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REASON/ゆず-レビュー

▼「ゆず」の多面性
アーティストとして、ゆずの楽曲はずっと進化してきた。
それはデビューアルバム「ゆずの素」に収録されている「地下街」と最新シングル「REASON」を聞けば明白であろう。
彼らは、十数年をかけ「ゆず」という枠組みそのものの破壊を幾度となく繰り返し、しかし「ゆず」という個性の部分は潰さずに今日まで進化を続けた。

これは彼らが「バンド」ではなく「ユニット」だからできたことであったと思うし、かといって「ソロ」でも出来なかったのではないかと思う。
2つ存在する個性が、時には向かい合ったり、離れたり、不調和だったりすることで多面的要素を見せ、かといって「バンド」という形に拘ることなく、時には原点に返り、時には“らしくない”というのを見せつけることもできた。
具体的には、「トビラ」のように内省的でロックな一面を見せた時もあれば「ONE」のように「栄光の架橋」でついたライト層のリスナーを視野にいれた“大衆的アルバム”を完成させたり。

「REASON」【ゆず Ver.】 通常盤

「REASON」【ゆず Ver.】 通常盤

▼「ゆず」としての個性を尊重しつつ、その枠組みを破壊する進化
最新シングル「REASON」はとにかく「ゆず」というネーミングを破壊に破壊した楽曲であると思う。
「ゆず」としての良さが失われているのではなく、どこまで“「ゆず」を壊せるか?”に近い。
ダンスミュージックとアコースティックの融合は「シシカバブー」あたりから垣間見られていたが、「REASON」は、音楽プロデューサー・前山田健一氏(ヒャダイン)が加わったこともあり、アレンジの幅が広がり格段に進化している。

二人の美しく調和したハーモニーから始まるAメロ。
その美しさを、より美化するようにコーラスが加わる。
そして、アコースティックギターの16分のストロークで幕が開かれる。

ストリングスと、エレピやシンセの音、アコースティックの音色がどれも無駄なく共存していく。
そこにファルセットを用いた北川氏と岩沢氏のコーラスが調和して、華やかな空気を作り出す。
この世界観の完成度は、技術と経験を持った人間にしか出来ない。とにかく楽器の音が多いのに、ギリギリの位置でまとまっている。

▼“3人”というごちゃ混ぜ感と洗礼されたアレンジの技術
作詞、作曲は北川氏、岩沢氏、そして前山田氏の3人による共作。
昔(ONEあたりまで)と比べなければ、珍しくはないが、共作はそれでもまだまだ稀。
そこに前山田氏が加わっているので、おそらくこれが最初で最後だろう。

3人による共作なので、とにかく実験的で、良い意味でカオスな仕上がり具合だ。
同じ展開が2度とない、最初から最後まで全く違う景色の中を、世界一周をさせられるようなスピード感と目まぐるしさ。
それでも北川氏と岩沢氏のハーモニーは存在していて、そこに「ゆず」としてのピースがしっかりと証明されている。

歌詞からは“二面性の共存”といったテーマが読んでとれる。
前に進むための強さと、過去を引きずる弱さ。
どういう形になろうとも構わないから、“僕らのやり方”で未来をこじ開けるのだ、と。

▼例え量産型でも唯一無二であれる
ただ、これは「歌詞」でも「アレンジ」でも「メロディー」でもなく、この世界観を味わう楽曲なのだろな、と思っている。
未来的でいて、かつ「ゆず」というフォークデュオが作り出した、ある意味では古典的な音楽の調和。

そして、これだけ世の中にに「量産型音楽」「疑似ダンスミュージック」「売れ線ポップス」が溢れる中で作られた、それらを総括しているようで、「ゆず」にしか作れない、唯一無二の「量産型、疑似、売れ線ポップスミュージック」である。
例えどれだけ量産型を作り出しても、唯一無二という証明はできる、それが「売れ線だから(他の楽曲とどうしても似てしまう、ベタと言われてしまう)」という言い訳はできない。
そういうメッセージ込められているような、つまり、ある意味では皮肉のような。

本当のエンターテイメントは、唯一無二であることなんだ、と。

余談だけれど、MV(ミュージックビデオ)もすごい凝っていて見応えがある。
2-NI-」にも似た様な未来的な映像。
「REASON/ゆず」の感想はそんなところ。