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桐島、部活やめるってよ[ほんのちょっとだけネタバレ]〜高橋優と重ねて物語を読み取る

自分だけが置いてけぼりを喰らっているような気がする(陽はまた昇る/高橋優)

桐島、部活やめるってよ」を観た。感想は、グッとはこなかったな〜。
「今年一番の映画」「とにかくラストシーンにグッときた」「何度も観にいく程中毒性がある」と評されていて、ネタバレを観ない程度に感想を呼んで期待膨らませて足を運んだ。
観終わった後にネタバレの感想を観て、水増しの評価でも、なんとなく味気ない印象だった(とはいえ長い感想を書いたのだけれど)。

ただ、一言に集約するなら、人の言葉を借りてしまうけど、前書き初っ端に書いた「陽はまた昇る/高橋優」の歌いだしの歌詞だな、と。

自分だけが置いてけぼりを喰らっているような気がしている、誰でも。

そして、自分の言葉でこの映画を一言で言うなら、

長い長いイントロが流れ続けたような映画だったな、と。

▼青春群像劇としての「桐島、部活やめるってよ
本作は、青春群像劇だ。
バレー部のキャプテンで、可愛い彼女も居て、親友も居て、一緒に帰る友達も居て、大学もスポーツ推薦でいけんじゃないの、という程の「高校生活におけるエリート」である「桐島」を中心としてストーリーが進んでいく(しかし、桐島は登場しない、いわばゴースト)。
その「桐島」が“誰にも知らせず部活を辞める”ことで、周りの人間たちが動揺し、混乱し、人間関係の歯車がちょっとずつ狂っていく、という話。

この映画のテーマのひとつとなっているのは、学内格差。
映画部、吹奏楽部、帰宅部、そして体育会系の部活動など、それぞれが特徴的な人間によってカテゴリーわけがしっかりなされている。
吹奏楽部の人間が映画部に対し「それは遊びですか?私たちは真剣にやっているんです」と言ったり、クラスメートの大半は映画部が映画甲子園で一次を通過したというニュースがあるにも関わらず、関心を寄せる人が一人もいないどころか、その映画作品のタイトルに笑う始末。

映画部という場所に輝かしいスポットはどうやったって当たらなくて、常に日陰の人間。
帰宅部は、ただただ過ぎていく時間に適当な暇つぶしで、適当に過ごしていく(こう書くと帰宅部もまた日陰の当たらない存在のようであるが、映画の中に登場する帰宅部は、ちゃっかり彼女がいたり、スポーツができて女子から拍手されたり、と所謂“リア充”状態を満喫している)。
運動部は、それぞれの部活に汗水たらし精を出し「それぞれが抱える夢」に向かって苦悩しながら輝きながら努力をしている様が描かれる。

あと、登場人物たちの「あるある感」の凄まじさは他の映画と比べても群を抜く表現力だったと思う(特に序盤)。

▼誰でも「孤独」を抱えていて、それぞれが「お互いの孤独」を知る映画
この映画のポイントはそれぞれが抱える「孤独感(もしくは孤独に類似した問題)」であると僕は思う。
正直「桐島」の必要性がいまいちピント来ないのだけれど、でも「桐島」がいないことでバレー部で桐島のサブを務めていた人間が「桐島がいない穴を埋めようとしているけれど、どんなに頑張っても、俺はこの程度の人間なんだよ!」と苦悩する。
帰宅部リア充組)の(菊池)宏樹は、傍から見るとなんとなく浮いていて、虚無的で、「なにもできる」けれど「なにもない」自分に悩んでいる様に見える(進路希望の紙に何も書けなかったり、映画部前田や野球部キャプテンの“夢に対する思い”に“想うような”顔をしたり)。

そして、徐々に人間関係に歪みが生じていく中で、それぞれがそれぞれの「孤独」を認知する。
映画部の前田は、きっと吹奏楽部の沢島の「孤独」に気付いたんだと思うし、同じバトミントン部のかすみは実果の「孤独」に少なからず気付いただろう。
この辺りは原作を読むと、より設定がしっかりしていて、深みが増すらしい。

