コンセプトの先にあるものとはなにか? / コンセプトのつくりかた 「つくる」を考える方法/玉樹真一郎
▼「Wii」元企画開発者だからこその本
本書“コンセプトのつくりかた 「つくる」を考える方法/玉樹真一郎”は任天堂「Wii」の元企画開発者が“コンセプトとはどのように誕生し、どのように展開させていくべきか?”といったことを記したもの。その軽いレビュー。
分かり易い図がいくつも挿入されていていることもさることながらフォントや構成など、とても読み易い。
そして、そもそもこの本自体が「読み手がゲームの主人公」というコンセプトのもと進んでいく。
しかし思うのは、例えばこれが任天堂「Wii」の元企画開発者、ではなかったらどうだっただろう?ということ。
本書に書いてあることは「Wii」の事例になぞらえて進んで行ったりするのだけれど、「Wii」ありきの“コンセプトの作り方”であって、本書に記してあるような“コンセプトの作り方”からはたして「Wii」が誕生した時のような立派なコンセプトって生まれるのかな?と疑問にも思ってしまった。
「Wii」のコンセプトそのものに素晴らしさは感じても、玉樹さんの語るコンセプトの発想法に目新しいものはそう多くなかったような気がする。
- 作者:玉樹 真一郎
- 発売日: 2012/08/03
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
本書では大きく三つの構成に分けられ“コンセプト”を深く掘り下げていく。
→おりていく:コンセプトを定義して作る準備をする
→のぼっていく:コンセプトの作り方
→すすんでいく:コンセプトをどう活用するか
「そもそもコンセプトってなんでしょう?」というところから本書はスタートするのだけれど、とても易しくて大切なプロセスであると思う。
とにかく何度も自身に“why”を投げかけコンセプトを詰めていく。そうすることで次のステップが見えてくる、ということ。
そして、ひとつの視点からではなく、「じゃあ、もしあなたがプレゼンテーションをするとしたら?」といったいくつかの役割の視点からもコンセプトを詰めていく。
役割によって「気持ち」「発想」が大事であったりすれば「覚えやすさ」「伝わり易さ」が大事であったりするし、「実現性」「現実味」が重要であったりする。
最終的には、そのどれもがうまい具合に煮詰まった部分が“核”のコンセプト、となる。
▼「良さ」の悪魔
僕たちが求めているものは、例えどんなものでも“良いもの”を求めていることに違いはないはずだ。
だからこそ、どのようなコンセプトであれ“良いコンセプト”を目標として物語は展開していく。玉樹氏によれば“良い”は2つにわけることができる。
それは、
→既知の良さ
と
→未知の良さ
である。
どちらが良いのか?ということは強く述べていないが本書では「未知の良さ」を追求することとなる。
だからこそ、であるが「Wii」が生まれたといっても過言ではない。
個人的な意見を述べれば、「既知の良さ」は「誰もが一瞬で理解ができるキャッチーさ」を含んでるメリットがある一方で、多くの企業が「知っている」ということは“コモディティ化”の危険を大きく孕んでいるということでもある。
著者も本書の中で世の中の大半の商品が、この「既知の良さ」を頼りにした商売であると述べており、また、その競争の中には「圧倒的なまでのお金・時間・労働力」が必要とされていることを述べている。
「既知の良さ」で勝負するとなれば、激化するコモディティ化戦争に参加するしかないのだ。
しかしそれは膨大なリソースが求められることとなり、つまり、資源の多さの勝負、となる。
なんとなく「良い」という言葉に誘惑され「良ければいい」と思ってしまいがちであるが、「既知の良さ」とは安全な道を選んでいるにすぎなく、「他者と同意」なのだ。つまりそこに「変化」はない。安全地帯で商売を続けているに過ぎないのである。しかし、その安全地帯はどこよりも熾烈で生き残るのが難しい。
そこから抜け出るとすれば、やはり「未知の良さ」の発見が必要となる。
▼ビジョンの「否定」が価値を作る
一方で「未知の良さ」とは、他の企業が追従できないメリットがある。
「誰も知らない」のだから手の打ちようがない。その「未知の良さ」にしか本当に世界を変える事はできないのだ、と玉樹氏は述べている。
「未知の良さ」とは簡単に否定ができてしまう。なぜなら「誰もやったことがない」のだから失敗する危険性が未知であるからだ。「それって本当に“良さ”なの?」と言われてしまえば、返す言葉がなくなってしまう。
しかし、その「否定」されるビジョンを突き詰めていくことで「コセンプト」が完成していく。
