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あなたの呼吸が止まるまで/島本理生

あなたの呼吸が止まるまで (新潮文庫)

あなたの呼吸が止まるまで (新潮文庫)

女性にしか書けない文章だと思った。
けど、それは「才能がある」とか「センスがある」というニュアンスとはちょっと違ってあくまでも「女性らしさ」が出ていたと思う。

第二次性徴期少し手前の女の子の感性というものは、男子のソレとは違う。
昨日まで見てきたものとは明らかに違う性に対して生臭さを感じ取るようになるのが女性のように小説を読んで感じた。
一方で、男子はそれを艶めかしい何か、漫画の片隅に咲いていた妖花のような、少なくともそこにリアルをあまり感じていなかった。

どちらも臆病だったと思う。
ただ、女子の方が男子より明らかに現実的に考え、思考に現実味があった。

それもあってか小説の中に生きる朔*1は大人びていた。
それが故に周りとの意識の差に戸惑い葛藤を続けた。
問題にも衝突した。

この辺までの考え方とか、本当に女性じゃないと上手く表現できないと僕は思う。

きっぱりと言い切った田島君には、男の子の強さが滲んでいました。
そんな彼を見ていると、体を支えていた骨さえも溶けて柔らかくなっていく気がしました。そんなふうにゆるく弱くなっていく自分が、なぜか不思議と、愛しくもありました。(あなたの呼吸が止まるまで)

正直、小学生がこんな感性を持ち合わせているとは思えないけれど、この小説の中でとても気に入った一文。
説明要らずだと思うけれど、こういう感覚って年を重ねた人間ほど、なにかに溺れた時に感じるものだと思う。

こういう表現が随所に鏤められているのもこの小説の魅力のひとつ。
ただし、内容自体と大きく関わるかと言えば、そうでもなくて、例えば、村上春樹が同じ内容で文を綴っても結果に大きな違いは生じなかったかもしれない(揶揄ではない)。

内容自体は、どこかで批評されていたけれど「ある(真新しくない)」内容ではある。
ただ、「ツ、イ、ラ、ク/姫野カオルコ」よりは僕はリアルさを感じた。
後味が悪い、とも言われるけれど、そうも僕は思わない。

芯のある強さを必要としていること、それが感じ取れた小説でした。

最後に。
解説にもあったのだけれど、小説の最初の方で、国語の授業の中で朔が「善人」という言葉を辞書的ではなく自分なりに意味を定義するという場面があった。
すると朔は「田んぼのカカシのようなものだと思います」と答える。

その言葉に、先生は一瞬だけ首を傾げました。
「それ、詳しく説明してくれるかな」
「説明っていうか、あの、なんとなくです。役に立つけど、嘘だって分かったら、途端になんの力もなくなって、逆にそれまで守っていた場所を好き勝手に荒らされちゃうところが」(あなたの呼吸が止まるまで)

*1:さく