今日もご無事で。

今日も無事なら明日も無事でいて。そんなくだらない話。

夜に静かな独り言

 6畳間。テレビの音楽番組で鬼束ちひろが「月光」を歌っている。“I am GOD'S CHILD [私は神の子供] この腐敗した世界に堕とされた”と綴られた言葉、いつ聴いてもいいなー。でも現実感ねーな。この小さい枠組みの向こう側、録画された歌がRGBで写されてんの?ところで、この歌って500年後も価値あるものとして生きてるかな?そりゃ、ないな。Beatlesだって歌い継がれているかどうかでしょ。いや、こんな阿呆らしいことが言いたいんじゃない。
 どうしても現実感がない。腐敗した世界だかなんだか知らないが、それを俯瞰して見ている自分がいる。録画された鬼束ちひろが写るテレビを6畳間の部屋で見ている自分がいる世界。それってつまり僕が、この世界に夢中になれていないってことじゃなかろうか。テレビの鬼束ちひろに感情移入できていない。こんなに名曲なのに。オザケンフジロックでんのかよやべーよやべーよって俺も騒ぎたい。
 以前、その作品が名作かどうかを感じ取れるのは、その時のコンディションも大きく関係していると書いたことがある。極端に言えば、失恋したタイミングで大好きなアーティストが失恋ソングを出したら、その人にとってその曲の価値は何倍にもデフォルメされてしまうだろう。性格にもよるけど。そう考えると、当たり前だが、この世界だって自分とのコンディションの兼ね合いである。
 そんな状況下でさあ、選べ、選べってさあ。選べるわけがないじゃん。いつだって手放せないものばかりだよ。もう目の前にきたらどんどん膨れ上がるばかりだよ。ずっと持ってたいよ。待ってくださいよ。持ってと待ってってどうしてこんなに漢字が似てるんですか。持つは手偏で、待つは行人偏なんですか、ええ、そうですか。
 例えば「就職しよう」「結婚しよう」「子供を育てよう」って言われてもね、もうそれ博打なんですよ。安定的な未来なんて、どこにも保証されていないし、「あなたとならどんな未来も乗り越えて行けるわ」ってそれどんな愛情保証ですか。愛ってそんなにすごいんですか。そんなにすごいのに、なぜ大抵の愛は犠牲の言い訳に使われるんですか。
 じゃあ、「結婚したい」って思うときってどんなときってもうそれは打算的な考えですよ。いやらしく、貧相な心の持ち主。いますぐ撃ち抜け。抉り出せ。捧げ。
 そういう想像力のない癖に過信して生きているやつが嫌い。俺はすごいんだぞって思ってないのに、心の底で「俺ってなにかできるかも?」って思ってるやつが嫌い。僅かな希望に縋っている奴が嫌い。絶望の底で叩きのめされろ。もうすぐそこに見えてるんだ奈落の底は。奈落の底見えたらやばいっすね。見えるってことは光が届いてるってことっすよね?それやばくない?奈落の底浅くない?底が見えないから奈落の底なんじゃない?
 ここまでだいぶ妄想なんですけど。精神は正常です。正常なんだけど、最近漠然とした不安が募りすぎて、書かずにはいられない。なんていうか綺麗に生きすぎている。もっと人間関係とか、社会とか、世界とか、ギスギスしているべきでしょ?みんなほんとにそんなに綺麗に生きてるの?信じられないんだけど……。
 批判とか、綺麗すぎるんだよ。肯定すんのは下手すぎる癖に、ものごとの悪口が普通すぎるの。それ、ちょっと改変したらすべらない話で、笑いに変えられちゃうやつじゃん。笑いに変えられないジョーク言ってよ。あ、もうジョークじゃないか。つーか、そんなこと話しても生産的じゃないしね。「で、話したところでなにか解決するわけ?」って言われそうだな、当事者に。
 だったら黙っていて欲しい。ずっと黙っていてほしい。自分の無能さに気付いて、棚に上げている自分をすべて引き下げて床に敷いて販売してほしい。まずはそこからでしょ。そこからはじめるべきでしょ。なに自分、もっと価値あるものとして考えてるんですか?
 どうしたらいいのかわからないっていうより、もう漠然とした不安だよね。然るべき選択肢は、出尽くしたよ。可能性も有り余っている。例えば、ドラえもんにだって会える気がしているけれど、それはちょっと違う。僕が欲しいものはドラえもんではないし、四次元ポケットでもない。仮にもしもボックスがあったとしても、なにかを唱える気は更々ない。どうしてかって、もう漠然としているから、未来が。絵空事すら書けないわけですよ。え?ドラえもんに会えるっていう絵空事が?すぐそこに?書かれてる?
 ちょっと前までは答えを出してくれる人を求めてた。答えは自分でしか出せないことがわかっていても、答えが欲しかった。でもどうやらそうではないみたいだ。
 いまはもう漠然としていて五里霧中。ちょっと前なら、答えのない問いに頭を悩ませていて「こりゃあ、暗中模索だわ」とか思ってたんだけど、本当の闇はここでしたね。なんも見えねえ。なんのせいでなんも見えねえのかもわからねえ。ただただ漠然とした不安がそこら中に広がっていて正体もつかめない。どうなったら最高とか、どうなったら最低とかもわからん。もう自分がない。
 冷静に考えたら疲れているだけな気もしてきた。寝るか。

ヒカリノアトリエ/Mr.Children[感想・レビュー]

