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Album:COSMONAUT/BUMP OF CHICKEN[レビュー・感想]

▼「COSMONAUT」から「beautiful glider」
もうすぐニューアルバムの「RAY(虹を待つ人、友達の唄、ゼロ、ほか収録)」が発売予定のBUMP OF CHICKEN
ベスト盤が発売されたこともあって、新規のファンも増えたんじゃないだろうか。
バンプと言えば「天体観測」だけれど、今回は現時点での最新アルバムを今更レビューする。

「RAY」に関して言えば、個人的には前回のアルバムでも話題に出てたはずの「please(forgive)」が気になってます。

COSMONAUT

COSMONAUT

そして今回は現時点での最新アルバム「COSMONAUT」から、アルバムラストを飾る「beautiful glider」という楽曲を中心に書いていきたい。解釈とか、感想とか。
あとがきに「BUMP OF CHICKENの楽曲は、その楽曲の状況に自分が立つことで、やっと心に入ってくる」と書いたけれど、この「beautiful glider」という楽曲も例外なくそうで、「あー自分のことなんか誰にも理解されないなー、なにを言っても、自分の中で出した解答しか世の中にはない」とくたびれていた時に聴いたら効いた。

もう答え出ているんでしょう/どんな異論もあなたには届かない/もう誰の言う事でも/予想つくぐらい長い間/悩んだんだもんね
(beautiful glider/BUMP OF CHICKEN)

年をとればとるほど、ましてやこの情報社会において、“気付けない人生の選択肢”ってのはそうそうない。
あるとすれば、それは“気付けない自己(内面)の感情”であって、誰にも平等に選ぶ自由(発想する自由)は与えられている。
悩むという行為には多くの意味があるけれど、その中でも、「答えの出ている(あるいは選択肢の揃っている)問いに対しての決断のできない気持ちのもやもや」というものがあると思う。

それを「誰の言う事も予想つくぐらい悩んだ」かどうかは人によるだろうけど、
やっぱり慎重な問題って言うのは、それぐらい悩むもんで、
言葉は悪いけど、ほとんどの人なんか、おんなじこと考えている凡人なわけで、結局自分が考えていること以外の答えを出してくれる人って少ない。
(それは友達だとか、恋人だとか、家族だとか、そういう付加価値の上で、それとなく答えであるかのように錯覚してしまう選択があるのだと思っている)

▼「beautiful glider」は、あくまでも孤独を綴る
じゃあ、いったいどうすればいいんだよ、と。
この濃霧の中から、どうやって飛び立てばいいのだと考える。

羽根の無い生き物が飛べたのは/羽根が無かったから/僕にはとても出来やしないけど/同じ生き物だ
(beautiful glider/BUMP OF CHICKEN)

羽根の無い生き物が飛べたのは、それは勿論、飛ぶ必要があった為の、生物学的な進化なのだろうけれど、
哲学的?に考えるのであれば、最初っから羽根があったら、そいつは飛ぼうと思ったか?ってこと。
羽根がないから、「ああ、空が飛べたらなあ」と思ったのかも?

僕らは「出来ること」の選択肢を与えられ過ぎて、「やれること」も「やらない」で過ごしているわけで。
でもわがまま言って「やれない」ことのほうが「やれるようになる」ことのほうが、価値のあるように見えて。
でも実際問題、それは端から見たらどうかも分からない。

いつだってそうやって頑張って考えて/探してきたじゃないか/いっぱい間違えて迷って/でも全て選んでいくしかなかったグライダー/雨雲の中
(beautiful glider/BUMP OF CHICKEN)

そんな中で、全てを選んで、全てを捨てて、飛ぶしかないのだと、この楽曲は歌う。
もう選ぶのは自分しかいない。
責任は誰もとりたくないから、結局誰も、予想外に背中なんて押してくれやしない。
予想できるような声援しか送ってくれない。
味方なんて誰もいない。

もういい加減、飛ぶしかない。
寄り添うように孤独を諭してくれる楽曲。
それが、「beautiful glider」であると感じました。

キリ無い問答不安材料/でも全て抱いていく墜ちられないグライダー
(beautiful glider/BUMP OF CHICKEN)

