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僕らのヒーローはドラえもんだった―PEN+[大人のための藤子・F・不二雄]

長らく更新を怠っていた。
平常運転に戻ろう。
というわけで。

今月号のPENはドラえもん特集だ。大人のための藤子・F・不二雄。その特集と言った方がよいか。
ドラえもんの誕生した年は22世紀、2112年。
つまり今年から100年後にドラえもんは誕生するということになっている。

ドラえもんの名作「ぼくの生まれた日」が原画でまるまる一話収録されていたりするのも読みどころ。
そして僕の大好きな今日マチ子さんらクリエーターが紡ぐトリビュートドラえもんも収録。
今日マチ子さんは「私なりのドラえもん最終回」というテーマで2ページに渡る漫画が描かれている。これがとても切ない。

Pen+ (ペン・プラス) 大人のための藤子・F・不二雄 2012年 10/1号 [雑誌]

Pen+ (ペン・プラス) 大人のための藤子・F・不二雄 2012年 10/1号 [雑誌]

▼僕らのヒーローはドラえもんだった
日本が世界に誇るアニメーションと言ったらなんだろうか。
正直な所、パッと思いつくのは「ポケットモンスター」だ。
アメリカに住んでいた時、やはりポケモンの威力はすごかった。

ポケットモンスター」はこれからの世代の新しい心のヒーローになるのかな、とも思ったりする。

でも僕らの世代はアニメと言ったら「ドラえもん」じゃないかな。
サザエさん」とか「ちびまる子ちゃん」も思いつくかな。
色々あるね。

でも、今振り返ると心が負けそうな時に支えになってくれるアニメは「ドラえもん」だったようにも思う。
アメリカのヒーローがスーパーマンとか、スパイダーマンとか、キャプテンアメリカとか、そういうのが子供たちのヒロイズムだとすれば。
僕らの心のヒーローはドラえもんだったんじゃないかな、とさえ思う。まあ、アメリカの子供たちが成長して、心の支えにするヒーローがそうであるかは聞いたことないけれど。

ドラえもんってとってもシンプルだ。

勿論その裏側に綿密な設定が仕組まれていて、その伏線が綺麗に描かれている模様がシンプルに見えているのだけれど(PENの特集では藤子・F・不二雄のその綿密さが窺える)
子供たちの心に響くのは「のび太、頑張れ」とか「ドラえもん助けて」とかそういうシーンだ。
僕自身、心に残っているのはドラえもん長編映画のオープニングでのび太が「ドラえも〜ん」と助けを呼ぶシーンだ。

ドラえもんがいたらいいのに。

そういうシンプルな思いが心に沁みこんで、支えになる。
ヒーローってそういうもんだよね。
でもドラえもんは決して一人ですべて解決しない、当事者と一緒に問題に立ち向かって、どうやってその壁乗り越えようか?って考える。

▼PEN+[大人のための藤子・F・不二雄]の魅力
ドラえもんのみならず藤子・F・不二雄についてとことん特集している点。
その生い立ちやインタビューからの名言、短編集の解説。
また、ドラえもんの世界は実現可能かどうか?など。

リエーター(今城純[フォトグラファー]、千原徹也[アートディレクター]、今日マチ子[漫画家])のドラえもんトリビュートや
斉藤敦(プロデューサー)と善聡一郎(監督)のコメントを含めたアニメドラえもんができる過程や、寺本幸代(監督)のコメントのついた映画ドラえもんの歴史。
そして数々の著名人の寄稿など、様々な視点からドラえもんが覗ける。

最後には小説家、辻村深月さんによる描き下ろし短編小説もある。
辻村さんは藤子・F・不二雄氏へのオマージュ作品を描いていたりしたんですね。
知らなかった。

▼キャラクター同士の信頼感と、ドラえもんが教えてくれる「新しい価値観」
そんな僕らのドラえもんに対する思いは、大人になってより沁みてくる。
のび太の心の弱さとか、ドラえもんの諭し方とか、そういうの、よくわかるなあって共感が成長する度に強くなる。
というか漫画の中におけるキャラクター同士の信頼感が沁みる。
収録されている「ぼくの生まれた日」なんかもそうなんだけど。

「そんなことないよ」っていう違う視点が、キャラクターを勇気付けていることが多いんだよね。

「僕の生まれた日」であれば、のび太は「僕はこの家の子じゃない」という思いに駆られてしまうのだけれど。
ドラえもんはそっと「そうじゃない視点」を秘密道具を使って諭す。
のび太は「本当の子であった」という事実以上に「そんな風に自分を見てくれていたのか」という新しい視点を感じることで、もっと勉強しようという思いが芽生える。

僕は「パパもあまえんぼ」という話がとっても好きで。
のび太のパパが酔っぱらって帰ってきて、どうしようもなくて、おばあちゃんに叱ってもらおう!とタイムマシンに乗って会いに行くのだけれど。
のび太のパパはおばあちゃんに甘えてしまって泣きつく。

その後、ドラえもんが「大人は寄りかかる人がいなくて大変だね」とぼそっと呟く。
「そうか、大人は弱音を吐ける人がいなくて辛いのか」とのび太は学ぶ。
必ず一話ごとに小さな価値観が転がっている。

▼想像力は思いやり
以前も書いたけれど、想像力のない人が人殺しをしてしまうのだ、という話がある。

ドラえもんを読んだ人ならきっと「四次元ポケットで道具を使うなら〜」とかいろんな想像を膨らませたと思う。
そうじゃなくても、ドラえもんがいたらいいのに、ってきっと思う。
それって小さな想像力だ。

「ああいうことができたらいいのに」
「こういう風にやれたらいいのに」
ドラえもんがいたらいいのに」

のび太みたいな思考回路の僕らのソレは、まるで逃げ道のようにも思えるけれど。
逃げ道を想像する力を持っているのだ。
決して答えがひと通りでない事をドラえもんは教えてくれる。

そして、様々な思いやりが錯綜するのが名作の「おばあちゃんのおもいで」。
のび太がおばあちゃんにしてあげたいこと、おばあちゃんがのび太にしてあげたいこと。
「だれが、のびちゃんのいうこと、うたがうものですか」という言葉はとても力強く、凛としていて泣けてくる。

のび太に自分自身を投影する読者は、その信頼感と思いやりにグッとくるのではないかと思う。

▼なくさない理想と夢
インタビューで藤子・F・不二雄氏はこんなことを述べていた。

のび太の強さというのは、20年間かかって少しも向上していないにも関わらず、なお自分の理想像というものを失っていないということでしょうね。それがあってほしい1つの生き方だと思うんです。(中略)ダメはダメなりにやれることがあるわけで、その中で少しでもよりよくと思って、失敗しても失敗してもくじけないわけです。『小学二年生』(1989年)

人間生きていれば辛いこともあるし、正直、のび太みたいに何度も起き上がれないこともあるだろうなと思う。
でも、まあ、少なくともこの漫画の世界には夢に向かって生きていく、常に理想を胸に抱いて成長していく子供たちがいるわけで。
少しでもそこから作者のメッセージを汲み取れたらな、とも思う。