ヒカリノアトリエ

ヒカリノアトリエ

 集大成じゃない“今”を照らし出すヒカリノアトリエ

 どんな風に毎日を過ごしていても、生きている限り傷つくこともあれば、どうしようもない出来事に出合うことが多々ある。それは逃れようの事実であることを私たちは知りながらも、衝突の度に柔軟な心は、その事実に耐えようとしながらも望まない形に歪んだりする。「気持ちよく毎日を過ごせたら」「なににも靡かれず、雨にも風にも出くわさず、平穏に今日を生き続けることができたら……」そんな一縷の望みを口にすることは、夢想家の戯言に近いことも知っている。それでも、日々を生きているのは、大袈裟に言えば、ものすごく大袈裟に言えば“100万回のうちたった一度ある奇跡”を見逃さないためなんじゃないかと、たまに思う。たとえ「惰性で生きている」と答える人がいたとしても、その人にとっての奇跡はきっとあるはずで、その瞬間にいつどんなタイミングで出くわすことができるかにかかっている。

 Mr.Childrenは2017年の5月10日でデビューか25周年を迎える。アニバーサリー・イヤーに用意された第1弾シングルが朝ドラ「べっぴんさん」主題歌である『ヒカリノアトリエ』だ。『ヒカリノアトリエ』は、昨年前期から実施されている「Mr.Children Hall Tour 2016 虹」でも「こころ(仮)」「お伽噺(仮)」についで新曲として披露された楽曲。
 実は「Mr.Children Hall Tour 2016 虹」そのものが特殊なバンド編成でのライブとなっており、Mr.Childrenのメンバー4人に加え、キーボードとしておなじみのサポートメンバー「SUNNY」、管楽器(トランペット、サックス、フルート)の「山本拓夫」「icchie」「武嶋聡」(公演により参加が異なる)、そして異例とも言われた抜擢が女性2人ユニット「チャラン・ポ・ランタン」からアコーディオン奏者として小春が参加。
 チャラン・ポ・ランタンMr.Childrenの関係は、このツアーを機に深まり、1月18日に発売されるほぼフルアルバム「トリトメナシ」に収録される「かなしみ」に演奏でバンドメンバー全員が参加している。Mr.Childrenのメンバー全員がひとつのアーティストに“演奏”として参加するのは、これまた異例であり、楽曲の仕上がりも素晴らしい。

 『ヒカリノアトリエ』の話をしているはずが、チャラン・ポ・ランタンの新曲を紹介してしまったが、昨年から行われているツアー「Mr.Children Hall Tour 2016 虹」、そしてそれを得てリリースされた『ヒカリノアトリエ』はMr.Childrenにとって新たな姿をうつす1曲となった。
 ツアーメンバーの編成からも分かるとおり、今回のMr.Childrenは“サックス”や“アコーディオン”といった楽器にスポットをあて調和した、少し安易な言葉で語ってしまえば“あたたかみのあるMr.Children像”を“アレンジ”で生み出している。
 その中身も“いままでのMr.Childrenの集大成”を25周年という節目で見せつけるといった壮大なアレンジや演奏になっているわけではなく、あくまで“着実に1歩、新たなステージに進んだMr.Children”を感じさせる楽曲だ。

 “温かみ”と“切なさ”が共存するアレンジ

 それは朝ドラを意識してのことだったのかもしれない。『ヒカリノアトリエ』のイントロから流れるアコーディオンのメロディーはなめらかに美しく、温かみと切なさで心を包んでくれる。一旦演奏がひけたあと、桜井氏の歌とアコースティックギターがかき鳴らされる。前向きな言葉が綴られながらも、その後ろ側に秘められた迷いと決意の気持ちが汲み取れる。

「雨上がりの空に七色の虹が架かる」
って そんなに単純じゃない
この夢想家でも
それくらい理解ってる(ヒカリノアトリエ/Mr.Children

 『ヒカリノアトリエ』は楽曲の中で終始、気持ちの“表側”と“裏側”について歌っている。それは、陰影がついてこそ“光のアトリエ”がやっと完成するということを表現しているのかもしれない。確かな事実と幸せは、いくつもの闇を抱えながら成り立っていることを、この楽曲でも、あらためて歌っている。
 あたたかでキャッチーなメロディーの裏側で、儚げに鳴るアコーディオンは、“温かみ”と“切なさ”を共存させ、いままで以上に訴えかけてくる桜井氏のハモリは、その闇と光、裏と表、そんな2つの側面を持った心の声を表現しているようだ。
 大サビに入る前のクラシックギターアルペジオは、少しだけ切なさをおさえて安心感を与える。そして、心なしかアウトロにかけてのバンドの演奏がフルートの軽快な鳴りのせいか、イントロでの印象よりもより明るいものになっているように感じている。
 余談だがSecret Trackとして収録されている『Over』は、『Alone Again (Naturally)/Gilbert O'Sullivan』に影響を受けているようで、「明るいメロディーに、悲しい歌詞を載せたい」といったコンセプトから作られたと桜井氏は語っている。得てしてか、今回の『ヒカリノアトリエ』も、そんな雰囲気すら感じ取れ、もちろん別れの歌ではないが楽しいことばかりを歌うわけでもない、刹那を含んだ楽曲に仕上がっている。
 聴き終わったときに、まさに“雨上がりの空に虹”が架かったような気分になる。私はどうしても、この楽曲の流れに『終わりなき旅』を感じざるを得なかった。

憂鬱な恋に 胸が痛んで 愛されたいと泣いていたんだろう
心配ないぜ 時は無情な程に 全てを洗い流してくれる(終わりなき旅/Mr.Children)

 『終わりなき旅』も一見ポジティブな要素だけを詰め込んだ楽曲のようで、傷ついた今を受け止めながら、前に進もうとする曲である。だって、まだドアは開いていないのだから。

過去は消えず
未来は読めず
不安が付きまとう
だけど明日を変えていくんなら今
今だけがここにある(ヒカリノアトリエ/Mr.Children)