本書では、とにかくビジョンを発想していき、その多く上げられたビジョン、否定されるいくつものビジョンの中に、“一筋のコンセプト”が含まれているのだ、と記されている。つまり「複数のビジョン」を「否定する価値」こそが「未知の良さ」の「コンセプト」なのだ、と。
最終的に否定される「一筋のビジョン≒一筋のコンセプト」こそがコンセプトへの最大の近道であると。
▼コンセプト実現のアイテムと「Wii」が誕生するまでの実践例
「じゃあ、そこから「コンセプト」を実現の為に必要なものは?」といった話が、その先で展開されていく。もう少し具体的に言うと「どのようにプレゼンテーションしていけばよいか?」ということである。
この辺りは、桃太郎の話が例に出されたり、絵がたくさんあったりと、とても分かり易い。
最終的に「コンセプトのアウトプットまでのプロセスと原理」がまとめられ、実践例へと移っていく。つまり、「Wii」をどのように誕生させるか?という実践例。
実際に企画担当者たちが集まり、意見を交換し合い、どのようなディベート、司会を行えば、うまくブレストが出来、価値のあるコンセプトへ近づけるか、というもの。
付箋を用いたアイディアの出し合い、仲間の意見を否定しないといったルールや、KJ法など、ディベートに必要なハウツーが各所に鏤められている。司会者が進行に困ったときに使える質問例など、具体的に書かれているから、分かり易い。
が、これといって目新しいディベート方式でもなければ、本書に準えたディベートのやり方でうまいブレストができるかな、と考えると疑問を抱かずにはいられない。
やっぱり司会者の腕だろうな、集まった人の能力だろうな、と思ってしまう。この辺りは「Wii」元企画開発者ならではという感じはしないかな、と。
▼「あるもの」をやっていても面白くない
説明しすぎてしまった感が否めないけれど、とにかく「あるもの」を追従していっても面白くないじゃん、ということである。
もちろん、これだけ情報や技術の溢れる時代であるから僕は「あるもの」をエディットして「新しい価値」を整理することも大事だと思っている。
ただ「Wii」は「未知の良さ」であるから、そのプロセスが本書では描かれている。
▼「家族」と「ゲーム」を結びつけたコンセプト
なにより「Wii」がすごかったのはやはりその「コンセプト」だと思う。
- 作者:瀧本 哲史
- 発売日: 2011/09/22
- メディア: 単行本
「僕は君たちに武器を配りたい/瀧本 哲史」でも例に上げられていたけれど「家族でゲームをやる」という図はいままでになかった。特に本書では「お母さんが嫌いにならないゲーム」という所までコンセプトが詰められている。
これこそすぐにコモディティ化されてしまうスペック重視の「技術」や「リソース」ではなく、「コンセプト≒発想」で勝負する強さ、だ。無二の価値である。
「コントローラー」ではなく「リモコン」と呼んでほしくてあの形にした、というのも素晴らしいアイディアだ。いままでのゲームという形に捉われない「未知の良さ」である。本書の最初の方でも述べられているけれど、なにより「ゲームが好き」という思いが生んだコンセプトなんだろうな、と感じる。
「未知の良さ」だからといって、「誰にも想像がつかない」のはNGだ。「未知」の先に一筋の光が見えて、そこに誰しもが興味を持つ、そういう「未知の良さ」が「良いコンセプト」であり持続的な価値を生む。
もっと言えば「お母さんが嫌いにならないゲーム」といったコンセプトはそれまでの「ゲームが持つ問題、課題」であって、それを解決しようとしたからこそヒットしたのだと思う。
これがスペックを重視した開発であったらいままでと同じ繰り返しになったのではないなかな、と。
「問題」や「課題」に対して「どのような価値付け」を行えば「解決」に迎えるのか、本書の言葉を借りれば「批判されるビジョン」に対してどのような「コンセプト」でアプローチできるか、ということが大切なんじゃないかな、と。
▼コンセプトはあくまで第一歩
玉樹さんは「Wii」が発売する前夜、とんでもない緊張でほとんど眠れなかったと書いてある。「あんな面白いものなのに、きっとヒットするに決まってるじゃん、任天堂だし」なんて僕は思ってしまったのだけれど、それも「未知」だからこその緊張なんだろうな、と思う。玉樹さんは“「Wii」は僕たちの想像以上の越えた反応だった”と語っている。
そして、そのコンセプトが想像以上の反応を示してこそ、やっと第一幕が閉じ、コンセプトは死を迎える、と(“死”ってすごい大げさな表現だな、と読んでいて僕は思った)。
ただ、そこから世界はやっと動き出すのだな、と。
世界を動かす軸、核、それらをとても分かり易く、かつ具体的に記した“コンセプトのつくりかた 「つくる」を考える方法/玉樹真一郎”
そしてなにより“思い”が詰まった一冊だった(あとがき、や第3部が特に好きだった)。そんな感想。