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群青/スピッツ

群青

群青

このジャケット、うさぎがモチーフとなっているんだよな。
犬かと思っていたけれど、きっとうさぎ。
なんてったってPVがアンガールズのうさぎだからね。

今回は、この「群青」に収められているカップリング曲「夕焼け」という楽曲について書きたい。

重く響くアコースティックギターが淡々と弾かれてはじまる。
エレキ、ベースがそのアコースティックギターの重さにスパイスをのせて、色を付ける。
スピーカーから流れてくるその組み合わせで、夕暮れが浮かぶ。

スピッツの楽曲に例えるなら、ロビンソンのイントロで胸一杯に広がっていく切なさとか、リコリスのイントロのアコギで想像させられる煌びやかさや儚さ、みたいな。
数秒でパッと世界観が沁み込んでいく。
スピッツはそういう“景色の見える楽曲”が多い。

「夕焼け」に感じられるこのサウンドの重さは、スピッツの最近の傾向であり、この辺りから顕著になってきた気がする。
僕は隼〜三日月ロックあたりの、細く軽く、軽快で爽快なスピッツのが好きだけど。
亀田誠治プロデュースになってから、サウンドはやたら綺麗で重くなったなあ。

スピッツ本人たちの望むサウンドがそうだからこそ、今のような形になっているとは思うのだけれど。

僕がこの「夕焼け」で好きな点は、スピッツならではの“死生観”が上手に切なく描かれているところ。

僕にとってこの「夕焼け」は、もう未来はない二人、もしくは一人の歌に聞こえる。

終止符を打つことは決まっていて、でも、それでもしがみ付こうとしている情けない主人公。
終わりは決まっているのにあえて「終わりは決めてない」と主張することで、まだ「つづき」があると思いたいのではないだろうか、と。
それは「人生」なんてまさにそうで。「死」という終わりは僕らにとってあるのだけれど、それは逃れることのできない終焉なのだけれど、でも僕らはそこを「終わり」とは決めてない。

間奏のギターソロからラスサビに向けての展開も刹那感を強調する。
あるようで少ない、スピッツの泣きのギターソロ。
そして、エレピがまた切なさを増大させてラスサビへ向かっていく。

こんな風なミディアムロックバラードはスピッツにはあるようでないような。
パッと思いついたのは「甘い手(隼)」とか、かな。

枯れたサウンドのドラムが、また、隼の時期を思い出させて。
なんだか、あの辺に収録されてそうな気もしてしまうんだよな。

本当に、でも、夕暮れとか、まるで景色に溶け込んでしまうような名曲です。