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遺書みたいなもんが書きたくて〜その2/この感情の行方

その1からお読みください
遺書みたいなもんが書きたくて〜その1/これがまた雑なんだな - 今日もご無事で。

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 言葉足らずのメーデーを見失った。軋轢で生じた鈍い騒音が方位を狂わせて、今更本能なんて代物が脳の片隅で深く閉ざされた引き出しから出てくるはずもない。死んだ目をした魚たちは一様に窓の外を眺めている。この地下鉄を囲う硬質な闇を見つめている。気の効かない妄想は痺れを切らして、目の前の優先席に座るくすんだベージュのコートを着た老人が暴れだしでもしないものかと期待した。その妄想と正反対に現実は、冗談みたいに秩序を保っている。スマートフォンから潜り込むインターネットは、一体なんの掃き溜めになっているのだろう。溢れだす気配もない言葉のプールに何億の魂が浸かっている。泳ぎ方を知らない人間が理不尽を嘆いている。
 睡眠不足のせいか景色が歪んでいる。吐き出される様にホームへと降り立った群衆は流れるままにエスカレーターをあがっていく。ある日、向こう側から逆流が押し寄せてきて僕ら海へ返ることができたなら。規則正しく整列し、規則正しく整列を乱す。なにもかもが想定内で蠢く一手のように、順番通りに改札は開かれていく。地下鉄をあがった地上では、しとしとと雨が続く。地上のアスファルトを重たく打つ雨粒。ビニール傘に弾かれるたびに、軽快な音が鳴る。雨は続く、誰の命令にも従わずに。
 自動販売機にコインを入れる。赤く点灯する。選択をする。適度にあたためられた缶コーヒーが差し出される。習慣と化したその文化は、なんの疑いも誰も持たずに鉄の塊が今日も空を飛ぶ。ある日その習慣が恣意的に破壊されることがあれば疑心はアスファルトの隙間から芽生え始め文明は埋め尽くされるだろう。食料を失くした人類は自動販売機の中身が尽きるまでが命となる。
 風邪をひいた君のことを思い出していた。弱り切った声で見送られた朝の玄関前。もしかしたらもう死んでいるだろうか。身体を重ねるごとに露呈していくお互いの醜さをひとつひとつ丁寧に鋏で切り取って窓際に並べた。もしどちらかが死ぬことがあれば、朽ち果てるのだと愛が囁いた。期待も切望もしていない。ただウイルスに犯された君の身体は喘ぎでもしない限り日常と変わらないで美しさを保った。X線照射によって傷つけられたDNAだって見えない僕らが美しさによって隠されてしまった、いいや、惑わされた向こう側を覗くなど到底できない。風によって軌道を変えられた雨粒が僕の頬に当たって破裂した。
 社会はどこへ向かうでもなく歯車を回している。錆びた部分は破壊される。破壊されて解離した歯車もまたその役割を終える。ぐるぐると回り続ける事実を運命と受け止める者もいる。社会はその軋みに耳を傾けることはない。得体の知れないなにかによって組み立てられたこの社会の設計図は、誰が見ることもない。破壊と再生を繰り返して、そのマスタープランの為に、もしくはそのなにものでもないものの“為”に歯車は回り続ける。
 命題は常に浮かび上がっては消え、浮遊する感情を悪戯に玩ぶ。捉えきれないデータが方位を狂わせて本能は劣化していく。バグを起こしたコンピューターは再起動をループさせる。原因の究明が不確かなまま闇が浸食をはじめる。もう既に遅い。諦観した当事者は強制終了を選択する。それが永遠の眠りであることを知りながら、妄想は現実と化す。その機械的行為を社会は受け入れてしまっている。その行為がバグであることを、ウイルスであることを、認めずに、気付かずに平静を保っている。その平静を秩序と誰かが呼ぶ。抱えきれず腐ったデータの数々がインターネットの海でぷかぷかと浮かんでいる。ある日突然、背中を押され、その海に、何億の魂の海に、堕ちていく。溺れそうな魂が、誰かを見つける。しかし、泳ぎ方を知らないのだ。誰も泳ぎ方を知らない。やがて、言葉足らずのメーデーを見失った。音のない嘆きはまた、データの海に処理される。