作「容疑者Xの献身」の敵となるのは、ガリレオの親友の数学者石神である。
学生時代に四色問題という命題を通して仲良くなった二人が、とある事件をきっかけに再び出会う。
その事件の犯人が石神であるかもしれない、という葛藤と共にガリレオは事件の真相に迫ろうとする。

“誰にも解けない問題を作る”のと、“誰にも解けない問題を解く”の、どちらが難しいか?

映画だったか、原作だったか忘れたが、たしかキャッチコピーが「天才vs天才」とかだった気が。
あとは作中にもある台詞だが「誰にも解けない問題を作るのと、誰にも解けない問題を解くの、どちらが難しいか?」と言った台詞がとても印象的だ。

「解き続けること」から「愛する人を守り続けること」へ

いずれにせよ、本来なら、彼らはそういう「謎解き」に生涯を捧げていくような男だった。
短編から一貫して女っ気のないガリレオ同様に、石神という男も全く色気も恋沙汰もなかったのだ。

ただただ世の中にある「方程式」を解き続け「解」を求め続けることに「生涯」を捧げ、「生きる意味」とはすなわち「世の中にあるありとあらゆる事象を論理的に解釈し、証明し続けること」であったはずだ。

ネタバレにならないように大部分は省略するが、石神という男は「解き続ける事」から「愛する人を守ること」へ生涯を捧ぐことを覚悟する。
その献身の仕方は、想像を絶するものであり、文章を読んでいるだけで強く胸が締め付けられるものであった。
人は人を愛する、ということにここまで献身的になれるものなのだろうか、と。

ガリレオの苦悩

ガリレオの苦悩はそこにあった。
僕は、その辺りが映画でもよく描かれているから映画も好きなのだけれど。
数学の天才であると言われる石神が、その頭脳を「殺人」という人として許されない行為に使うなんて。
その背景に隠された様々な、登場人物たちの心情がまた心を締め付けるのだけれど。
ガリレオが苦悩するように、石神も苦悩していたことが明らかになったときは、たくさんの「もしも」が交錯して、やり切れない気持ちになる。

理論上はありえるが、現実的にはありえない(聖女の救済)

2作目の長編「聖女の救済」は「僕たちはおそらく負ける」と言ったコピーで売り出されている。
というのも物語上でのトリックはなんとなく推測できているがガリレオにとってそれは「理論上はありえるが、現実的にはありえない」という虚数解トリックであるからだ。

本作にはドラマでも登場していた内海といった女性刑事がでてくる。
そのせいか、本作は「女性の物語」である。
登場する女性たちのそれぞれの葛藤、苦悩が複雑に交差し、事件の裏側に絡んでくる。

この「聖女の救済」も「容疑者Xの献身」同様に読後、読者にたくさんの「もしも」を想像させる。

女性の献身と執念と恋い焦がれ

「聖女の救済」において内海は「女性なら・・・××するかもしれません」といったような女性視点の意見を投げ込み草薙から「馬鹿なこというな」といったレスポンスを返されるシーンがいくつかある。
後々、草薙が内海の意見に耳を傾けるようになると同時に、物語が進展していく。

「容疑者Xの献身」と比べ事件の内容そのものは短時間で解決できたはずのものであるけれども、その人間模様がより事件を難化させ、複雑化させたのかな、と。

女性ならではの打算的な献身さ、驚くほどの執念、避けられない恋い焦がれが、「女性って強いなあ」と感じさせる物語(著者は男だが)。

いずれにせよ、「おそらく負ける」と言ったコピーが期待感を最高値まで上げ、最後まで読ませた!

あと、「容疑者Xの献身」と違い、何度も実験を試みては失敗し、といった前作にはないガリレオの実験の繰り返しが印象的で面白かったかな。

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真夏の方程式/東野圭吾[感想・レビュー]@ちょっとネタバレ - 今日もご無事で。