今日もご無事で。

今日も無事なら明日も無事でいて。そんなくだらない話。

思いを伝えるということ展のすべて/大宮エリー

今年の2月、大宮エリーさんの「思いを伝えるということ展」を渋谷パルコに見に行った。
とても純粋な思いがそこにはあって、繊細で、でも丁寧で、透明なんだけど、彩り豊かな思いに満ちていて。
それを触れることで、大宮エリーさんとどこか通じ合えた気がした個展だった。

本書「思いを伝えるということ展のすべて」は僕にとってはそんな個展の“復習本”だった。
けど、ある人にとっては“予習本”であるかもしれないし、ある人にとっては“個展そのもの”かもしれない。
そんなニュアンスを大宮エリーさんは、本書の紹介欄に、こんな風に綴っている。

もう一度家で味わいたい人へ/もっと知りたい人へ/時々この世界に戻って来たい人へ/忘れたくない人へ/いつまでも浸りたい人へ/どうしても来れなかった人へ 捧げます(思いを伝えるということ展のすべて/大宮エリー)

本書には、「思いを伝えるということ展」を準えるように、訪れたことのない人でも、訪れた人と同じように感じられるように、概要以上のことが綴ってある。
作品そのものの後には、個展ではなかった大宮エリーさんのエッセイ風の解説。そして、最後には大宮エリーさんの敬愛する谷川俊太郎さんとの対談が載せられている。
個展にあった、大宮エリーさんの言葉、詩、思いたちは、メモして、ずっと胸に留めておきたいぐらいに純度の高いものだったから、こういう本が出版されたのはとても嬉しかった。

それぞれの作品の解説は、以前綴ったけれど、またもう一度、ちょっとだけ。



以前綴った個展の感想→「思いを伝えるということ」展(大宮エリー)@PARCO MUSEUM パルコミュージアム - 今日もご無事で。


本書「思いを伝えるということ展のすべて/大宮エリー」はhttp://www.foiltokyo.com/book/art/elle.htmlで購入できます。素敵なお店です。

▼思いを伝えるということ、自分の思いを見つけ出すこと、に光を当てる
とにかく、大宮エリーさんは、「思いを伝える」ということにスポットを当てた。
それは元々は「大宮エリーの仕事を紹介する」という個展の企画が震災によって担当者が変わり、白紙になったとき、新しい担当者から「大宮エリーさんの作る純粋な企画の元の、個展が見てみたい」と言われ、それなら、と思い雑誌で当時よく質問(相談)されていた、「コミュニケーションがうまくとれない」という問題について、「思い」という視点から個展を開いてみたい、と思ったそうだ。
その結果、こんなにも瑞々しい、失礼なことを言うと「大人の女性がこんなにも純粋な思いを持っているのか!」と思わずにはいられないよう個展になった。

▼思いは、なにより自分から始まる。そして、向き合うことで正体を暴く。
「思いを伝えるということ」はなにも「相手」が必ずしも存在しているわけではない。
「思いを掘り出す」という行為は、そもそも「自分との対峙」なのだ。
だから、彼女はまず、「感情の大切さ」を入り口で綴った。

[1.心の箱]は感情に触れることができる。
自分の感情と向き合う。
いったい、君は誰なんだ。

大宮エリーさんは憂鬱な時、音楽をよく聴くそうだ。
落ち込みそうなら、気分を上げようとアップテンポの曲を聴いたり。
けれど、そればかりに依存するのはよくないな、と思ったらしい。

そういう時、彼女は、「自分の感情と向き合う」というカウンセリング方法を生みだしたそうだ。
「ああ、あの言葉に傷ついていたのか」「彼女と会えなかったから、寂しいのか」

感情の原因を探る。
どこにいるんだ、君は。

その行為はときに痛々しくて、目を背けたくなるけれど。
まるでそれは[2.心細い平均台]のように、もう一人の自分へと歩いていく。
君はいったい誰だい?

▼心と向き合う。そこにいるもう一人の自分。
やがて、もう一人の僕のいる扉の前で立ち尽くす。
目の前に散らばる無数の鍵。
どんな鍵で、君と出会えるのだろう。

でも信じなきゃ。
自分の言葉を信じなきゃ。
そうやって開いた、向き合った[3.ドアと鍵-立ちはだかるドア-]

自分の心の扉と向き合った先では、いくつもの思いに出会う。
それは、もう、きっと自分の心の中だけではない。
誰もの心の中なのだ。

▼届かなかった思いは、誰もが持っている思いの共有、でもある。
それが[4.届かなかった思い-夜明けのメッセージボトル-]
このスペースでは、この作品の前では、泣いている人がたくさんいたらしい。
「私も、同じことを思っていた」って。

たしかに、大宮エリーさんの綴る言葉や、誰かが匿名で綴った言葉は、シンプルだけれど、強く胸を打った。
それは普遍的な「あの日」を誰もに思い出させるからだ。
「言えなかった」「会いたかった」「ごめんね」「元気にしてる?」「私、あれから成長したんだよ」

▼言わずべくして、言わなかったのだ、と思う。
言えなかったことなんて、いくつだってある。
言い残したことなんて、腐るほどある。
本当は、僕の心の中に在ること全部、受け止めてほしい。