▼内省から寄り添いへ
ラストを飾ってる「beautiful glider」は、これまでのバンプに数多くあったような孤独な自己と向き合う内省的な楽曲であるものの、
この「COSMONAUT」というアルバムには「他者への寄り添い」を綴る楽曲も多い。

例えば「HAPPY」では“どうせいつか終わる旅を/僕と一緒に歌おう(HAPPY/BUMP OF CHICKEN)”と歌いあげ、
あくまで自身が、他者によって存在しているものとしている。
「魔法の料理」という楽曲も、“過去の自分”へ向けた、ある意味では他者への寄り添いであり、
これはある意味で「beautiful glider」で歌っていた“全て選んでいくしかなかった”自己を、より俯瞰的に見ている
“誰の答えも予想つくぐらい悩んだ”自己の結果を知っている、特別な視点である。

借り物の力で構わない/そこに確かな鼓動があるなら
どうせいつか終わる旅を/僕と一緒に歌おう(HAPPY/BUMP OF CHICKEN)

セントエルモの火」では、誰かを追いかけている人の視点から歌い、
まるで自分が“誰かに追いかけられている”ような錯覚になるような構成。
後ろに誰かがついてくれている、そう思うことで、安心感が生まれる。

how far are you?/星が綺麗な事に/気付いてるかな
僕が気付けたのは/君のおかげなんだよ/ずっと上を見てたから(セントエルモの火/BUMP OF CHICKEN)

まさに“寄り添い”を綴っている。
この「セントエルモの火」は、“自分より前に進んでいる人”に対して歌うメッセージであり、
「HAPPY」や「魔法の料理」とは、また違った視点になっている。
いずれにせよ、他者によって自己が存在し、内省的な部分よりも、相手の心情へ潜り込んでいくことで、この「COSMONAUT」の世界観は完成する。

▼ノスタルジーに染め上げるアルペジオ
まあ、決してアルペジオばかりが目立つアルバムでもないけれど、
技術的な面でも、BUMP OF CHICKENというバンドが織り成す唯一無二の世界観が表現されているアルバムだと感じた。
「三ツ星カルテット」なんかは、変則チューニングの変拍子で、でも主張しすぎてなくて、
必要な分だけ音が鳴らされる、むしろ内側から聴こえてくるような、そんな錯覚を強いられるノスタルジックなイントロだ。

ロックの王道とも呼べる「HAPPY」で鳴らされる歪んだ太いギターも、
決して、その為だけに主張するのではなく、夫々が良い意味で、目の前の景色のBGMであるかのように鳴らされる。
言葉は、流れるように、ただただ通り過ぎてゆく。

それを、あるべき状況の時に、ふっと拾うことがある。
突然、強いられる幼いころの記憶と重ね合わせて、紐解けなかった感情が少しずつ理解されていく。
きっと“いつか終わる旅”が終わる頃になっても、解明できない“自己の宇宙”を、ゆらゆらと気持ちよく漂える、そういうアルバムが「COSMONAUT」なのだ。

君の願いはちゃんと叶うよ/楽しみにしておくといい
これから出会う宝物は/宝物のままで古びていく(魔法の料理〜君から君へ〜/BUMP OF CHICKEN)

▼あとがき
まあ、これもともとまえがきにしてたんだけど。

BUMP OF CHICKENの楽曲って、噛み砕くまでにとても時間がかかって、
イヤホンから何度も何度も、ランダム再生で流して、ふとした時にすっと心の中に入ってきて
「ああ、こういう状況の時に聴く曲だったのか」と思うことが多い(個人的には)。
所謂スルメソングが多いの(たぶんファンの人はそうじゃないんだろう)。
だから、バンプの楽曲は、活字が多くて、長く重く、すごい分厚い本を読んでいる気分になる(良くも悪くも)。

そんな中でも、やっぱりBUMP OF CHICKENにしか書けない楽曲ってあるよなーと思い知らされるものがたくさんある。


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