 最後にこう綴られる言葉は、決してその不安が取り除かれることは示唆せず、それを抱えても尚、ひたむきに前を向くことがなにかにつながるかもしれないということを伝えてくれている。
 もう、なんていうか、めちゃくちゃシンプルなメッセージなんだけれど、いつも以上にシンプルなんだけれど、ある意味では『終わりなき旅』の生まれ変わりというか、そんな風にすら思っている。

 カップリングも素晴らしいです

 『ヒカリノアトリエ』にはツアーで先行して披露されている『こころ(仮)』や『お伽噺(仮)』は収録されず、カップリングには今回のツアーメンバーの個性が活かされた『くるみ』『つよがり』『CANDY』のスタジオセッションと、『Paddle』『ランニングハイ』のLive音源が収録されている。
類に漏れず、これらも原曲以上に素晴らしい仕上がりになっているので、ぜひファンの方々には聴いて頂きたい。特に『ランニングハイ』は臨場感も相まって、いつも以上の元気をもらえる仕上がり。
 ちなみに、ひっそりと息を潜めたままの新曲『忙しい僕ら(仮)』は、Live DVD & Blu-rayMr.Children Stadium Tour 2015 未完』の特典映像で少しだけ聴けます。これも歌詞が素晴らしい楽曲なので、リリースが楽しみです。

 今年の5月10日に、キタイ!

さよなら、2016年。

なんか、僕みたいなにわかが書いていいのかなって迷ったんだけど。
そんなことを気にするような場所じゃないし、中居くんの最後のラジオを聴いていたら、この気持を書き留めなくてはと思った。
中居くんが最後に叫んだメンバー全員の名前、そしてSMAPという名前。「ああ、終わったんだな」と感じました。

人はどうしても期待してしまう生き物だと思う。
少しでも希望があれば縋りたい。
今回のSMAP解散騒動は、あまりにもその“想像の余地”を僕らに残しすぎていた。

メンバー誰一人の口から「僕らは仲が悪いです」「二度とSMAPをやりません」といった言葉を聞くことはなかったし、
ましてや「解散します」という直接的な言葉も、コアなファン以外には届いていなかったと思う。(コアなファンにはラジオかなにかで知らせがあったのかな)
だからこそ、ファンは「解散しないで」という署名運動を続けたし、新聞広告もだした。不安定で不明確で姿の見えない曖昧な絶望よりも、断然、想像によってつくりあげることのできる希望のほうが大きかった。

でも、解散してしまった。大晦日に。あっさりと。

最後の「SMAPSMAP」で披露された『世界に一つだけの花』。
中居くんの指先が真っ赤になるほど握りしめていた手をひらいて数えた5カウント。
そして、バイバイの仕草。

あれも、いろんな解釈をされていた。
けれど、さっき中居くん最後のラジオ「中居正広のSome girl' SMAP」を聴いて思った。

やっぱり「SMAPは終わり」なんだ、と。

言い方を変えると、「そもそも、この先の未来を考える余裕なんて今はない」んだと。
中居くんはラジオで「メンバーみんな頑張った。複雑な思いもあったはずだけど、この一年、精一杯SMAPをがんばった。労ってあげたい」といったようなことを発言していた。
「あーそうだよな……」と胸が痛くなった。彼らは、この積み上げたきた28年間を、たった1年で、あるいはもっと短い期間で、ライブもやれない、限られた手段の中で、ファンに、スタッフに、メンバーに、SMAPに、「精一杯の別れ」を出来る限り後悔のないように、やり切ることで一生懸命だったはずだよな、、、と。

変な話、「どうせまた復活するからな」とかいう余力を残している方が、失礼だと思ったんじゃないかな、SMAPのみんなは。
だって「復活する」ことが考えられるなら、そういう可能性があるなら、「いま存続してよ!」ってことでしょ。
少なくとも中居くんは、そういう人な気がする。

将来的にSMAPは復活してほしい、再結成して欲しい。それはSMAPが好きな人たち、誰もが思うこと。
でも、その可能性を考える余裕もないぐらいに、彼らは別れへの覚悟を決めたんだな、と。
それが限られた手法の中であることがなによりも惜しいけれど、中居くんのラジオの最後の叫びは、そういう意味だと解釈しました。

僕がSMAPでいちばん好きな曲は、『JOY!!』です。
『JOY!!』は、SMAPの50枚目のシングル。
そして、赤い公園というバンドのギター、津野米咲氏が作詞・作曲しております。これがまたすごく若いバンド。

コンペだったのか、そうでなかったのかわからないけれど、SMAP50枚目の記念すべきシングルを若手のバンドに依頼するなんて、本当にSMAPと、その周りのスタッフは粋だよ。

最高。

無駄なことを 一緒にしようよ(JOY!!/SMAP)

もうこのサビのででだしが最高。

どうにかなるさ 人生は明るい歌でも歌っていくのさ(JOY!!/SMAP)

ラスサビのここで毎回泣く。

SMAPの人たちが歌うエールは、シンプルであればあるほど、とにかく強くて。
一生懸命な姿が、テレビを通しても伝わってくるし、そういう人たちのエールって本当に強い。
受け手が素直であればあるほど、胸の奥にダイレクトに刺さる。

「こんなに頑張ってきた人たちが「大丈夫」って言うんだから、大丈夫なんだろう」って、信じ込んでしまう。
どんなにすごい占い師より、人を信じさせる力を持っていると思うよ。

だからこそ、思う。

「こんなに頑張ってきた人たちでも、抗えないなにかがあったんだ」って。
そう思うと、なんもがんばれません。(唐突)

SMAPのメンバーそれぞれが、それぞれの思いで最後の曲をかけていて、いろんな思いを感じる。
そして、ファン投票で1位になったベストアルバムの『STAY』も、ファンの思いを感じる。
いつかまた、年を取ったSMAPの、苦境を乗り越えた、新しいSMAPの『世界に一つだけの花』が聴けますように。