人間の成長は、自身の「孤独」に気付くところから始まると思う。
高校生活はまさにその「長いイントロ」じゃないかなと僕は思う。
この映画で主人公たちは、「ウォーターボーイズ」や「スウィングガールズ」みたいに「夢を追って突っ走る高校生」を描いたりはしていない、ちょっとだけそういうシーンはあっても、「普通の味気ない日常」がただ描かれているだけ。

▼スルメであるけれど、噛ませるためのきっかけがない
それが言ってしまえば「つまらない」原因になってしまったのだと思う。
高校生活って、もっと「味」があるものだと僕は思うから。
切り取り方やカット割りが「絶妙」と称される一方で僕は、「しっくりこない映し方、切り取り方」だなあ、と思ってしまった。

まず、無理だと思うけれど、言うなれば『ドラマ』向きの物語かな、なんて思ったよ。
もっともっと個人に深みを増させれば、ラストシーンはもっと深みが出たと思うし。
決して駆け足で進んだ映画じゃないんだけれど、ごちゃごちゃになった映画でもないんだけれど。。。正直、特にうやむやもないんだよね。

受けのいい映画ってインパクトがあるんだよね、きっと。
人が死んだり、なにかひとつの目標に向かって全員が直向きに頑張ったり。
桐島、部活やめるってよ」はそういう意味で「味は濃いけれど、噛めば噛むほど味が出るスルメ」みたいな所謂「スルメ作品」なのかなあ。

▼「ほんとのきもち/高橋優」から読み取る「桐島、部活やめるってよ

ほんとのきもち

ほんとのきもち

余談だけれど、この映画の主題歌は「陽はまた昇る/高橋優」で頗る評判が良い。
僕は高橋優が好きなので、レビューを書いてみたのだけれど。
高橋優好きとしては、「ほんとのきもち/高橋優」の方が俄然、映画「桐島、部活やめるってよ」に合っていて、登場人物の気持ちを如実に表していると思う!この映画に最も合っている主題歌は「陽はまた昇る/高橋優」ではなく「ほんとのきもち/高橋優」であるとさえ思う。

階段の片隅に座りうずくまるあの人に何があったんだろう?一体何を見て来たんだろう?/人混みの中で睨み合う男女の間に何が起こったの?一体どんな事情があったんだろう?(ほんとのきもち/高橋優)

登場人物たちは、それぞれの思いを抱えた登場人物たちとすれ違い、それぞれの「孤独」を想像をする。
高校生活内という狭いコミュニティーの中で蠢く世界観でも、大きさの関係ない「苦悩」であることに違いはない。

“いったいどんな事情があったんだろう?”

それでも、前田は、野球部キャプテンは、そして宏樹さえも、「自分だけの映画が撮りたい!」「最後までプロになる夢は捨てたくない!あがきたいんだ!」「なにしたらいいか分からないけれど、このままじゃいけないのもわかってる」と揺らぐ思いの中で共通項の思いもある。
それは「桐島」なんか本当は関係ないんだってこと。



他人なんか、知るかよ、馬鹿野郎。



そう思ってんじゃないかとさえ思う。
コピーは「全員、他人事じゃない」だけれど。
結論は「他人なんか構うもんか」と。

ことの真相は何も知っているようで知り得ない/それでもどうにか歩いていかなくちゃならない/疑ってばかりいられない/でも信じれるものも少ない/ただ一つ確かなのは今このとき 「誰が好き?」(ほんとのきもち/高橋優)

自分の気持ちに愚直に、馬鹿みたいに、どこにも光が当たらなくたって、努力している人がこんなにもいるのに。
他人なんかに振り回される俺ってなんなんだよ。
そういうシーンが、ラストの野球部のシーンに現れているような気がした。

いい映画だったな。
そう言いたくなってしまう。
「ほんとのきもち/高橋優」と合わせて思い返してみると。

これが高校生たちの、彼らにとって輝かしい未来への可能性への、序奏なのだ。