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名和晃平展(シンセシス)@東京都現代美術館

ずっと書こうと思っていたけれど、書けなかった。
まるで説明できる気がしないと言うのが理由。

名和晃平展は
PRISM,BEADS,POLYGON,VILLUS,DRAWING,GLUE,LIQUID,SCUMの其々8つのカテゴリーから成る(全部で12ゾーン)。
特に名和晃平と言ったら、という作品群がBEADS,SCUM,POLYGONだと思う。
公式HPのCATEGORIESから其々の作品解説へ。

公式HP
KOHEI NAWA - SYNTHESIS

美術展で、なにが最もインパクトがあったかと言えばBEADS、LIQUIDであったように思う。
LIQUIDに関して言えば、ただ泡がグリッド上に白い液面に連続的に浮き上がる?だけなんだけど。
現れては消え、現れては消え、の繰り返し。

また、BEADSは名和晃平氏が自ら通販で剥製を取り寄せ、その剥製の表面を透明の球体(セル)で被覆したもの。

もともと、今回の展覧のテーマのひとつに“アナログ×デジタル”みたいなものが暗に存在していたらしく、その象徴といえるのがBEADSであったり、POLYGONであったりしたんじゃないかと思う。
モチーフ(剥製)を覆ったBEADS(透明の球体)でデジタルにおけるPixelの比喩となる。
BEADSのひとつである同じ剥製(今回は鹿)を組み合わせた作品、ダブルはコピー&ペーストの感覚をアナログに産み落としたもの。
多分、その感覚はPOLYGONにもある。巨大化した彫刻が、二重になって存在している感覚はちょっと圧巻。
もっと言ったらLIQUIDなんかは視覚に最も訴える作品でデジタルな感覚(連続性の組み合わせ)をアナログで表現し、感じさせ、その連続性がどこか認知の錯覚を起こし易い危険性を訴える、ということかもしれない。
情報の化学反応、ということにおいてものすごくマクロな部分を抽出して表現している作品が多い、のかな。
人間の感知できないデジタルの底を、表現しようとした。
そのデジタルの部分をアナログで、感覚に訴えかけさせようとした。

そう考えると、僕には「人間臭さ」を排除した作品であるべきのような気がするけれど、インタビューとか呼んでいると「あえての不完全さ」も失くさないようにしている、らしい。

僕らが知覚できない世界(次元)は、きっといくつもある。
このPixelに対する表現であっても、想像でしかないかもしれない(そうなると知覚しているものすべてが想像になってしまうけれど)。
「ない」を知覚するには「ある(あった)」が必要であるように、今回のシンセシスは表現しようとするものとは、違う次元のものを想起する必要があったと思う。
だから見る側は、その「表現されているもの」を「表現する為に必要だった次元」を知覚する。(書いている僕がなにを言っているかよく分からない)
例えば、アーティストがメッセージを丹精込めて作った作品のインパクトに感動する、と言った感じの個展ではなく、普段僕らが素通りしているデジタルの世界に対する感覚を、ぞわぞわっと呼び起こさせ細胞に訴えかける、認識していなかった次元の存在をうっすらと知覚させる、そういう感覚の個展でした。