さよなら、2016年。

Album:Fantôme(宇多田ヒカル)[感想・レビュー]

Fantôme

Fantôme

 この時代に生まれてよかったと思う瞬間がある。それは音楽にしたって勿論そうで、その時々の自分のコンディションだってあるわけだから、偶然の重なり合いが産んだ結果でもある。8年ぶりの宇多田ヒカルのフルアルバム『Fantôme』はまさにそうで、“出会えてよかった”と感じさせてくれる。
 本作は母親へのレクエイムだとかどうだとか、本人も匂わせる発言をしてはいるものの、それを差し引いて考えても素晴らしく、表現は少々気持ち悪いかもしれないが、僕はこのアルバムから母性を感じた。いままでの宇多田ヒカルって僕にとっては“とんでもなくセクシーな人”だったんですよね。歌にすごくエロスを感じるし、でも常にそれが“神的視点”だったりする。近づこうとしても近づけなくて、そこにあるのは母性とかじゃなく、神秘的とはまた違う神的でいてかつ無機質で存在の不明な……まあ、とにかく触れることのできない「在る」をただ感じていたんですよね。もう少し具体的に言うと、例えば『First Love』で“最後のキスは/煙草のflavorがした”なんて歌詞、とんでもなくセクシーなんですけど、これを当時16とかそこらの女子高生が書いたっていうの、いまいち想像がつかないんですよね。「在る」に違いはないんだけれど、僕らの目の前に現実感を持って存在してくれない。個人的にそんな神的視点が最も栄えているのが『This Is Love』ですね。ものすごいエロスと、無機質が共存している。

 新曲じゃなくて過去の曲を紹介してしまいましたが…。
 『Fantôme』はこれまでと違って、明確な存在感を僕らの前にもって現れたんですよね、宇多田ヒカルが。それが母性でして、歌を聴いていると一種の(大袈裟ですが)トランス状態になりかけるようなレベル。これ、めちゃくちゃ良いヘッドホンで聴いたら一生外せなくなるのでは?ぐらの感想です。いままで「在る」状態だった宇多田ヒカルが、目の前にあらわれて、手を差し伸べたり、抱きしめたりしてくれているような錯覚に陥るまでの“愛”や“優しさ”があって、それが特に顕著なのが『二時間だけのバカンス』だと思っている。椎名林檎のボーカルと相まって、胸の奥に突き刺さるフレーズ。この歌もいろんな解釈があるけれど、もう素直に応援歌と捉えてしまっていいと思うんだ。

朝昼晩とがんばる/私たちのエスケープ(二時間だけのバカンス featuring 椎名林檎/宇多田ヒカル)

 本当に不思議なんだよな。普通に考えたら、第三者目線でこの歌は聴くべきなのに、どうしても聴いていると当事者になってしまう。宇多田ヒカルと逃避行をしているような、椎名林檎になって逃避行しているような、そんな錯覚に陥るまでの魔法がある。こんなに美しく大胆なストリングスに、見事にのる歌があるだろうかってぐらいに、それぞれが存在感を放ちながら力強く共存している。かといって「アレンジ派手だよね」って感じでもなく、しっかりと優しさと慎ましさを残している。もうこの曲、泣けてしまうんですよね……。いままでの宇多田ヒカルにはなかった、日常の情景がメロディーにひきつられて浮かぶ、ありありと。

 本作はどれも素晴らしい曲ばかりなのだけれど、やはり『花束を君に』は特に素晴らしい。なにが素晴らしいって、アレンジもメロディーもぜんぶ!!ドラムの音がものすごく好みなのだけれど、2番にはいるタイミングでの力強いフィルインが素敵。シンプルなビートを刻んでいるのに、楽曲に確かに彩りを添えているし、なんか、オーケストラみたいなスケールの大きな雰囲気を持ちながら、歌っている世界観は、ほんの小さな、そして些細な、一人の女性の想いなんですよね。
 あとは、この楽曲“さみしさ”や“せつなさ”よりも“やさしさ”を強く感じるのが、何度聴いても心地良くいられる理由かなあ。これもまた宇多田ヒカルの新境地だよ。戻ってきたんじゃなく、確かな変化。いま歌うから、ものすごく意味のある曲なんだろうなあ。

花束を君に贈ろう/言いたいこと/言いたいこと/きっと山ほどあるけど/神様しか知らないまま(花束を君に/宇多田ヒカル)

 もうこの『Fantôme』は唯一無二の最高傑作になってしまった。いつもだったら次回作が楽しみになったりするんだけど、もはや想像がつかない。こんなものを産みだしてしまったら、たぶん同じ路線では越えることができないだろうなと感じるぐらいの最高傑作だった。
 新たな始まりを予感させた『道』で綴られる「人は皆生きているんじゃなく生かされている」という何気ないフレーズは、これからも偶発的な奇跡を生み出す為の大切な布石なんだろう。
 幻影から解き放たれた今、きっとこれから彼女が生み出すものにはより人間らしさが纏わりついて、生々しく動物の気配が歌に閉じ込められていくんじゃないかと思う。天才でもありながら、一人の女性でもある。そのありのままが、まるで目の前にいてくれるかのようにあたたかく包み込まれるキャパシティを持っている。もはやその「人間らしさ」は、誰もが持っているようで、実はほかのアーティストでは滅多に醸しだすことのできない彼女の才能のひとつなのかもしれない。

Album:醒めない(スピッツ)[感想・レビュー]

醒めない(初回限定盤)(DVD付)

醒めない(初回限定盤)(DVD付)

