今日もご無事で。

今日も無事なら明日も無事でいて。そんなくだらない話。

美しい滅びかた、その“黒木渚”について。

 どうしようもない気持ちの時に書いた2週間ぐらい前の文章が確か下書きのまま残っていたはずだよなあ、と思いながらブログを開いたらすっかり消えてしまっていて、いま、その当時とおそらく同じようなどうしようもない気持ちでブログを書いている。

 あの時、どうしてどうしようもない気持ちだったのか、そのメモがないので思い返しようがないと言えばないのだけれど、いまの心境としては世の中の物事に対するリテラシーって揃うことはなくて(言語も違えば文化も違うからね)、それを整える為の情報が溢れているわけだけど、エコーチェンバー現象だとか、フィルターバブルだとか、そんなことを言うよりもっと手前の段階で、その情報の摂取に非常に疲れてきたなあ、ということ。

 正確に言うならば、情報を得ることは、知識を得ることにも繋がることもあるわけで、そこは興味や関心で乗り越えて行けるのだけれども、自分のレベルにあった情報を見ていかないと、発信者との視座を合わせることに労力を使うので、これがなかなかにキツイ、と最近は感じる。それでいて、こちら側の“物事の見方”が安定していればいいのだけれど、そりゃ感情もブレるわけで、いつもいつでも“ストレスのない情報との触れ合い”などは幻想に近いわけですよね。

 これはもしかしたら自分主体の考え方なのかもしれないけれど、そのストレスレベルを調整せずして、「物事のグラデーションを見ていこう」というのも難しい。結構これからの時代って、個のまとまり、個そのものの世界構築が進んでいって、人民を統治する、みたいな考え方って本当の意味では中々に難しくなっていくんじゃないですかね。

 

 話変わって、消えてしまったブログに確実に書いていた記憶があるのが、「黒木渚」のことなんですけど。

 2019年10月9日にリリースされるニューアルバム「檸檬の棘」から先行配信されている『美しい滅びかた』って曲がいたく凄く、胸に響くんですよね。


黒木渚「美しい滅びかた」MV

 なによりでだしが「私が死んだら心臓はコニャックに漬けてレモンの木の下に埋めてね(美しい滅びかた/黒木渚)」なんですよ。これが、なんていうか、物語の最初にその人の死生観を、説明的かつ“美しい情景(≒コニャックに漬けて檸檬の樹の下に埋める、という行為)”で描いてしまっているのが、凄くグッとくるんですよね。

 ここが「火葬はしないでください」とか「灰になったら海に投げ捨てて」とか、少し現実的な要素が散りばめられちゃうと死生観の思想部分が強くでちゃって、受け取る側もうまく消化できる自信がないんだけど、どこか幻想的で、情景が美しい、っていう“死んだら”とか“心臓”みたいなキーワードが綺麗に消化されているところが、本当に美しいと思いました。

 

 なによりサウンドが、サビに向かうに連れて、どことなくガレージロックを匂わせる世界に入っていく気がして(勝手にそう感じているだけですがミッシェル・ガン・エレファントの「世界の終わり」を想像した)、前半で描いた美しさを、より“整ったカオス”の中に引き連れていくんですよね。この前半(Aメロ、Bメロ)からのサビでかき鳴らされるギターとの対比が凄く胸に響いて、そこにまた歌詞が相まってめちゃくちゃいい。

 この曲が最も気に入っているのが(というかこのフレーズがあるのとないのとでは印象が全く違った)、2つ目のサビ。

宇宙をうらがえしたり/スニーカーを洗ったり/あの屋上でまた飲もうよ/幸せに滅びてゆく(美しい滅びかた/黒木渚)

 「宇宙」というキーワードと「スニーカー」というキーワードの対比。“全く想像できない遠いもの”と“身近でありふれたもの”。でも本質的にはどちらも一緒で、宇宙もスニーカーも、身近に存在しているんだよね。もっと言えば、むしろ宇宙のほうがなければ我々は成り立たない、“存在と密接なもの”だ。このサビ聴いたとき、場が場なら泣きそうなくらいにグッと来てしまったし、「ああ、自分はいったいどこに行くんだろうな」と自身の死生観を振り返らせられながら、感傷に浸ってしまうような、そんな曲だった。

 生きていく中で、自分の生き方と照らし合わせながら、現在と過去を回想することって何度もあると思うんだけど、どうしても過去って記憶でしかないから、それって“本当に実在したのか”は証明もできなければ、実感もできないものだと思うんですよね。その時に、どこか想像の片隅で息を息を潜めている気がするのが宇宙という存在で、なにもかもがそこに最終的には飲み込まれていく、そういう想像にいつも辿り着いてしまう。例えば、それがよく晴れた日のベランダで、スニーカーを洗っているときでも、その輝きは、その時だけのもので、ゆっくりと暗闇に飲み込まれていく。だから、ほんのちょっと希望になるのだ“あの屋上でまた飲もうよ”という言葉は、刹那と希望が混じっている。

 

 これをとても美しいラブソングたらしめているのは、なによりも歌唱だろうな、って思うと、なんかほんとにもう、言葉がない。

 

 新しいアルバムを、楽しみにしています。

 

100年なんて一瞬で燃え尽きてしまうから/極上のさよならを探して(美しい滅びかた/黒木渚

 

檸檬の棘 通常盤

檸檬の棘 通常盤