ソーシャルゲームは墓場となる
参考記事
任天堂はなぜソーシャルゲームをやらないのか(下)ユーザーに自己効力感を促す制作方針の気骨と強み|コンテンツ業界キャッチアップ|ダイヤモンド・オンライン
「コンプガチャ」規制検討で暗雲 SNSゲーム大手2社、株価急落 (1/2ページ) - SankeiBiz(サンケイビズ)
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「コンプガチャ問題」で株価が落ちているSNSゲームの大手株式会社グリーとモバゲー(DeNA)。
それがきっかけかtwitter等にはソーシャルゲーム関連の記事が多く上がった。
そこでダイヤモンド社のダイヤモンド・オンラインの記事、「任天堂はなぜソーシャルゲームをやらないのか(下)ユーザーに自己効力感を促す制作方針の気骨と強み」がとても興味深かったので、それについてちょろいと書く。
この記事で書かれている内容で特に興味深かった部分は
▼ソーシャルゲームは自尊感情補完ビジネスである
という点。
ソーシャルゲームで遊ぶ人たちは、「誰かを助ける為」に投資をする。
「仮にソーシャルゲームが『このアイテムを200円出して買えば友達を助けられるよ』と促してお金を払わせ、その対価としてゲーム内コミュニティでの社会的充足を与えるのであれば、これは心理学の行動主義の視点で見ると、『強化』ですよね。バーチャルな社会的充足を強化子にすることで、支払い行動を強化するわけです。(任天堂はなぜソーシャルゲームをやらないのか(下)ユーザーに自己効力感を促す制作方針の気骨と強み|コンテンツ業界キャッチアップ|ダイヤモンド・オンラインより抜粋)
実際に「僕は携帯ゲームを通して人を助けている」という話を直接聞いたことがあるので、そういう“思い込み”とも思えるような自尊感情の補完がソーシャルゲームを通して行われているのは納得できる。
▼インターネットのコミュニティーはリアルかバーチャルか
これからインターネットという得体の知れない世界がどんどん膨張していって、そこに多くのコミュニティーが出来上がっていく。
「リアルってなんですか?」と言う問いに必ずしも「バーチャル=インターネット」が対義語であると答えられなくなる時代が必ず来る。
そうなったときに「僕はインターネットの〜というサイトでは使者と呼ばれて大変自尊感情を満たされている、仕事はちゃんとしているし、結婚はしていないが、この生活になんの不満もない」と言われても反論はできない。
ロリータコンプレクッスを患っている連中が「なんちゃらポルノ禁止」という法律と規制に対し「規制したらもっと犯罪が増える」という理論とだいたい同じだ。
▼補完しているのは自身ではなく他者の穴
しかし、いまのところ。
いまのところである。
僕が思うにグリーやモバゲーといったソーシャルゲームにおける自尊感情の補完と呼ばれる行為は「誰でも埋められる穴」を埋めることで評価されているモデルであるように思う。
A君が埋めても、B君が埋めても、問題ない。
ただ、埋めた相手に感謝を捧げる。
もちろん社会が回るためには「例え誰かが抜けても回り続ける仕組み」が大事だと思う。
特に大きな企業では。
社会的充足感を満たすのに似てるんじゃない?この“ソーシャルゲームにおける自尊感情補完”って。
▼ソーシャルゲームは墓場となる
でも「誰でもできること」って、“仕事”であるから重要なのであって
それが「ゲーム」において必要であるのだろうか?
ましてやそれを「自尊感情の補完」と呼んじゃっていいの?思い込んじゃっていいの?
その「評価」はいつでも「ゼロ」に墜落させてしまう危険性を孕んでいると思う。
墜落し、いままでの評価がただの「代替」であったことに気付いた時、時すでに遅し。
ソーシャルゲームはその人間にとっての墓場となっている。