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今日も無事なら明日も無事でいて。そんなくだらない話。

「思いを伝えるということ」展(大宮エリー)@PARCO MUSEUM パルコミュージアム

偶々聴いていたラジオのゲストが大宮エリーさんで。
スピッツの「海でのはなし。」の監督さん、ぐらいのイメージはあったのだけれど、そのラジオで薬学部出身ということを聴いて。
丁度武蔵野美術大学の卒展を見に行った後ぐらいで、美大生はいいよなーとか思っていたところに、そんなのを聞かされ、薬学部(東大)からCMディレクターになるなんて、すごいな!面白いな!と興味を持ち。

そこで「思いを伝えるということ」展の告知をしていて。
メモをとって。
もう、タイトルからして面白そうなんで行くしかないな、と。


Ken Kagami Retrospective | PARCO MUSEUM | PARCO ART

展示について。

圧倒される作品はなかったのだけれど、どの作品も発想、アイディアが素晴らしくて。
大宮エリーさんの感情がすごく伝わってくるものばかりだった。
色合いとか、雰囲気とか、使っているものとか、愛情、やさしさ、気配りが見えて穏やかな気持ちになれた。

人に思いを伝える、ということをとにかく肯定してくれる作品たち。
そして「伝えられなかった」ということも肯定してくれる。
なにより「自分の気持ち」を大事にしてくれ、そのためなら、なにも厭わない、そう言ってくれている。

ただ、よくもわるくも言葉に頼りすぎている箇所が多いかな、と。
芸術家なわけではないので、そこはまた違うのかもしれないけれど。
アイディアとか、作品を、言葉で補いすぎているなーという印象はあった。

以下、作品名は適当。

▮感情の箱

入口に入ると箱が置いてある。
箱には「嬉しい」や「悲しい」などの言葉がついており、箱の中に手を突っ込めるようになっている。

つまり感情に“触れる”ことができる。
発想がユニークで、そこに「虚しい」という箱があったことに僕は感動した。
この箱には、後になって面白い仕掛けがなされており、それもまた素晴らしい、温かい。

▮心細い平均台

なんの変哲もない平均台が置いてある。
ただ、そこを渡るのはどこか心細くて、渡り終えた後は少しだけ達成感がある。
この平均台が、思いを伝える時の心細い気持ち、と重ね合わせることができる。

けれど、これは言葉要らなかったんじゃないかなー、ない方がいろいろ考えられてグッと来たんじゃないかなーと思ったり。

▮3つの扉

ひとつとして同じ形のない鍵が床に乱雑に置かれている。
そのうちのひとつをとって扉を開く。
カチッと音を立てたら、正解ですよ、と。

どれを選んだって扉は開くのだと。
大事なのは“開こう”とする気持ちなのだと。

▮プレパラート

顕微鏡の発想は薬学部ならでは、と言うべきか。
これは面白いなーと思った。
発想そのものはよくあるものなのだけれど、それを実際に顕微鏡とプレパラートでやっちゃいましょう、っていう行動力が面白いと思った。

確か今年の武蔵野美術大の卒展にもこんな表現方法の作品があった。
人の思いは小さくて目に見えない、と。

▮電話ボックス(公衆電話)

この展示で気にいった作品はふたつあって、ひとつは「感情の箱」そしてもうひとつがこの「電話ボックス」
この展示会では「作品」を言葉で補うことが多いのだけれど、これは「もしもし?」とか「元気?」とかしか言わない。
でも、その「もしもし?」とか「元気?」に其々の記憶と過去を追憶させることができる。

人の気持ちなんて伝えようと思った100%はきっと伝わらなくて、もしかしたら言葉にしたって10%しか伝わらないかもしれない。
それはどうしても相手の経験とか気分とかタイミングに大きく影響するからで。
そういう意味では「もしもし」だけで「好き」とか「大丈夫?」とか「明日どうする?」っていうのが伝わってしまうかもしれない。

全く泣けなかったけど、個人的にはもう少し攻めて泣ける仕掛けにしてほしかったな、と思ったり。

▮ボトルメッセージ

その名の通り、ボトルに詰められた紙にいろんな人の吐き出せなかった、伝えられなかった想いが書かれている。
入場者も参加することができる。
誰も知らない言葉が胸を刺す、インターネットの空間のイメージ。

そもそも、この個展は「誰の言葉」や「誰の感情」か分からないから匿名の雰囲気と少し似ているな、と後半で思っていた。

▮離陸

これだけは、ちょっといまいちよくわからなかった。
というのも言葉での説明はものすごいグッと来たのだけれど(伝える為に離陸しますよ、準備はいいですか?というもの)。
その先になにも待ってなかったので(夕陽は待っていたけれど)、あの作品が言葉以外で伝えたかった事はなんだろう?と考え込んだ。

▮夕陽

最後に“夕陽”という作品が残っているのだけれど、ここまで来ると、「1対1の伝える」ではなく「思いの共有」という感じがした。
とにかく「人」「感情」を大切している人なんだな、と。
作品のひとつひとつが、良い意味で大人が作ったものとは思えなくて、美大生が作ったような剥き出しの感じがした。

美術展っていうのは、そこに行くまでの道のりとかも作品や心情に影響するものだと僕は思っていて。
今回の展示は渋谷のパルコなので当然のことながら人混みをかき分けて、ミュージアムの入り口もざわついているのだけれど。
それがもう少し違う場所だったら、もっと違ったかなーと思ったりもしました。

とにかく狭いスペースに目一杯の「伝える」が込められている展示でした。