まだまだ 醒めない アタマん中で ロック大陸の物語が最初 ガーンとなった あのメモリーに今も 温められてるさらに 育てるつもり(醒めない/スピッツ

求める人から与える人へ

 ここ10年ぐらい、スピッツからはずっと温かさを感じている。それを意識するようになったのは『群青』あたりからで“優しかった時の/心取り戻せ(群青/スピッツ)”というフレーズが、リリース当時、僕には軽く衝撃的だった。それまでのスピッツなら、情けない男が「どうにかあの頃に戻りたい」と、その心境を刹那に綴るものが多かったように思うけれど、「群青」は決意の歌だった。“嘘つきとよばれてもいい”と、明らかに“自分でない誰か”の背中を押している(それはもう一人の自分かもしれない)。そして、歌詞と相まってサウンドにも物凄く力強さを感じたし、「あれ、いままでのスピッツと違う感動がある」と思いを抱いてのを覚えている。
 それからのスピッツは、まさに「誰か」へのメッセージを綴るようになって、僕の好きだった「ひとりよがり」のスピッツはだんだんと薄れていった。メッセージはよりシンプルになっていったし、陰から陽のステージへスピッツというバンドの舞台も変わっていったように感じた。それは、9.11で変化を見せた『三日月ロック』の心境のように、3.11で揺らいだ世界もどこかで影響を受けているのかもしれない。
 ずっとコンビニでは手に入らない愛を求めて、のらりくらりとしていた主人公が、道しるべを歌い、与える人へと変わっていった。『醒めない』は、まさにタイトル曲でも“任せろ”なんて言っているぐらいで、男らしいとはちょっと違うけど、なよなよしさは全くない。スーツ姿でピシッとしているわけじゃないけれど、崩れた服を着て歌っているあの頃でもない。まさにタイトルリード曲『醒めない』のMVのように、革ジャンを着たロックミュージシャン。本当は弱いんだってみんな知っている、そんな彼が歌う“任せろ”にどれほど威力があることか。僕は“ガーン”となって、胸が揺さぶられる。
 そして、歌詞の世界観とはまた別に、音楽性はどんどんと熟成していった。バントとしての深みが増して、「バンドで演ること」の意味について、インタビューでも常にスピッツのメンバーは問いを投げかけていた。前作から既にそのような形をとりはじめているけれども、本作『醒めない』もほぼ“4人体制”をベースに楽曲が練られている。Mr.Childrenが『Reflection』で「4人だけでも鳴らせる音」「4人だけでも成立する曲」を目指していたように、スピッツも必然的に「バンドで鳴らしていくこと」をベースに曲が出来上がっていったように感じる。
 いままでのスピッツ像をぶち壊し、ロックバンドとしてのスピッツで世間に衝撃を与えた『8823』、美しい刹那を歌いながらもまだまだ“二人の世界”は守り抜いてきた『三日月ロック』、バラエティ豊かな輝きを魅せた『スーベニア』、そこから“ガーン”とした衝撃をスピッツからあまり個人的には受けてこなかったけれど、『醒めない』は傑作だった。勿論、初期のスピッツはここにはいないのだけれど、そして甘酸っぱい青春を歌う若々しい青年草野正宗が消えつつあるのも感じる他ない、スピッツは明らかに熟成されたバンドへと変わっていっているのだけれど、「まだまだこんなにやれるのか」っていうおっさんたちの、「らしくない」が詰まった傑作。それは「スピッツらしくない」という意味ではなく「おっさん“らしくない”」である。まだまだあきらめない、“最初ガーンとなったあのメモリー”に未だに突き動かされている、おっさんたちの大きな夢はまだ膨らみ続けていて、そのワンシーンを一緒に見せてもらっているような、輝きに満ちた“醒めない”夢の入り口。

“醒めない”刹那

 心地よいドラムに乗せてL-Rで聴こえるエレキのカッティング、ベースの入りと同時に煌びやかに歪んだギターのストロークが鳴り出すリード曲『醒めない』。「スピッツ、こんなにポップで心地よい歌、最近歌ってたっけ?」って思っていたら、サビで突如鳴り響くトランペット。そして、左右から響き渡る透き通ったコーラス。まるで別世界に連れてこられたような、それともこれから別世界に行くような錯覚に陥る。ここは“醒めない”を保証された音の世界。刹那をちょっとだけ含んだ夢への入口に立たされる。“まだまだ”という言葉の有限を、僕らも、スピッツも知っているけれど、抵抗を続ける。だってスピッツは言うんだもの。

