特別なエールについて。
普遍的なエールが世の中にはいくつもある。
「がんばって」「大丈夫」「君ならやれる」「あなたらしく」「応援してるよ」
例えば、明日誰かが旅立つとして、一体どんなエールをかけようと思うだろうか。
僕だったら特異な台詞を恰好つけて立て並べるかもしれない。
誰かのエールに埋もれてしまいたくない、というエゴから奇をてらった言葉で済まそうとするかもしれない。
しかし、それはちょっと驕った考えであるような気もした。
エール、というのはそもそも責任が伴うものであると僕は思う。
その地点から、誰かが別の場所へ行こうとするときに託す手紙のようなものだとしたら。
例えば、それを読み返す時、それがその人の指針になるかもしれない。
責任を負うきもさらさらないのに、自身のエゴから調子に乗って台詞を考慮するその様は結構滑稽なもののような気もする。
つまりは、自分だけが特別でいようとするからいけない。その他大勢に紛れこんだとしても、そのエールが少しでも相手の心に溶け込む事が出来るのであれば、いいのではないだろうか。
というか、その他大勢に紛れこんでしまう様な、普遍的なもの、それこそがエールなんじゃないだろうか。
特別なエールかどうかなんて、きっと相手次第なのだ。
それが旅立つタイミングかどうかだって、きっと定かじゃない。