今日もご無事で。

今日も無事なら明日も無事でいて。そんなくだらない話。

想像力のはなし。

こんなことを語る立場でないのは九割方承知なのですが。

僕は基本的に幸せなんてそこら中にあると思っている。
生きていて「ああ、なんて不幸せなんだろう」と思ったことはないつもり。
悪く言えば、それぐらい過酷な状況を経験したことがないからかもしれない。
そういう意味も含めたか、恵まれた環境下で生きれているからか、悩みや苦しみも含め幸せだと常に思っている。

だから、極端な生き方でない限り、人は幸せになれるものだと僕は思う。

人は持って生まれた想像力がある。
その想像力で「ああ、きっと未来はこうである」という勘違いを続けることが出来れば、それだけで人は幸せになれる。
その想像力が途切れた瞬間に、精神的に落ちたりはするだろうけれど。

ずいぶん前だったか、椿屋四重奏というバンドの誰かが「犯罪が起きる理由のひとつは想像力の欠如だ」と言っていた気がするけど、あながちそれは間違いじゃないんじゃないかと思う。

「こうでしかない」という一方的な決め付けによって怒りや憎しみが産まれる。
固執、執念、執着、依存。

「こうかもしれない」というあらゆる選択肢や未来が提示できれば、想像できれば、それは客観的に現在を見つめる事になるし、立ち止まれる。

想像力っていうのはものすごく大事で、これもどこで読んだか分からないけど、恋人とセックスをする時に別の人(芸能人とか)を思い浮かべている人が多い、というのもなにかで読んだ。ただし、その本は90年代後半のものだったと思うけれど。しかも海外の。
その想像力が途絶えた時に、その女性は涙を流すのだと言う。
まあ、僕からするとこれは想像力に依存してしまっているから、これもこれで固執してしまった生き方だとは思うんだけれど。

けど、そういうある種逃避的な思考をすることで、毎日を彩ることが出来るのであれば、一種の幸せであると思うし、それこそ幸せになるということは心の持ち次第であり、360°あらゆる方法があるのではないかと思う。

いまの時代はどうなんだろうか。
そういう想像力が難しい時代になっているような気がしないでもない。

その理由っていうのは、インターネット社会っていうのが大きい気がして。
想像する前にそこに答えが出てしまっているから。

また、あらゆる選択肢がだーんとフルコースで並べられて、どうぞお好きにっていって。
もうこれ以上ない気もしてしまう。

ものすごいスピードで時代は進んでいくから、それに自分の想像力が追い付けない様な気もするし・・・。

もっともこの考え方自体が、幸せ呆けした考え方であるような気がしてならないのだけれど。