今日もご無事で。

今日も無事なら明日も無事でいて。そんなくだらない話。

終末のナイトサイクリング@超雑記シリーズ2020/04/03

 春を目前にして東京には雪が降った。空気中の汚れを純白のドレスで纏った氷の結晶は、風のないせいか、まるで空から垂直に落下してくる様だった。コンクリートに打ち付けられた瞬間に、その温度差で瞬く間に液体と化していく景色は、目に焼き付いてすぐ記憶の藻屑となって、これから来る新しく忙しい季節に一掃されてしまった。無意味にシャッターを切ったスマートフォンのカメラロールを見返して、その痕跡を辿りながら、あやふやなあの日を思い出す。この作業に、意味はあるのだろうか。

 

 日記をいつの間にか、90日以上も書いていなかったことを「この広告は90日以上更新のないブログに掲出されます」というテキストで知る。気を抜くとすっかり更新が止まってしまうのだな。気持ちはいつでも月一、週一を心掛けたいのだけれども。書きたいことがあっても、中々アウトプットする作業が捗らないことってあるよね。

 

 世間は気がつけば新型コロナ(COVID-19)一色に染まってしまった。1月に報じられた“海の向こうのニュース”は、目の前の実生活にまで結びつき、日々の生き方までも変えてしまった。もしかすると、この「外にでることのリスク」が死ぬまで続いていく日々もあるのかも、と想像してしまう程に。

 なんとなく2020年の1月に書いたブログを読み返していたら「世界が少しでも幸せな方向に向かっていきますように」と綴られていて、思う通りに、願う通りに、世界はいかないものだなあ、とも思った。

 日々の生活のなかで、いまはその瞬間瞬間を感じていて、「その瞬間より前」を思い出しながら、「誰がこのような事態を予想していただろうか」と事あるごとに呟いたりしている。

 

 人間の意識は、社会性と密接に結びつく。「外にでてはいけない」という言葉だけではなく、「実際に外にでていない」という“実感”を伴って、その意識が書き換えられていく(ように感じている)。実際に外出自粛が“できていない”人の話を聞くと、それはやはりシステムがそうさせてしまっている側面も感じるし、そうさせている以上、その人の意識は書き換えられない。自分が誰かを傷つけてしまっているかもしれないという想像力は、ある種利他的な行動であるし、「自分さえよければ」と考えている人がその行動をとれる可能性は低いと考える。

 自分の頭の中で人間は常に選択を繰り返している。選択は経験に基づき、その判断は意識より前に脳が判断しているとも云う。(そうなの?)

「意識による判断の7秒前に、脳が判断」:脳スキャナーで行動予告が可能|WIRED.jp

 まあ、調べているうちになにが言いたかったかを忘れてしまったのだけれど(笑)、人間の意思決定は潜在的な意識で既に決定されているのであれば、その人が“AとBをどのように天秤にかけているのか”“そのAとBはなにか”ということはシステムがコントロールできることではないから、判断ではなくルールで規制しないと、いま本質的に求められている“不要不急の外出”を浸透させるのは中々難しいよなあ、特に短期的に、と思った。だからこそ“自粛”という表現なのかもしれないけどね。

 

 アランの『幸福論』が大好きなのだけれど、アランはとてもいい事を言っていて(そしてとてもシンプル)、「人の精神は運動と密接に関係している」「運動しないと精神もネガティブになっていってしまうよ」って書いている。(引用するのが面倒なので記憶からの超意訳だけど)

 この自粛ムードの中、きっといろんな人が「コロナ」という情報の洪水の中で精神的にも身体的にも動けずに思考が鈍化してしまうことがきっとあると思うから、できる限り“動く”ことは心掛けていきたいなあ、と思っている。

 

 震災のことを引き合いにだすのは不謹慎かもしれないけれど、震災のときみたいな空気感があるのを個人的には感じていて、すごく嫌だな、というのを正直なところ思う。

 それは「確実に明るい未来」は待っているのに、そして時間が今を癒やしてくれることはわかっているのに、この状況下でどんどんと想像力が鈍ってしまう危機感を抱いている。

 できるかぎりこうやって言葉を吐き出したり、音楽や本などの文化にふれることで、想像力を働かせていきたい。心も身体も健康でいてほしいし、健康でいたい。

 そのためには、できるかぎりの想像力を働かせて、ちょっとずつでも心をストレッチしながら、希望を探すことを、諦めちゃいけないな、と思う。でも流されたっていいと思う。適当でよい。

 

 本当は、Mr.Childrenの新曲『Birthday』がとんでもなく良かったこととか書きたかったんだけどなあ。気持ちが10歳ぐらい若返る素晴らしい曲だった。下手したらここ数年でいちばん好きかも、ってぐらい。

 音楽や物語は、新しい刺激を連れて、想像の向こう側へ連れて行ってくれる素晴らしい“なにか”だと思います。

 

 最後に。

 そんなわけで(?)最近とてもいい曲を見つけたので、こんな状況下で、たまたまこのブログを読んでくださっている方にシェアします。

 

 今日もご無事で。

 

youtu.be

 

 このブログを「あの頃」と振り返ることのできる、その日が一日でもはやく訪れることを願って。

 

世界が明日も続くなら

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