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今日も無事なら明日も無事でいて。そんなくだらない話。

白夜行/東野圭吾×超雑記その3@102912

白夜行 (集英社文庫)

白夜行 (集英社文庫)

うーん。。。
確実に上手く言葉に出来ない事は承知の上だけれど、どうにかして吐き出さないとこの暗鬱な空気に押しつぶされてしまいそうだった。
それぐらいに救いのない小説だった。

800頁に渡る長編で、常時重苦しいムードが行間にまでも詰め込まれている。
ただでさえ物語の世界観に影響されやすい僕が、それ以上に読んでいる間の、小説から外れた世界までもが淀んでいた。
特に先日は雨であったし。

僕は物語の中心人物である雪穂や亮司よりも、その周り、彼ら、彼女らに関わってきた人たちのことを思うと辛い気持ちになった。
雪穂や亮司は小説の中では心情を語らないし、躊躇いもなく犯罪に手を染め、人々を傷つけた。
その潔さが彼ら彼女らの“芯”であり“心情”であり、物語の奥に潜んでいる妖艶さが一種の魅力となり、読者を惹きつけた。

しかし、それ以外の人たちは違った。
その心情の葛藤や苦悩は時に痛々しく、読んでいても目を背けたくなるような描写がいくつかった。
“(物語上は)必要のない苦しみ”まで描き出していたのが、辛かった。小説だったら、もっと都合よくていいのに。傷つく必要のない人まで傷つけるなんて。。。

そもそも、読者側からしてみれば伏線に思えるようなことも、物語の登場人物からしてみれば整合性もなにもないような出来事がたくさんある。
まるで僕らが彼らの苦しみ行為と、行為が結びつく瞬間を楽しんでいるかのような錯覚にさえ陥る。
そして、その苦しみの点と点を結びつける雪穂と亮司。

大胆に言えば、この「白夜行」は“日常をありのままに映し出した800ページ”だ。
メッセージもなにもない。
ただ、とんでもなく綿密に組み込まれた物語で、その日常の“非日常さ”があまりにも奇妙でない。その不自然さがあまりに妖しげで魅力的なのだろう。

誰が責任者か分からない、誰の責任でもない、でも誰も幸せにはなれなくて、登場人物の誰もに救いがない。
かといって、悲しくもない、しかし、陰鬱なムードが足元にうっすらと終始漂う物語。
ひとつ言えることがあるとすれば、それほどに人を傷つけるという行為(殺人含め)は、その人間の過去と未来を大きく捻じ曲げる、ときによって歪めてしまう最悪の行為なのだろう。