ネイチャー・センス展@森美術館
2010年の夏から始まったのかな。
人工的なネイチャーだった。
これはもう、なんだろう。
“芸術”という文字よりは“クリエイティブ”という文字に近い作品がずらりと並んでいた。
冬から春へ、夏から秋へと季節が巡ることを、私たちは気温や風景だけでなく、例えば風の匂いや太陽の光などから感じます。現在の日本では、国土の数パーセントの都市部に人口の三分の二以上が住んでいると言われていますが、それでもなお私たちの身体は自然の存在を感じています。(森美術館HPより引用)
自然とは僕らにとって大いなるものだ。
コントロールできないし、それによって知らず知らずに感情を左右される。
死ぬまで共存していかなければいけない概念、世界。
このネイチャー・センス展とは、その自然を作品として表現したものが展示されている。
それは雪であったり、山であったり、雨であったり、嵐であったり、季節であったり。
なかでも吉岡徳仁の「スノー」という作品は好きだった。
定例のポストカードを買ってしまったし。
巨大な透明の箱に詰められた綿、それらが風に舞い、まるで雪のように宙に踊る。
本物の雪と勘違いするほど・・・ではない。
そこに僕が、この展示が「人工的な自然(ネイチャー)」であると感じた部分が或る。
物凄く可笑しな事を言うようではあるけれども、実際の自然はとても生命力があるのだと僕は思う。
人は春を暖かさだけで感じるのはない。
風を感じ、匂いを感じ、気配を感じ、音を聞き取る。
そして、やがて春だと認識する。
雨も、嵐も、風も、雪も、快晴もそうだと思う。
五感と、五感以外を使った、僕らの感覚で自然を感じている。
それが生命力のある自然だ。
今回の展示では、例えば吉岡徳仁の「スノー」であったら五感で感じることはできない。
だって、箱の向こう側だし。
そもそも、雪じゃないから、温度もない、匂いもない、あるのは視覚、ただそれだけ。
でも、もしかしたら、そういことがこの展示では言いたかったのかもしれない。
この展示で、僕らは、その感じない感覚で、自然を知覚する。
それが記憶であったり、遺伝子であったり、そういう心や身体に染みついたものであるかもしれない。
そういうものを覚醒させること、知覚できない部分での感覚が、自然を認知させることも可能であると証明することが、この展示の狙いだったのかも。
そういう染みついたものが、また新たな季節を僕らに予感させる。