さらに育てるつもり/君と育てるつもり(醒めない/スピッツ

 一発目から爽やかな名曲をぶち込んだ後に聴く『みなと』は、シングルで聴いていた時よりもずっと違う一面を見せる。エレキの弾き語りだけで成り立つような、それぐらいにシンプルなメロディーと構成で、胸にすっと染み込んでくる。『三日月ロック』〜『スーベニア』の頃を思い出すような、遠い誰かに向けて歌う歌。色で例えるなら水色のような、邪気のない、透き通った音で編まれた楽曲。
 そして、本作でいちばん言及したいのが『子グマ!子グマ!』である。男だけど、この曲のAメロ聴いたとき、惚れてしまいそうだったよ……。もう確実に進化している。若い僕が言うのもおこがましいけど、スピッツめちゃくちゃ進化してる。『小さな生き物』の時の『エンドロールには早すぎる』とかあんまり聴いてないけど、このダンスビートは最高に素晴らしいよ。崎ちゃんはどうして今日までこんなにかっこいいドラムのテクと音鳴りを隠してたんですか?スカッと鳴るスネアが最高だし、Aメロの草野さんの低音がセクシーすぎるし、なによりギターのカッティングと、バンドとしてのアンサンブルが凄まじいよ。これはミックスやマスタリングの力じゃなくて、本当にスピッツが熟成している。『小さな生き物』の時から聴いていて心地よい感じはしていたけど、本作は格段に違う。あと、なにかのインタビューで「今回は若いバンド意識せず、おじさんバンドでいいやって無理なくやれたからよかった」と言っていたけれど、これは若いバンドっぽい初々しさがすごくあるぞ……?
 『コメット』はフジテレビ系連続ドラマ『HOPE〜期待ゼロの新入社員〜』の主題歌。はじめてドラマで聴いたときは「ん〜」って感じだったんだけど、アルバムの流れで聴くとこれまた栄えるし、アレンジも素晴らしい。ピアノのフレーズを引き立てることに徹するイントロの楽器隊、そこから一気に引いてボーカルが入る。バンド×ピアノのアンサンブルミディアムポップバラード(造語)は、これまでにスピッツで『ビギナー』などであったけれど、どうにも音に重みがあって、聴き慣れなかった。あれは、バンド側の主張が結構あったからだと思っていて、今回は、それぞれがいつも以上に引き立てることに徹しているから、聴きやすい。サビのエレキでルートたどる感じとか、いつもだったらもっと前に出てきた気がするものね。
 いろんな音が混ざりながらも明るい気分で盛り上げる『ナサケモノ』、「あれっ!?放浪カモメっ!?」と一瞬、ほんの一瞬だけ思うハイテンポな『グリーン』。『グリーン』みたいなドラムパターンの曲、ここアルバム2、3作で増えましたよね。好きですよ。演奏してて楽しそうな感じがすごく伝わってきます。そして、草野さんが、ついにこんなことを歌っちゃうのに痺れる、好き。

コピペで作られた/流行りの愛の歌/お約束の上でだけ/楽しめる遊戯/唾吐いて/みんなが大好きなもの/好きになれなかった/可哀想かい?(グリーン/スピッツ

 スピッツはいつでも、僕らの味方でいてくれる。その姿勢は変わらないんだな、というのがこの楽曲から伝わる。草野さんが自身のことを歌うことをもう躊躇うようになってしまっただけで、僕らに手を差し伸べることを、一生懸命考え始めてくれた、その変化なんだと、メロディーが胸に刺さる。ネットで評判を見ていると人気曲になりつつある『SJ』は、ロックバラードと言えばいいのかな。思い返すと、スピッツにこういった曲はなかった気がする。バンドによっては、こういった曲ってライブ化けする曲だけど、スピッツは淡々とせめてくるあたりがよりグッとくる。真っ暗な宇宙の中で、それは無理だから、静かな場所で、静かな夜空を見上げて聴きたくなるような独りだけの決意を綴った歌。ここまでやってきた道のりを正当化する、そういうことを認めてあげる、スピッツがこんなこと歌うなんてな、ある意味では夢から“醒める”歌でもある。
 ギターのリフからなにからが痛快な『ハチの針』、ジャケットの謎モンスター“モニャモニャ”を歌った『モニャモニャ』。決して世界観は通じてないんだけど、アレンジとかを想像しながら楽曲に浸っていると『ハートが帰らない』を思い出すような、アルバム全体の立ち位置としてもそんな感じの、ペダルスチールが優しくなめらかに響き渡る、子守歌のような歌。『みなと』のカップリングだった『ガラクタ』、マイナーで揺らぎのあるピアノからはじまる『ヒビスクス』。『ヒビスクス』はハイビスカスの花の名前です。Aメロのピアノから、開かれるサビのバンドサウンドが印象的な一曲。マイナーな展開の4つ打ちはスピッツの得意分野ですな。『あじさい通り』とか?あ、これも花の名前だわ。

武器も全部捨てて一人/着地した(ヒビスクス/スピッツ)

 いよいよ終盤にかかって『ブチ』がかかる。ヘッドフォンから重たいギターのストロークが聴こえたとき、心の中で自然と「キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」と思いましたが、なにが来たのかはわかりません。でも、この高揚感。しかし、いままでにない高揚感。もうほんとうに、このアルバム、どんだけ傑作なのって感じですね。『ナンプラー日和』かと思いきや、どうしても泣けてきてしまう、メロディーラインと歌詞。大好きな子の前で演奏して、「なんて身勝手なの」って言って振られたい。

お上品じゃなくても/マジメじゃなくても/そばにいてほしいだけ(ブチ/スピッツ)

 そして多くを語るのは避けますが、『雪風』『こんにちは』はふたつ揃って、このアルバム『醒めない』のエンドロールです。まだ生きていかなきゃ、もう少し生きていかなきゃって勇気をもらうエンドロール。まだ、なんのためにとか、どこになにがあってとか、そんな具体的なことはわからないけれど、“物語”はもらった。『醒めない』は醒めてしまったけれど、「最初ガーンとなったあのメモリー」は知らないところで息づいていて、まだまだ温められている。あれっ?“醒めない”と“冷めない”ってもしかしてかかってる?

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雑記。2016年7月24日

別に本を読んだり、音楽を聴いたり全くしていないわけじゃないんだけれど、言葉にならない。日々考えていることも全然積み重なっていかなくて、日常が形骸化している。新しく買ったCDは、何度読み込もうとしてもエラーになってしまうし、読みかけの本はどこかにいってしまった。楽しみにしていることといえば、ついに発売されるスピッツの新作とか。

27時間テレビを見ていると、Hey! Say! JUMPのメンバーが全国の高校に登場する、というくだりがあった。登場すれば、間髪入れずに黄色い声援。「あれっ、こんなに人気なんだ」と思ったと同時に、「もうその時代にはいないんだな」と感じた。一生ミーハーでいたいと思ったけど、たぶん無理だ。だって今が好きだし。今のミスチルが好きだし。