そうは思うけれど、そんなこと、いちいち共有したりしないから。
まるで、誰かの言葉が、自分の言葉かのように。
夜明けの砂浜に漂着している。

でも、きっと言えなかった言葉たちは言わずべくして言わなかったのだ、と。
だからこそ、大切にしなくてはいけない。
言えなかった言葉たちを、腐れさて捨てるくらいなら、せめてどこかに漂流させなければ、と。

▼もしもし?―シンプルな言葉は、シンクロする。
シンプルな言葉はシンクロする。
当たり前の言葉である程。
純度が高いほど、言葉はシンクロする。

それを証明しているのが[5.孤独の電話ボックス]である。
ここでは多くの人の「もしもし?」が聞ける。
大宮エリーさんは「このような孤独の対処法を用意しておくべき」と綴っている。

とにかく寂しさの迷路に嵌ってしまったら「誰でもいいから電話しなさい」と。
友達じゃなくてもいい、電話帳に載っている誰でもいいから、とにかく電話しろ、と。
そして「もしもし」を聴くのだ、と。

それが、とにかく「暖かいのだ」と大宮エリーさんは語っている。

僕は、その感覚わかるなあーと、とても共感した。
孤独に苛まれてしまったとき、電話した向こう側の、いい意味で“なにも考えていない「もしもし」”には安心してしまう。
向こう側では、「普通の日常」が広がっているのだ、と。

僕の日常がどんなに辛くても、適当に電話をした向こう側には、平凡な日常が広がっている。
ただの「もしもし」なのだ。
僕の日常も、向こう側の日常と何ら変わりのない、そういう日常が広げられるじゃないか。あったじゃないか。ああ、安心した。

「もしもし」の共感。
これほどつよい物があるだろうか。
そして、他にも「大丈夫?」や「元気?」「また明日」が電話ボックスでは聞ける。

例によって、号泣する人がたくさんいたそうだ。
みんな心のどこかに寂しさを押し込んでいるのだ。
もっと安心していいよ、って大宮エリーさんは、「誰かも知らない匿名の“もしもし”」は伝えてくれる。

▼とことん言葉と向き合って、解き放つ
さあ、次は言葉と向き合う番なのだ。
[6.言葉のプレパラート]はそれを訴えかける。
この個展の中で、僕らが意思を持って言葉と向き合う瞬間かもしれない。

シンプルな言葉。
さっき簡単に感動していたけれど。
それってどうして?

僕らはどうして「ありがとう」に感動するの?
言葉ってなんなの?
もっと知ろう、君の言葉は、言葉の真意はいったいどこにあるんだろう。

その「ありがとう」は傷がついているかもしれない。
その「ありがとう」は落書きだらけかもしれない。
その「ありがとう」は「ごめんね」で描かれているのかもしれない。

さあ、言葉と向き合おう。
言葉ってなんだ。
どうして言葉なんかにするんだ。

分かった?
分かったなら、僕らは飛び立たなきゃいけない。
いよいよ、離陸です。[7.離陸-離陸の滑走路-]

ここはただ滑走路があるんだけなんだけど。
この滑走路にある言葉、僕はとても感動したなあ。
「シートベルトをお締めください」という詩。

安全のためにシートベルトをするのではない。
傷つかない為のシートベルトではないのだ。
飛び立つための、シートベルトなのだ。

例え、受け入れられなくたって。
許されなくたって。
関係ない。

だって、飛び立つのだから。
離陸するのだから。
思いを伝えるために。

詩の全編を、本や、個展で、是非読んでほしい。

大宮エリーさんの好きな景色、夕陽。
最後に待っているのは夕陽。
[1日の終わり-夕陽のある風景-]
大宮エリーさんは夕陽を見ると「幸せな気持ちになる」らしい。

ここで、僕らは、この個展への思いを共有する。
夕陽という景色を通して。
感想なんかを、大宮エリーさんに書きながら、心を整理する。

今回の個展は、大宮エリーさんの中でも少々ハードルが高かったらしい。
「アーティスト気取り」と思われるんじゃないか、とか思ったらしい。
けど、なにより自分が“「思いを伝えるということ」がどういうことか”を証明しなければ、と思ったとか。

そうやって、今回、京都への巡回も決まったのだとか。
資金面や、物理的な面での不安もあるけれど、まず「自分自身がやらなきゃ」と。
大宮エリーさんが大宮エリーを通して「思いを伝えるということ」を伝えなきゃ、と。

だから、グッと来たのかな。
こんなにも純度の高い大人がいるのか、と。
無垢な女性がいるのか、と思わせられた。

なんのひねりもない、まっすぐな優しさを持っている人なんだなあ、と思った。
思い返せば、大宮エリーさんって表現がユニークな人と思っていたはずなのに、この個展は、ただただ透明で真っ直ぐで無垢だった。
また、出会えたらいいな、と思う。

大宮エリーさんの「思いを伝えるということ展」に。

                                                                                                                    • -

谷川俊太郎さんの対談も、とてもよかったです。
どちらかというと、谷川俊太郎インタビュー、という感じだったけれど(笑)
でも、個展では知れなかった大宮エリーさんの人柄が、まじりっけなく、この「思いを伝えるということ展のすべて/大宮エリー」全編で描かれていました。