僕らはインターネットで向上心を喰い潰されていく
草食系男子、という言葉が少し前に流行った。
恋愛をあまりせずに、趣味にお金をかけるライフスタイルの男性。
僕はあれもこれもカテゴリーに分類してしまうのは、かけるべきでないフィルターを通してしまっている気がするので、好きじゃないのだけれど一理あると思う。
それは“恋愛をしなくなった”という部分に一理あると思っているのではなくて“趣味が多様化した”という点においてだ。
インターネットの登場によって僕らは多様な世界を覗くことができるようになった。
望むものなら大抵手に入る。
人間関係だってインターネット上で構築可能だ。
仮想世界だ。
セカンドライフは流行らなかったけど。
僕らはインターネットのある時代に生まれ、持ち運びの容易なコンピューターを抱え、場所を問わず世界とも君とも繋がれるようになった。
刺激なんてそこら中にあるのだ。
パソコンの前に座れば僕らは満足する。
出会い系サイトに足を踏み込めば、ちょっと危険な遊びができるし、SNSで知らない誰かとの出会いもちょっと刺激的だし、君の望むささやかな日常もmixiやFacebookに転がっている。
情報垂れ流しのtwitterはテレビやラジオより早い。
通り魔事件が起これば。
「ヤバイ」「すごい」「大変だ」などと瞬く間に情報が錯綜するだろう。
テレビやラジオはそれを整理する時間がいる。
でも、その「整理する人(エディター)」ですらたくさん存在するようになってしまった。
いかに人生を便利にするか?
世の中に散らばったアイディアを整理し、ブログで紹介する。
僕らはそれをtwitterで知り、読み、実践する。
便利だ。
あまりにも便利だ。
世の中を生きたいように生きれてしまう。
辛いことがあったら、傷を舐め合える相手を探せばいい。
虚しいと思ったら、それを埋め合える相手を探せばいい。
勿論、空虚だし、そんなことに現実性はないし、仮想である。
ただ人はもともと“錯覚”して生きてくのだから。
そうやって生きていくことに疑問を持たなければ幸福は自ずと訪れる。
話を戻すと。
下品な情報が無料で排泄されているだけではなく。
無償で整理された情報も提供されている。
そんな世の中に生きているから、個人が尊重されてしまうのだ。
それぞれがそれぞれのライフスタイルを確立し。
ささやかで小さく慎ましい暮らしに幸福を感じ。
小さなコミュニティーにこそ、大切なものがあると田舎的価値観を大事にする。
片やスターバックスでマックブックを開き仕事に精を出し。
社会の歯車と化す事に快感を得、洒落たマンションに帰宅し。
たまの休みには友人たちと旅行へ行く。
もしくはインターネット上に新しい自分を生み出し。
アルファなんちゃらみたいなことやっちゃって。
根拠のない評価で満たされた優越感に浸ったっていい。
そういうライフスタイル。
あまりに自由だ。
そんな中で不満なんか起こるわけないよ。
不満が起こっても自己中心的な事ばかりでしょう。
でも、そんな自己中心的な不満も、誰かに諭されちゃうレベルでしょ?
こんなに自由な生き方があるんだもの。
それでいいじゃない。
十人十色って言うじゃない。
怒るのも疲れるし。
なんか面倒くさいし。
だるいし。
サブカル系の漫画そんなんだし。
いいじゃん。
でも、そんなことないな。
これはあまりに越えられない壁だな。
でも、越えないと死んでしまうんだな。
そういうものを体感すべきなんじゃないかと。
こんなこと言っているようではどこかで「なんも分かってねーな」って誰かが言ってそうだな、と。
そこに憤りを感じなくてはいけないな、と。
そういうことを思っている。