いつだったか(とはいってもものすごく昔)、優秀な友達に向かって「大人になりたくないッ!!ドラえもんをずっと見続けたいッ!ドラえもんでずっと感動したいッ!!」と気持ちを漏らしたら「もうそろそろ大人になってもいいんじゃない?」とさらっと返された言葉が未だに記憶に残っている。彼は淡々と、それでも努力を積み重ねて着実にいい大人になっていっていて、いい大人って踏ん切りつけられている人のこと言うんだな〜と思った。たぶん子供心は大事にしても、ポリシーにするもんじゃない。
そういう意味でポケモンGOな。あれは童心に返るものかと思ったら違った(別に戻りたかったわけではない)。ワクワク感も、あれだな、プレスリリースを見た時が一番ワクワクしたわ。個人的には。ゲームとしては、ただの面白いゲームで、そこに没入して現実世界に戻ってこれないとかそういう感じではない。僕がそもそもゲームにあまり没入しない性格だからかもしれないけれど、映画とか、アニメとかのが中毒性は高い。

時代は繰り返す。確実に繰り返す。そう思うと、なにもかも平坦に思えてくる。決して悪い意味ではなく、そのループは螺旋みたいに大きいものから小さいものまできっとあって、僕らの生涯においても、そのループは確実に何回か存在している。
そのループの中で、人は何回も何回も試行錯誤して、「この1週をより良いものにしよう」って思ってまた新しいスタートに臨む。ある人は次の人にバトンを渡し、ある人はあきらめて同じ点数のままループして、ある人は離脱しちゃったりする。
ずっと生きてたいし、死にたくもないけど、やっぱり人生80年は長いよ。死にたくないけど。永遠の生も、死と同等であると考えれば苦悩は尽きないね。どうすればいいのさ。火の鳥でてきてくれ〜。

だから少しでも多く毎日に祝杯をって人は考える。サプライズが脳を刺激して、もうちょっとだけって人を走らせる。誰かと出会ったりして、永遠を誓う。誓ったら逃れられないね、でも、それが強くさせるんだろうね。
友達の結婚式に出たりして、「とうとうここまで来たか〜」って思う。社会人になった時より、強く思う。とうとうこの段階まで僕らは来てしまった。さあさあ、ここからは個人個人が、それぞれの精神と向き合う時間がはじまりますよ。言いたくはないけど、離脱する人は増えるだろうなと思う。でも負けないで。そんな風にも思う。

風呂上がりのアイスは美味しいなあ。その感覚はおそらく永遠に変わらない。そして、共通認識としてある程度の人たちと持っていける。分かち合えるもの。まあ、分かち合う必要がどこまであるのかってことだけど。でも、個が個として考えられる状態にはおそらく限界があるから、分かち合えるものなら分かち合っていくべきであるとも思う。
ただ最近疑問を持ったのは、「認め合うの連続」はやっぱり難しいものかな?ってこと。認め合いながら人は生きていくべきなんだけれど、相手の深い領域に踏み込んでしまったら、なんでもかんでも認めるのはやっぱり難しい。自分の領域が侵されない程度に、みんな適当にまわりを認めあるふりをしていく。けど、いい部分を分かち合うことはできるよね。
いろんな人がいろんなことを言うけれど、おそらく正解なんてなにひとつないし、みんなそう思っているから自由だ。じゃあ、それぞれがどこに向かっていくのか、っていうことだけが大事なわけで、そこに共感できた人たちが一緒に歩んでいくことになる。

それは前述したループを「よりよくしたい人」だったり「よりよいものを次の世代に引き継ぎたい人」だったり「気持ちの良い段階でループを続けたい人」だったり、それぞれでしょう。

生きていることはいいことかなあ、滅多にこんなことを思ったりしないんだけど、なんでだろうなあ。おじいちゃんになる想像をはじめてしたよ、信じられなかった。
誰かが死ぬ前になにをすればいいんだろうって、たまに思うけど、いや、いつも思うけど、こればっかりは答えがでない。ペットが死んだときに「なにがよかったんだろう」って何度も問いかけたけど、結局それは死ぬ側にもわからなかっただろうね。それぐらい永遠って愚問だし、恐ろしく想像外の概念。

「語りえぬものについては、沈黙しなければならない。」なんてよく言ったもんですよ。キツ過ぎる。苦行だね。

そろそろジブリ風立ちぬを見るタイミングなのかなあ。
ここ最近のずっともやもやしていたものが少し吐き出せたようなそうでもないような。
寝不足が続く。休みなのになあ。

生きねば。

「泡沫サタデーナイト/モーニング娘。'16」とか、「サイレントマジョリティー/欅坂46」とか。感想。

 夕飯は駅前のバーミヤンにした。気持ちの整理がつかないことばかりで、それならばいっそ雑多な環境に身を置いて忘れたかった。レジが壊れて慌てている店員は、それでも丁寧な言葉使いで席を案内してくれた。案内された隣の席では、若い主婦がそれぞれ子供を抱えながら向き合って話をしている。店のものではないスナック菓子の袋が広げられて、スナックのクズがテーブルの上だけじゃなく、床中に散らばっていた。
 「海外旅行に行きたいの。お金貯めて」
 どのぐらい現実味のある言葉なのかわからない。子供がソファーから降りて床を四つん這いで歩きはじめた。あやすように若い主婦はスマートフォンを与えた。時間を持て余した人々の会話でごちゃついた店内の隙間から、ゲームのノイズが聞こえる。

 自分のスマートフォンをカバンから取り出して、twitterを開く。なぜかtwitterのタイムラインの一割ぐらいはモーニング娘。'16の話題で埋まっているので、書く。

