HORIZON/レミオロメン
レミオロメンにとっての3rdアルバム「HORIZON」はファンにとっては賛否両論を産んだ所謂問題作だ。
それまでのレミオロメンとは大きく音楽性が変わった、というのが個人的な見解かな。
もっと個人的に言うと、本作は“社会性の高いレミオロメン”が産んだアルバムであると思う。
- アーティスト: レミオロメン
- 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
- 発売日: 2006/05/17
- メディア: CD
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Mr.Childrenも好きという観点から、小林武史プロデュース、ということも踏まえて考えると本作は“急ぎ過ぎたポストミスチル”とも言える。
Mr.Childrenが1st、2nd、3rdまではセンチメンタルな恋愛の歌ばかりを歌っていたことに対し、4thのAtomic Heartで頭角を現し、5th深海で反逆的なダーク一色のMr.Childrenを表現した。
ここで離れていくファンもいれば、そのMr.Childrenというバンドの引き出しの多さ、楽曲のクオリティの高さ、攻撃性の魅力にさらに惹きこまれたファンも少なくなかったはず。
そういう意味で、レミオロメンもいままでの「日常を歌うローカルなバンド」「ギター、ドラム、ベースでストイックにロックを追求するバンド」というキャラクター像を打ち破るために挑戦し「社会性の高いキャッチーなロックバンド」を目指し完成させたのが「HORIZON」ではないかと。
たしかにレミオロメンの魅力のひとつでもある、繊細な詞、センチメンタルな詞、というのが「HORIZON」には多くない。
あまり情景を移さない。
とはいえ「流星」なんかは、歌詞の鮮やかさと情緒、そして奥に潜む刹那が、すごく好き。
流星が昼下がりの町ただ越えてゆく/少年が指差し尋ねる/「ママ、あれは何なの」/「飛行機よ」(流星/レミオロメン)
このように「ビールとプリン」でも表れていた藤巻氏のセンチメンタルな詞が、随所に鏤められている曲もある。
そのセンチメンタルな一端を、社会という大きな視点から俯瞰してみることで、「生」を受けて今ここにいる事とは?というテーマを扱っているようにも感じる。
例えば、「プログラム」は風刺が効いていて、なおかつ実験的な楽曲だ。
野太いベースの音が支えながら、曲は展開していって、間奏で二重螺旋の中へと僕らは迷い込んでいく。
気付いたら、センター試験を受けている。
掻き鳴らされるエレキギターと不連続に迫るドラム、それでも奥に潜む主張を崩さぬかのように鳴るベース。
「プログラム」の素晴らしい部分は、実験的でかつ浮遊感を持った無機質なそのアレンジだが、僕は歌詞のとあるフレーズにとことん痺れた。
その地平に花が咲いて/蜂は蜜を集めて/戦車とミサイルでオセロするんだ(プログラム/レミオロメン)
花が咲いて、蜂は蜜を集めて、戦車とミサイルでオセロするんだ、なんて・・・こんなにも共存するべきでない単語が、共存するはずのない単語が、美しく綴られてしまうなんて。
なぜ情景が想像できてしまうのか。僕はきっと、Mr.Childrenのand I love youがタイアップ曲だった、あのCMを知っていたからだろう。
No Border,カップヌードルのCMである。
本来、共存すべきでない言葉たちが、美しさを伴って共存する。
レミオロメンの「HORIZON」とは、そういう一面も持ち合わせているのではないかと思っている。
分かり易く言うならば、彼らが今まで持っていた「繊細な感性で日常を切り取った美しくも瑞々しい言葉たち」と、新しいレミオロメンが“技術”として綴る「社会性を伴って産み落とされた無機質な秩序や歴史と理不尽なルール」が共存している。
「まめ電球」や「五月雨」、「フェスタ」のような、特にアルバム「朝顔」で感じられたギターロックとしての堅いイメージ、もっと言えば、3ピースとしての良さは確かに希薄になったかもしれないが、彼らにとって確実に進化となった一枚。
ギターやベースのフレーズは手を抜かずに作られているし、キャッチーな路線ばかりに走っているわけでもなく、レミオロメン特有のとっつきにくさも依然と存在している。
1st,2nd,3rdと犠牲になるものがある一方で確実に新たなバンドへと向かっていることが分かるアルバムだ。