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アラブ・エクスプレス展@森美術館

ざっくり言うと、平凡の域を出ないアートだったな、と感じた。
というのもインパクトに欠ける作品群だった。
ただ、「アラブ美術の現状」という点においては多くのメッセージ性が籠められた美術展であったし、なによりアーティストの熱意が感じられるものが多かった。僕が残念だったのは、その表現方法とか、訴え方みたいなものが、平凡の域を出ていないかな、という点。

▼西洋が作り出した「フィクションのアラブ」
それまで西洋が作り上げてきたアラブのイメージは、日本で例えるならば「フジヤマ」や「ゲイシャ」のようなもの、と解説されていた。
僕らが海外の“情報”をなにかを通して得る限り、そこには個人の歪曲した主観が入らざるを得ない。
例えばテレビで流れる“なんの編集もされていない映像”であっても、それは“編集はされていないが一部である”ことであって、僕らは真実を見ていないことになる。

じゃあ、一体なにが真実なのだと言えば、そんなもの個人の中にしかなくて本美術展でも「アーティストが作り出した作品そのものもメディアとしての役割を担い、そこには真実でないものが映し出されている可能性もあることを作者は見据えている」とある。
言ってみれば「フジヤマ」だって「ゲイシャ」だって真実であることに違いはないし、誰もアラブが「戦争」と「砂漠」だけであるとは思っていない。
それぐらいに僕らの現代は“逆に”情報が溢れかえり過ぎてしまっている。

正直な所、こんな風にしてアート作品にして訴えなくったって僕らの頭の中には届いているのだ、表面的には。
ただ、その裏側の、根底にある“アラブの血”みたいなものが作品には表れていて、そこを感じるべき、歴史を認識するべきであると僕らは思う。

ちなみに、そういう「いったいなにが真実で、なにが虚実なのか」を試した作品はいくつもある。
そのうちのひとつが、「エブティサーム・アブドゥルアジーズ《リ・マッピング》」
アラブ周辺国の地図をアルファベットを数字に変換し、それを縦と横の長さにする、そして高さを美術の発展度であらわす、という斬新な基準で作り直している。

▼「アラブ芸術」が訴えかけるメッセージ
一方で、アラブ・エクスプレスは「それまでのイメージを覆す(覆したい)」というメッセージとは他に「貧困」から生まれる作品も数多くあった。

それは貧困そのものを作品へと昇華したもの。
例えば、「アマール・ケナーウィ《羊たちの沈黙》」という作品では貧しい地位にある羊飼いの人々を四つん這いにし街中を歩かせその貧しさをより可視化した。
それにより抗議が生まれ、アーティストと町の人々は対峙する。
後に、この「羊たちの沈黙」のパフォーマンスを行ったアーティストは逮捕されてしまったらしい。

町に住む人たちの「こんな風に人々の心を踏みにじる様なパフォーマンスをすることがお前にとってアートなのか?」と問う言葉は、とても大事なキーワードだと思った。
社会風刺は時に、その渦中にいる人たちを傷つける行為にもつながる危険性を孕んでいる。
そこに意味はあるのか、と言えばきっとあるのだろうけれど、それは果たして訴えるべき人にちゃんと伝わるアートなのか、と考えると、そうでないかもしれないな、と思う時が僕はたまにある。

▼そのままを映し出す芸術
また、作品の中にはこのアラブ・エクスプレス展のテーマとなっている「加速しながら変貌していくアラブ」の様子をそのまま捉えたものもあった。
突如、建設されるビルや、建設途中のドバイのインスタレーション「リーム・アル・ガイス
《ドバイ:その地には何が残されているのか?》」、など。
これは僕らなんかにはピンと来る人と来ないひとで分かれるんじゃないかと思うけれど、言わばずっと住んでいた町が、そうでない町に変わる瞬間とか、そういうものをそのまま直に表現していた。

「アハマド・マーテル《マグネティズム》」なんかは、特になにをするわけでもない、ただ磁石に集まる蹉跌を、宗教と科学で“解釈表現”させたもの。

この展示には、そういう「モノの見方」を試す作品が多かったな、と思った。
話している内容は古典文学なのに、目の前に銃を置くだけで聞いている人間の心情を不安にさせる「シャリーフ・ワーキド《次回へ続く》」やただのアマチュアを映した写真なのにどこか哀愁を感じさせる「《ペプシとコカコーラ》(「カイロの町の労働者」シリーズより)」など。
また、思い出すらねつ造できる時代に僕らは生きているのではないか、という揶揄を込めた「アトファール・アハダース《私をここに連れて行って:想い出を作りたいから》」

僕らの見かた次第で、僕らの世界は大きく変わっていってしまう。
ただ、それを自覚できればいいが、大半がきっと無意識のまま、世界をコントロールされている。
そういう恐怖を、彼らは訴えようとしていたのではないか、と感じた。