今日もご無事で。

今日も無事なら明日も無事でいて。そんなくだらない話。

動物の気持ち

動物は語らない。

正確には言語を通じて分かりあう事が出来ない。

ああ、喜んでいるな、悲しんでいるな、というのはなんとなーく分かる。

僕は、好きな動物(一緒に住んでいる動物)に対して「どうして君は語らないのだ」と常々思う。
「寿命が僕よりも短いのなら、せめて語ってくれ」と。
しかし、それは僕自身のエゴであって、語らない事が彼らにとって優れた選択肢だから、彼らは語らない術を身につけたのかもしれない(なんてことはきっとないけれど)。
そんな気持ちを知ってか知らずか、変わらない表情で彼らは目の前で欠伸をする。

その半一方的なコミュニケーションは、世の中で多々ある人間関係にも通ずると思う。
片思いだって、上限関係においてだって、もしかしたら友人関係でだってあるかもしれない。

人は思った通りに語ってくれないことの方が多い。

相手の気持ちを知りたい、と言うのは果たして正しい感情なのかどうか。
それは理解したいとは違うもののような気がする。
ただただ、知ることで満足を得たいだけなんじゃないかと。

実はコミュニケーションを取っているようで、僕らは自身の希望的観測と推測で相手の言葉を無理矢理に解釈しているだけなんじゃないだろうか。要は、物の見方なんていくらでもあるってことなんだけど。「好き」「嫌い」ひとつにしてもね。
それだったら、相手が語ろうが語らなかろうが、愛し方や接し方に変わりはないんじゃないかな、と思ったりする。
ただ、まあ、卓袱台を引っ繰り返すような事を云うと、「語れる」からこそ“推測や希望的観測じゃない所”で理解が出来るのだけれど。

だからやっぱり、動物が語ってくれたら、とはまだ思います。