監視社会における「こうあるべき」という包囲網(仮)
- 監視する社会、規制する社会
例えば世界で一番監視カメラの設置台数が多い場所はイギリス。
あちらこちらに設置されたカメラ。
それでも起きるテロの数々。
そして、姿の見えない場所でも、人は動いている。
アラブの春ではFacebook,twitterといったソーシャルメディアが広く活用された。
インターネットにも監視カメラがいくつも存在する。
CIAが世界中のfacebookやtwitterを監視している、なんて記事もあった。
引用元:http://rocketnews24.com/2011/11/10/150796/
電話、メール、全世界の電子媒体を通じたやり取りはどこかで“監視されている”と言っても過言ではないのかもしれない。
インターネットが肥大するに連れて、どんどんそれを規制しようとする動きが活発になっていく。
二次創作に関する法令とか、騒がれたりした。
twitterで飲酒を告白した未成年の大学生が過剰に叩かれたり捕まったりもする。
インターネットは誰でも書きこめるから、自由なのだ。
そして大抵の人は自己主張がしたくてたまらない。
少しでも認めてもらえるなら、と、自身の行為を明るみに出す。
しかし、やがて、それらも規制されて、大学が監視するようになって(既にしている?)、そういうキーワードが書き込まれたら見つかる前に削除、もしくはそういうキーワードを含んだ言葉が書き込めなくなるだろう。
二次創作みたいなものに関してだって、きっとルールが作られていく以上、遅かれ早かれ規制されてしまうのではないかと思う。
だって汚い(とされる)ものが目の前にあって、容認するなんて、それは難しい。
twitterやfacebook、mixiなんかで見つかった“悪者”とレッテルを付けられた人間たちは叩かれに叩かれる。これも一種の規制だろう。「そうであるべき」「こうであるべき」という大衆がそうさせるんだろう。
そうやってどんどんどんどん規制していくのだけれど、いったい誰が規制を決めているのかと疑問に思う。
それはまるで「規制されていないもの=正しいもの」みたいな図式が出来上がってしまっているような気がする。
- アマゾンのレコメンド機能
話は少し逸れるけれど、Amazon(アマゾン)にrecommend(レコメンド)、という機能がある。
顧客の閲覧履歴や購入履歴から、カスタマーにおすすめの商品をアマゾン側が推測して紹介するのだ。
僕はこれにたまにうんざりする。
だって好きなものはいつだってチェックしてるし、アマゾン以外で買ったりするから、「すでに知っているもの」ばかりが「おすすめ」として表示されるのだ。
確かにおすすめ機能で知らせてくれるのは、僕の好きなものばかりだけれど、「もう既に知っていて当たり前の好きなもの」ばかりだ。
「あ、これこれ!忘れてた!」というのをアマゾン側は狙っているのだろうけれど、好きだったら発売日までにはチェックしているし、そうでないとしても、好きだったらそのうち辿りつく。
そのレコメンド機能を極端に要約すると、「あなたは〜が好きな人間だから〜であるべき、〜を勧めるね」と言われているような気がする。
「そうでないもの」を排除されてしまっているのだ。
いま、話題のステルスマーケティング(ステマ)だって延長線上にはそういうものが待っているのではないだろうか。
個人に合わせた広告、マーケティング。
その人の好きなものがインターネットのそこら中に貼りつけられ「そうでないもの」を排除していく。
「そうでないもの」と触れる機会がどんどんと減っていく。
ただでさえ、インターネットの世界で僕らは生きていくようにシフトしつつあると言うのに。
- 僕らの幸せを管理する
一応なるたけ、出来る限りの、まとめにはいる。
勿論、いままでに上げた例は「犯罪抑止」とか「モラル」とかが基準になっていて、人が安心して生きるために必要なものだと思う。
実は見えない所に街に仕掛けられた監視カメラ、もしかしたらこっそり動いている携帯のGPS、疑わずに使っているけれど、実は購入履歴や閲覧履歴がひっそりと残っているインターネット。
いまはまだ「監視される」だけかもしれないけれど、それらがアマゾンのレコメンドのように、もしくは単純に「規制」のために僕らの生活にまで今よりもっと侵食してきてしまったら、僕らの幸せって僕らが管理するものではなくなっているかもしれない。
ひっそりとどこかで「こうあるべき」という概念や思想が包囲網のように僕らを取り囲んで、僕らは知らぬ間に、気付かぬ間に、見えない誰かの監視下で檻に入れられて、その範囲で幸せを手にするような生活が待っているのかもしれない。