 「泡沫サタデーナイト/モーニング娘。'16」は、鈴木香音がメンバーとして参加するグループにとってのラストシングル。そして、作詞作曲を担当したの赤い公園のギター担当、津野米咲氏。
 今回のシングルを、赤い公園津野米咲が担当すると知って、発売まで心待ちにしていた。SMAPのJOY!のように、「明るくて切ないダンスナンバーなのでは?」という期待通り、ディスコ調の切なく踊れるJ-POPだった。なんたって“泡沫”ですからね。発売前にMVがフルで公開されて、いまはもう発売後なのだけれど、それこそ発売前は各所で盛り上がりを見せていたように思う。ジャニーズバージョンの泡沫サタデーナイトなんかコラージュされてtwitterでは盛り上がっていたかな。
 個人的な感想としては、やっぱりメロディーセンスが独特だなー、ずば抜けてるなーというところ。一聴すると、全体の流れにはしっかりとメリハリがあって、とても聴きやすくキャッチーな気がするんだけど、例えばAメロ最後の“私だけにしかきっと踊れない/そんなビートがある”の“が・あ・る”の譜割りが癖あってちょっ(良い意味で)と気持ち悪いよね。突然、低くなる。その癖を残しつつ、サビ頭には「サタデーナイト!」と言った緩急をつける為のパスを出す。そのメリハリのつけ方が意図的なのか、津野氏自身の作曲の癖なのか、「赤い公園らしいなー」ってのを感じさせる。
 アレンジは完全にディスコ調で華やかに鳴っている。ベースがペチペチと主張してくるのが良いね。ディスコナンバーってそういうもんなの?

 そして、歌詞が切ない。津野氏の明るいポップスに切ない歌詞を乗せる素晴らしき才能。いま、「次世代のためのLOVEマシーンだ!」って言われているけれど、個人的には少し違うのではないかなあと思ったりしている。LOVEマシーンは、“ド・ポジティブ”なんですよね。そのポジティブな成分を扱うには、聴き手にも対応するための“振り切り”が必要になってくる。
 一方で、泡沫サタデーナイトにはポジティブな成分だけじゃなく刹那的な成分も含まれていて、聴き手の“ポジティブじゃない部分”にも寄り添うんだよね。

踊りたい!誰も彼もが思いを抱えて/サタデーナイト!夢も泡沫/そうやってまたはぐらかして(泡沫サタデーナイト/モーニング娘。'16)

 この歌詞がアッパーなチューンとアップダウン慌ただしいメロディーラインに乗るんですよ。すごくないですか。むしろポジティブじゃない人が聴いて、涙を流すパターン。メロディーが心を刺激して、感情を呼び起こしたところに、刹那的な言葉でグッと攻めてくる手法です。

 そして、泡沫サタデーナイトと同時に気になっているアイドルグループの存在があり、それがこの4月にデビューした欅坂46の「サイレントマジョリティー」。CMで曲を聴いて「なにかのアイドルグループの曲だろうけど、誰の曲だろう?」としばらく気になり、それが乃木坂46の妹分としてデビューした欅坂46のことだと知った。
 この曲が素晴らしいのは、まずイントロです。アコギとストリングス(そしてピアノ)って個人的には最強の組み合わせだと思っているんですけど、これアコギ2本重ねてるんですよね。ミドルテンポの曲に華やかさ演出で2本重ねる、っていうの全然珍しくないんですけど、アイドルでそれやっちゃう?っていう。いきものがかりのSAKURAをね、アイドルが歌う?って話なんですよね。一見、おかしくない組み合わせなんですけど、よく考えると個人的には違和感あるんですよね。たぶん、アコギ2本にピアノとストリングスっていきものがかりはたくさんやってるんですよ。
 そして、イントロ終わっても尚、アコギのカッティングがかっこよい……。これは、フォークデュオのゆずがヒャダインとコラボしてカオスな曲を生み出した、あの感覚に似ているのでは…。
 と、ここまでわけわからないことを書いているのは、それぐらいにこの欅坂46の楽曲が“非アイドルのJ-POP”に寄せてきているからです。どっちがいいとかじゃなくて、アイドルで攻めるならやっぱり泡沫サタデーナイトみたいなアレンジなんですよ。

 この曲もまた、歌詞が切ない。とんでもなく刺さる。

人が溢れた交差点をどこへ行く?(押し流され)/似たような服を着て/似たような表情で(サイレントマジョリティー/欅坂46)

 似たような服を着たアイドルが、歌うデビュー曲の歌いだしがこれですよ!?
 もう完全にエールソングなんですけど「これを彼女たちはどんな決意で歌っているんだろう?」と考えると泣けてくるんですよね。同情では全くないです。むしろ、彼女たちが、その決意を持って歌っていることへの感動というか。
 「誰かよりも優れている」ということをアピールするのにいちばん厳しい世界に彼女たちは身を置いているわけですよね。支持された事を言わなくてはいけないし、支持された服を着なくてはいけないし、個性すらも選択されるかもしれない。
 その中で彼女たちは歌わなくてはいけないんですよ。

君は君らしく/やりたいことをやるだけさ/One of themに成り下がるな(サイレントマジョリティー/欅坂46)

夢を見ることは時には孤独にもなるよ/誰もいない道を進むんだ/この世界は群れていても始まらない(サイレントマジョリティー/欅坂46)

 ものすごい倍率を勝ち抜いて、やっと辿り着いた場所で“One of themに成り下がるな”“この世界は群れていても始まらない”と歌うわけですよ。すごい決意がなくちゃ、腐ってアイドル辞めますよね…。
 蛇足だとは思いつつも書きますけど、冒頭のバーミヤンにね、欅坂46の誰かが一人ではいってチャーハンでも頼むようなものなら、もうきっとオーラも違うわけで“them(群衆)”とは全く違う唯一を演出できるわけですよ。でもそうじゃない、っていう。
 「サイレントマジョリティー/欅坂46」、いろいろな面で、とても挑戦的な楽曲だな、と思いました。

 僕はどっちの楽曲も好きです。
 アイドルだからこそ歌える魅力が詰まっている。